対談・鼎談

2018年6月号掲載

ジェーン・スー『生きるとか死ぬとか父親とか』刊行記念対談

いつも親子は“真剣勝負”

しまおまほ × ジェーン・スー

父と、20年前に他界した母のことを書いたジェーン・スーさんと、『マイ・リトル・世田谷』などで家族のことを綴ったしまおまほさんが、腹を割って親と子の関係について語ります。

対象書籍名:『生きるとか死ぬとか父親とか』
対象著者:ジェーン・スー
対象書籍ISBN:978-4-10-102541-4

「ひとり娘」の苦悩

スー しまおさんと私の共通点は、ひとりっ子であることですね。うちの両親は放任主義でしたが、それでも常に四つの目で監視されていた記憶があります。ひとりっ子って、どうしても親子の密度が濃くなりませんか?

しまお そうですね。しかも、うちは両親とも私と近い仕事をしているので、その内容が全部見透かされちゃう。

スー それはやりにくいですね。原稿の感想とかを直接言ってくるんですか?

しまお ズバッと言う時もあるけど、大体態度でわかるから、いつも親の顔色を窺ってしまうところがあって......。

スー 色々と察してしまうんですね。

しまお もうガッチガチに察する娘です。

スー 何となくしまおさんは、自由に仕事して生きているというイメージがありましたが、そうではないと。

しまお はい。察しまくって、怯えまくっていました。母にある仕事を「若い女の子の手慰みみたい」と評されたこともあります。かなり辛辣な読者(笑)

スー ひえー。うちは、私の仕事については無関心極まりないので、楽と言えば楽だし、寂しいと言えば寂しい。

しまお おそらく、作家として、個人として「こうあって欲しい」という母の気持ちを察し、無意識のうちに追ってしまっている。

スー その理想を裏切って、親をがっかりさせたくないという気持ちが、しまおさんの中にあるんでしょうね。その意味でも、特にひとりっ子は早く家を出た方がいいのかも。我が家は、私が社会人になって間もなく母が亡くなっちゃったから、家を出たくても出られなくて。ようやく二十代後半でひとり暮らしを始めました。

しまお 私はつい最近。今三歳になる子供が産まれてからようやく。

スー 初めて実家を離れてみて、どうでしたか?

しまお 快適です(笑)。自分の考えで行動できるということが、こんなにもすばらしいことなのかと。

スー 私は男性と同棲するため、というのが家を出るきっかけでした。

しまお 彼氏を親に紹介したことはありますか?

スー 何度かあります。父は、誰が好きで誰がダメだったかということをあけっぴろげに言うタイプでした。

しまお その反応を気にされました?

スー 「わかる」って感じかな。好き/嫌いの理由にいちいち納得しちゃう。

しまお 私も最初のボーイフレンドを両親に紹介したことがあって、その人に対する親の可もなく不可もなくというか、「まあ、この人と結婚するわけじゃないし」という空気を敏感に感じたことをよく覚えています。

スー そこまでわかっちゃうんだ......。

しまお それはわたしにもわかってはいたけれど、態度に出すなよって思っていましたね。容赦なく核心を突かれるから。

スー なるほど。それは辛い。

しまお 子供が産まれてからもしばらく悩んでいましたね。

スー 逆に、しまおさんの中に「理想の両親像」みたいなのはありますか?

しまお うーん、干渉しないことかな。でも、本人たちは干渉しているとは思っていない。むしろ私が過剰に察しているのかもしれません。スーさんのお父さんみたいに、娘の仕事に興味がない、という方がうらやましい。

スー うちは父が家庭という場所から早々に逸脱して、自分の人生を生きるタイプだったので、そもそも私自身が親への忠誠心が少なくて済みました。
 それに母が早く亡くなったことによって、一度家族という形が崩壊してしまったので。もし母が今も生きていたとしたら、私もしまおさんのように「どうやったら母をガッカリさせずに済むか」とかばかり考えていたかもしれません。それに比べて、父親の「干渉ポイント」ってそもそも"筋悪"だから、そんなに響かない。もしかしたら娘というのは、比較的早いタイミングで父の精神年齢を追い越すのかもしれません。

しまお わかります。私もそれまでは全く父に刃向えなかったのに、高校生になって急に対決姿勢をとれた瞬間があったのをよく覚えています。

スー 私も母がまだ生きていたら、その関係性も違っていたんだろうなあ。

しまお スーさんのお母さんはどんな方だったのですか?

