書評・エッセイ

2018年5月号掲載

やわらかな手にひかれて巡る「心の病院」

――伊藤まさこ『美術館へ行こう ときどきおやつ』

光野桃

対象書籍名:『美術館へ行こう ときどきおやつ』
対象著者:伊藤まさこ
対象書籍ISBN:978-4-10-313874-7

「できればそこはそんなに大きくなく 街に馴染んでいるといい。帰りがけお茶が飲めたり、のんびりできる喫茶店なんかがあったらもっといい」――
 ほんと、ほんと、わたしもそんな美術館が好きよ!と思わず前書きに相槌を打った。
 スタイリストの伊藤まさこさんが選んだ、小さな、居心地のいい24の美術館。北は北海道から南は九州まで、厳選して紹介する本書は「芸術新潮」で連載されていたものだが、一冊にまとまるのを心待ちにしていた。
 登場する美術館には、まったく知らなかったところもあれば、いつかは行きたいと憧れている加賀の「中谷宇吉郎 雪の科学館」や畦地梅太郎のアトリエであった町田市鶴川の「あとりえ・う」、四日市市の萬古焼のスタイリッシュなデザインミュージアムなどもある。
 そしてまた、散歩の途中に立ち寄っては大好きなサリーや麻の古布を眺める目黒区の「岩立フォーク テキスタイル ミュージアム」、京都の帰りに、その美しい古典的な窓辺に会いに行く「アサヒビール大山崎山荘美術館」、時間をやりくりして通う駒場の「日本民藝館」など、馴染の場所を見つけると、何だか故郷が褒められたような、ちょっと誇らしい気持ちになった。
 美術館では、ひと通り鑑賞した後、展示室のソファや椅子に座って、静かにしているのが好きだ。展示されている物たちから発せられる気を存分に浴びる。
 よく行く美術館には気に入りの場所が必ずあって、たとえば日本民藝館本館二階、一番奥にある展示室の前の木のベンチ。好きな飴をこっそり鞄から取り出してなめながら、ずっとそこにいる。
 そういう場所で、ただボーっとする時間がどうしても必要なのだ。そうしないと息が詰まる。海や森ではなく、カフェでもなく、自宅の居間でも公園でもなく、それは美術館でなければならない。
 なぜなのだろう、と以前から考えていたが、その答えが本書の23番目に紹介されている「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」の項にあった。
 猪熊弦一郎の理想の美術館像を表す言葉が「美術館は心の病院」だったというのだ。良い空間と良い建築。街の中心にあって、日常的に行きやすく、子どもたちにとっても親しめる場所。だからこの美術館は18歳まで無料なのだそうだ。
 そんな場所に通い、「日常の垢を落とし、またいつもの生活に戻っていく」。幼少期からこんなふうに暮らすことができたら、どんなに健やかな大人に育つだろう。「心の病院」があるかないかで、その土地に住まう人々の心のありようは変わるはずだ。
 生前、猪熊画伯はこう言っていたという。
「美しいものが分かる人というのは、人の気持ちが分かる人」と。
 そういえば本書の語り口は、以前のものと少し違うな、と思いながら読んでいた。デビュー当時から伊藤まさこさんの著作に触れてきた者として、いつも頭にスーパーとつけたくなるような仕事っぷり、女っぷりだと感じてきたが、そのまさこさんが、この本では歩く速度を緩めたかのように優しく、懐かしい口調で語りかけてくるのである。
 娘さんとふたりで訪ねたときの情景や、お母さんが絵を見て言われた一言などが、ふんわりと、でも少しだけ切ない色をして行間を漂い、ふとページから目を上げる。
 すると、子どもの頃、家の裏の木の上が心の病院ならぬ木の上の病院だったことや、母の好きだった布や器の色や手触りが、鮮やかによみがえってきた。
 日本全国の素敵な美術館を愉しく、美味しく巡る旅。その旅を導いてくれるまさこさんの手は、やわらかく、あたたかく、ああ、この人もまた、「美しいものが分かる人」なのだったなあ、と、あらためて思うのだった。

 (みつの・もも エッセイスト)

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