書評
2018年4月号掲載
根っこは中国の人口問題
――橘玲『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)
対象書籍名:『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)
対象著者:橘玲
対象書籍ISBN:978-4-10-121351-4
日本人の多くが中国に親しみを感じていない、という割には、中国論というのは、意外に根強い需要がある。大学キャンパスを歩いても地下鉄に乗ってもショッピングモールでも公営団地でも、至るところから中国語が聞こえる時代。それほど中国と中国人が身近でありながら、理解できない。理解ができないから、嫌悪したり反感を持ったりするし、同時に幻想や過剰な期待を抱いたりもする。理解できないまま、ほっておくという選択肢もあるのだが、理解できそうで理解できないままにしておくのは、もやもやと気持ち悪い。領土・領海という核心的利益をめぐる対立がある以上、中国という国がどこに向かっていくのかを知る必要も感じている。
そこで、皆がいろいろなアプローチの仕方で、中国と中国人を自分なりに納得いくまで"解剖"してみようと試みる。結果、専門家、作家の数だけ中国論・中国人論があって、それが結構、多様で、中には相反するような論が同じ現象や資料を根拠に両立してしまうから面白い。中国は(孔子を政治利用しているが)孔子を捨てた国だ、という意見もあれば「儒教に支配されていることが中国人の悲劇」というものもある。中国のAIがスゴイ、イノベーションがスゴイ、という見方もあれば、中国人は山寨(パクリ)ばかりで新技術を生み出す創造力はない、と断ずる人もいる。政治的、経済的、歴史的、人文学的、あるいは権力闘争史的な視点、庶民の暮らしの実情リポート、いずれの方向から切り取っても、それなりに説得力のある面白い中国論、中国人論というのができる。
橘玲氏の『言ってはいけない中国の真実』は、そういう数ある中国論の中では最もイデオロギー的に偏りがなく、幅広いテーマを網羅した一冊だ。いわゆる"中国でメシを食っている"人ではないので妙な思入れがなく、中国批判にも中国礼賛にも与しない。軍事、安全保障や政権・党内部のレジティマシー、権力闘争、人間関係やイデオロギー・路線対立から分析するオタク向けの論ではなく、海外を歩き、中国を歩き、投資家目線で華僑や中国人たちとの付き合い、体験の中で感じたことの物語的描写から始まる。宗族、独特の人脈主義"関係(グワンシ)"、信用の枯渇や潜規則(暗黙のルール)、裏切り、腐敗といった社会・政治の現象、中国経済の異様な不動産バブルや特色ある金融システムのからくりなど、一般日本人が考える「中国的なるもの」を、歩き回って得た見聞、豊富な読書量に裏付けられた知性で考察していく。
そうした橘的中国論の柱となるのは「人が多すぎる」というひどく単純な指摘だ。中国に人権意識がほぼ存在しないのも、中国人が村や会社や国家という共同体から安心感を得られずに、宗族という血脈や「グワンシ」と呼ばれる利害の一致によって結ばれるネットワークを一番のセーフティネットとして頼るのも、膨大すぎる人口のせい。腐敗するのも、裏切るのも、中国が民主化できないのも、不動産バブルが起きたのも、このバブルがはじけるのかどうかも、根っこは中国の人口問題、という具合だ。しかし、そのシンプルな答えに説得力がある。
もちろん、いくつか反論を唱えたい部分もある。例えば「中国を批判するひとたちは、...華夷思想を中国共産党の行動原理になっていると主張する」と指摘して、それを在日中国人歴史学者の劉傑氏の中国共産党の歴史観の背後にあるのは「華夷(強国)思想」ではなく「弱国意識」という言葉を引用して否定している。中国脅威論をもっぱらとしている私のような"中国屋"に対する意見、と思うが、華夷思想は元朝という夷狄による侵略と支配によって文明が築かれたことに対する華人のコンプレックスから生まれた、という説をとれば、華夷思想自体が弱国意識の合わせ鏡みたいなものだ。私は、習近平政権が掲げる"運命共同体"論や"一帯一路戦略"が、欧米スタンダードと全く違う中華秩序の拡大、現代版冊封体制だと見ている。
さて、橘氏の見立てでは、中国の共産党による"近世的支配"は、民主的な正統性を欠くために常に人民の不満にさらされ、疲弊し、不安定化し、自滅していく。その運命に日本は巻き込まれざるを得ない。その"大問題"に備えるために、どうすればよいかは、読者は自分たちで考えねばならないので、ますます多様な視点の中国論を求めるのである。
(ふくしま・かおり ジャーナリスト)