スー もともと映画雑誌の編集をしていたのですが、父と結婚してからは基本的に専業主婦をしていました。娘の私が言うのもあれですが、ユーモアがあって頭の回転も速くて美人。

しまお 新刊を読んでいると、スーさんみたいな人だったのかなと想像しました。

スー 私よりセンスも容姿もよかったと思うし、理想の私に近かったかもしれない。特に服のセンスは及ぶべくもない。

しまお 私の母も服のセンスがいいんですよ。決定的に負けている感じがします。

スー 親の服のセンスを継承できなかったのは、凄いコンプレックスです。

しまお 私も。「この服は私の方が似合う」とか「この色はあなたに似合わない」とかズケズケと。

スー 私もよく子供の頃に「あなたは紺が一番似合う」って。またそれがいちいち芯を食っているんですよね。当時の写真を見ると、親に反抗して着た紺色以外の服がことごとく似合っていない。

しまお 親に悪気がないのもわかるけど。

スー そうそう。的外れだったらいいけど、芯を食っているから余計に辛い。

しまお つい最近も母と言い争いになったんです。家族で食事に行った時、両親が好きなだけ頼んで、それを平然と残したんです。しかも夕食が七時からなのに、「お腹が空いた」と三時頃にランチを食べて。それで夕食を残すのが許せなくて、私が「もったいないじゃん!」と怒ったんです。そうしたら母に反撃されて......。

スー 珍しく反論したのに。

しまお 「そんなこと言うけど、あなたはいつも部屋を散らかしたままで、服も大事にしていない。私にしたらそっちの方が許せない。服がかわいそう!」と。それでぐうの音も出なくなって。

スー 私だったら、もう一ラリーあるな。

しまお えっ、何て言い返せばよかったんだろう。教えてほしい。

スー 「じゃあ、今私が嫌な気持ちは凄いわかるよね」って。

しまお ああ、頭いい! 今それ言い返したい(笑)

スー そのラリーがあって、最後は「お互い気をつけましょうね」と。これを私はいつも父としています(笑)

しまお さすが。でも、スーさんが自分の子供だったら、大変だろうなあ(笑)

スー 私も最初からできていたわけではなくて。むしろ、ある時期までは、親に怒られることを過剰に警戒する子でした。「ひとりっ子だからといって甘やかしてはいけない」という親の気負いもわかっていたから、無意識に「小さい嘘」をつく癖があって。それを大人になってから指摘されて、ようやく気づきました。

しまお よくわかります。でも、スーさんもそうだったというのは意外。例えばそれはどんな嘘ですか?

スー 「これ食べたの?」と聞かれて、食べたのに「食べてない」と答えるとか。「犬の散歩に行った?」と聞かれて、「ううん、今日は犬が行きたがらなかった」とか、どうでもいい小さな嘘です。「ちゃんとした私」みたいなところから外れることについて、つるつると嘘をついてごまかす癖があることを、この年になって気づかされたんです。

しまお それもひとりっ子特有のものなのかな。親の寵愛と監視に過剰適応してしまうというか。だから私、自分の子供には、なるべく何も言わないようにしています。できるだけ命令しない。

スー 母と同じようなことを自分の子供にも言ってしまったと、後悔する時もあるんですか。

しまお あまりベタベタしないところとかは、母と似ているかもしれません。小学校三年生の時に、母に手を振り払われたのをよく覚えていて。

スー ええー。うちも母はそんなにベタベタするのが好きじゃなかったけど、父と私が母にベタベタしていましたね。

しまお 本当にお二人ともお母さんのことが好きだったんですね。

「奇跡の三点倒立」

スー 縁起でもない話だし、あくまで仮定のものですが、しまおさんがお父さんとお母さんのどちらかと一緒に残されるとしたら、どっちがいいですか?

