書評
2018年6月号掲載
輝き、切り裂いて、どこまでも
――白尾悠『いまは、空しか見えない』
対象書籍名:『いまは、空しか見えない』
対象著者:白尾悠
対象書籍ISBN:978-4-10-104141-4
世界という言葉を思うとき、あなたはどのくらいの大きさの空間を思い浮かべるだろう。
そしてその言葉に、私の、と付け足したとき、その空間はどのように変化するだろう。広がるだろうか、狭まるだろうか。
「世界」から「私の世界」へ移る過程で空間がひゅっと小さく縮まった人、そしてその小ささが誇りや喜びではなく、閉塞や苦しみを孕んでいる人は、ぜひ白尾悠(しらおはるか)さんの『いまは、空しか見えない』を読んで欲しい。
別にどこかに監禁されているわけでもない、衣食住に困っているわけでもないのに、生きていて「狭い」と感じることがある。私も、よくある。その原因はなんなのだろうと、本書を読みながら繰り返し考えた。
登場人物が重なり合う、五つの話が収録されている。その五つの話すべてに、坂上智佳(さかがみともか)という一人の女性が深く関係している。第一話は、大学受験を控えた高校生の智佳が主人公だ。彼女は高圧的かつヒステリックな気質の父親に、毎日使うスリッパから志望校、ひいては将来の進路まで、生活のすべてを決められて生きている。性格の大人しい母親は、ひたすら夫の意見に迎合するばかり。父親に萎縮し、怯えながら生きる智佳は、道で出会った不快な相手を惨殺する空想を行うことで日々の苦痛を和らげていた。
第一話において智佳の世界はとても狭い。彼女は惨殺の空想と、大好きなホラー映画への愛着と、実現の見込みがないと自分でも分かっているちっぽけな夢しか持っていない。しかし偶然の出会いと波乱に富んだ冒険を経て、彼女はとうとう父親が作った苦しい世界を突き破る、強烈な力をつかみ取る。
その力が萌芽する瞬間が、本当に美しい。このままでは生きていけないと追い詰められた命が、引き絞られた弓の潔さで、まっすぐに、生存のための闘いを開始する。
本書を貫くテーマの一つが闘争だ。坂上智佳も、その母親も、智佳の友人となる翔馬も、智佳が出会ったギャルの優亜(ゆうあ)も、皆なんらかの閉塞状態にある。そしてその閉塞を生み出すのは「辛いけど、こういうものだ」という恐怖と諦めの入り交じった認識の膜だ。理不尽な抑圧、得られなかった愛、どこにも行けない自分、本物の暴力。それぞれの視点人物が背負う重厚なテーマを筆者はけっして誤魔化さずに追いかけ、彼らと共に恐怖の元と闘うことで認識の膜を切り裂いていく。
話数が進むにつれて、第一話の息苦しいほどの閉塞から、みるみる世界が拓かれていく快感を味わうことが出来る。そしてそれは視点人物から端役に転じてなお、状況が書き込まれ続ける智佳の世界の広がりともリンクしている。
最終話で、再び視点人物は智佳に戻る。故郷を出て、父親と距離をとり、夢に大きく近づいた智佳は、第一話とは比べようもないほど拓けた場所で、また新たな深刻な閉塞に陥っている。彼女自身の視点からも、他の人物の視点からも、幾度となく閉塞を切り裂いてきた智佳の行き詰まりを見て、私たちは理解せざるを得なくなる。生きるとは闘争の連続なのだ。そして闘争をやめた地点が、その人が持つ世界の広さの外縁になる。
私がこの本のもっとも好きな点は、闘争をただ称えるのではなく、闘争では解決されない物事についても筆者の丁寧で確かな眼差しが配られていることだ。
特に第四話「さよなら苺畑」の素晴らしいラストにその姿勢が現れていたように思う。女性をただ性の対象としか見なさない男性の欲望を嫌悪し、拒み続けてきた優亜は、物語の最後で自分の奥深い所にも男性に対する欲望が存在することを思い出す。苦い自覚は、しかしこの問題に対する闘争以外のアプローチを模索する萌芽となる。ここからまた、優亜の世界が広がっていく予感が漂っている。
問題のすべてが解決するわけではない。閉塞を切り裂いた先の世界にも、新たな闘いが待っている。自分も他人も傷つけて、ずっと苦しさは続くかもしれない。
それでも人生には闘う価値がある。この本から、そんな力強いエールを受け取った。
(あやせ・まる 作家)