しまお うーん、父と残る方が精神的には楽。バイオリズムが似ているから。特に子供を産んでから、母とはやっぱりお互い女同士なんだなと思うことが多くて。

スー それはちょっとうらやましいですけどね。私は母の母としての顔しか見てこなかったし、母が女として私に嫉妬したり、意地悪してきたりはなかったから。母は、母親が子供に対してやってはいけない、ということを一切しなかったんです。それをありがたいと思う反面、息苦しかっただろうなと今は思います。

しまお そうかあ。でも、父と残されると、世話の塩梅が大変かも。

スー 望まずにその状態になったけど、結構えぐかったですよ。この人、こんなダメだったのか、ということがわかって。

しまお 父は、今も私がご飯を作るのを嫌がるんです。

スー それは照れなんですかね。

しまお 照れだと思います。自分のために尽くす娘を見たくない、という空気も感じます。その点では母と二人の方が日常生活は円滑に進みそう。

スー 特にひとりっ子の家族というのは、「奇跡の三点倒立」と言えるような、絶妙なバランスで成り立っていますよね。それが一点だけでも欠けてしまうと、面だったものが線になって、パタンと倒れてしまう。

しまお まさにその時の経験を、この本に書かれていましたね。

スー はい。しまおさんは、親の愛情をどういうところで感じていましたか?

しまお うーん、物を全部残してくれているところかな。子供の頃から、「これは後で何かの役に立つから」と漏れなく残しているんです。

スー それはうらやましい! この本でも書きましたけど、うちは母が亡くなった後に実家を手放さざるを得ない状態になって、その時にあらかた物品を整理しちゃったんです。以来、どこか流浪の民というか、聖地を無くしたような感覚があって。けれど、しまおさんの場合、それは本当にご両親の愛情の表れですね。

しまお はい。それには感謝しています。だから、両親と自分が近い職業に就いているというのは、やりにくい部分もあるけど、理解があるから助かっている部分もあります。

スー その感じは想像がつかないな。うらやましいです。うちの父は頭のてっぺんからつま先まで商売人だったから。面白いのは、父を見ていれば業績の良し悪しがすぐわかること。それが、乗っている車のランクでわかっちゃう。

しまお うちは車もずっと無かったし、ずっと「貧乏だ、貧乏だ」と言っていました。ある時、父が口座の残高が書かれた紙を家に貼ったのですが、残高が数百円でした(笑)

スー それは穏やかじゃない(笑)

しまお 金銭感覚に疎いというか、頓着していないんですよ。

スー そこもうちと真逆。とにかく父は、ある時期まで家庭を顧みず、フル回転で働いて、自分の存在根拠も仕事にのみあるような人でしたから。それまで自分が父に似ているところなんか一つもないと思っていたのに、仕事、仕事というところがそっくりということに、私が社会人になってから気づきました。

しまお スーさんも働き者だから。

スー 母が亡くなって、父が全財産を失ったところをリアルタイム中継で見ていたから、稼いでも稼いでも不安なんです。そういうところが似ちゃったというか、親の影響を確実に受けていますね。

しまお 私も金銭感覚は親の影響を受けていますね。あればあるだけ使っちゃうし、なければないで使わなきゃいいというか。まあ、それも母の実家に家族が住むことができて、ちゃんと家があったというのが大きいと思います。

スー そこが面白いですよね。とにかく「金を稼がなきゃ!」という私と父のような人間が家を無くし、「お金に執着していない」という島尾家は都内にちゃんと家がある。なんというアイロニーでしょうか(笑)

不思議な生き物。それが親

しまお スーさんは、今になって両親に「こうしてほしかった」というのはありますか?

スー もちろんあります。週末遊びに連れて行ってくれたり、夏休みの自由研究を手伝ってくれたり、いわゆる典型的な「マイホームパパ」だったら、子供時代は誇らしかっただろうなとは思います。でも、そうじゃなかったからこそ、この本が書けたわけだから、結果オーライかも。しまおさんの「理想の父親像」は?

しまお うーん、あまりないんですよ。いわゆる「家族サービス」なんてことは一切なかったけれど、私も遊園地とか好きじゃないから、連れて行かれたらむしろ困る。家族でディズニーランドに行ったのも一度だけ。それも、浦安ではなく浦和に行っちゃった(笑)

スー 最高の初歩的ミス!

しまお 浦和の駅に降りるまで、誰も気づかなかったんです。

スー 今じゃあり得ない(笑)

しまお 何度も言うように、とにかく「察する娘」だったので、思春期特有の反抗期もあまりなく......。

スー ケンカしたり、ぶつかることもなかったんですか?

しまお はい。むしろ最近というか出産した直後が反抗期でした。子育てについて揉めたり、自分の生活全般にまつわる矛盾みたいなものを親が突いてきて。

スー 自分が大人になってから、その部分を突かれるときついですね。

しまお 父には「矛盾のない気持ちで過ごせ」と言われたことがあって。

スー それは厳しい。まだ世間体を説いてくれた方が楽ですね。「矛盾のない気持ち」というのは、つまり「あなたの本当の気持ちはなんだ」ということでしょう。それは逃げ道がない。

しまお そうなんです。何か自分の気持ちを全部見抜かれた上で言われて......。でも、そこでぶつかったからこそ、親元を離れる決意が固まったし、自立できたので、結果オーライです。

スー 私もそうですが、それまで親の顔色を窺いながら育ってきた人間が、突然「自分のことだけを考えて、自分の幸せを追求しなさい」と言われるのはきついですよね。

しまお 本当に。これまで親の価値観を最優先にして生きてきたのに、突然梯子を外されたというか、突き放された気分。

スー 「親を乗り越える」前に、向こうから離れて行っちゃって、「あーあ」と途方に暮れるみたいな。

しまお 結局、親を喜ばせるには、自分が幸せにならなきゃいけないという当たり前のことに気づいたと同時に、それがまた新たなプレッシャーになりました。

スー なるほど。よくわかります。

しまお それまで私の中に溜まりに溜まっていたものがあったんだと思います。もっと早く親元を離れていればと、いまだに思いますね。

スー 離れた方が、親のことを大事に思えるんですよね。なのに近づいた途端、よろしくない感情が芽生えるという不思議な生き物。それが親。

しまお そうそう。その距離感が難しい。

スー 私も、父親に対して親孝行しているかというとそうではないと思うし、こうして父のことを本にして、プライベートを切り売りしている。これまであんなにひどいことをされてきたんだから、それも仕方ないだろうと思う反面、完全には切り捨てることができない自分がいる。別にここまで面倒見なくてもいいだろうと思っていても、やっぱり見ちゃう自分がいて、親子って難儀だなあと思います。

しまお しかも、親が言うことって、娘の私にもわかるじゃないですか。それが厄介なんですよ。

スー そうそう。だって、それまで毎日同じ"教典"を読んで生活してきたわけだから、結論がどうなるか、お互いわかっているのは当然で。だからこそ、たまに親が抜いてくる刀の切れ味が強烈。

しまお またその刀を抜くタイミングが絶妙で。父がよく言うのは、母の先祖がお侍さんだったらしく、だから母は「いつも刀を差している」と(笑)

スー 銃刀法違反で捕まえてくれ(笑)

しまお あっちはいつも臨戦態勢だから、こっちはいつも不意打ちされる。

スー いつでも親と子は真剣勝負なんですよね。お子さんが産まれてから、ご両親との関係性は変わりましたか?

しまお 子供が産まれれば親が喜ぶと、変な暗示にかかっていましたが、全然そんなことなかったんです。孫より「まほの方がかわいかった」とか言うし。

スー それはいいこと聞いた。気が楽になりました。私も父に「結婚は別にいいけど、子供だけは産んでおけ」と言われたことがあって。しまおさんの話だと、産んだらオールOKではなかったと。

しまお 出産前、仕事で行った沖縄で占い師に見てもらったんです。占いなんて行くタイプじゃないのですが、色々ブレている時期で。そこで、「親は自分の子供が一番かわいいんだから、自分が幸せになることをまず考えなさい」と。そのときはよくわからなかったけど、今は痛いほどよくわかりますね。だからこれからのわたしのテーマは「自立と自分自身の幸せ」です。

スー 本当にそうですねえ。私もしまおさんも、それまでは「理想の子供」というタイトルの台本を必死で覚えていたところがあったけど、これからはアドリブでお芝居しないといけない。

しまお スーさんは、これからお父さんとどう付き合っていきたいですか?

スー 金の苦労だけはさせないようにしたいですね。うちの父は、お金がないと輝けない人なので。あとはパーソナルトレーナーを付ける。とにかく足腰が立たなくなると、活力が極端に失われるので、お互いのためにも。

しまお それはナイスアイデア。結局、親は親で自分の人生を、自分の幸福を追求しているわけだから。

スー そうそう。だったら、こっちもそうさせていただきます、というのが、親と上手くやる秘訣ではないでしょうか。

 (しまお・まほ エッセイスト)
 (ジェーン・スー コラムニスト)

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