対談・鼎談
2018年7月号掲載
朝吹真理子『TIMELESS』刊行記念対談
六本木に重なる四百年前の麻布が原
磯田道史 × 朝吹真理子
『TIMELESS』を書きあぐねていた朝吹さんに、大きなヒントを与えてくれたのが磯田道史さん。
ある夜、二人の乗ったタクシーが六本木通りを走っていたとき、磯田さんがおっしゃいました。
「このあたりは江姫が火葬された場所なんですよ、ご存じですか?」
対象書籍名:『TIMELESS』
対象著者:朝吹真理子
対象書籍ISBN:978-4-10-125183-7
磯田 いまこそ読みたい作品が眼前にあらわれた、こんなに大きな文学が久しぶりにこの国にあらわれたんだな、というのが『TIMELESS』を読み終えての感想です。
朝吹 ありがとうございます。
磯田 高校の同級生だった「うみ」という女性と「アミ」という男性が出てきます。海というのはすべてが一体化する、混在化する象徴ですよね。「アミ」は私の解釈では網、『人形の家』のノラを閉じ込めたような家の壁ではなくて、引っかかりはするけれど、すり抜けられるもの。
朝吹 はい、男女どちらかわからなくなる、溶けていく名前がいいなと思って、自然と決まりました。書いているとき自分でもよく間違えてしまいました(笑)。私は武満徹の音楽がとても好きなのですが、武満さんが大事にされていた音楽発想の三つの音がS(E♭)EA、海という象徴的音名も偶然もっているというエッセイを繰り返し読んでいたので、「うみ」という名前にはそれが響いている気がします。「アミ」はフランス語の友だち ami からきていますが、「網」と読み取ってくださったのはとてもうれしいです。
磯田 『TIMELESS』というタイトルですが、「タイムレス」だけでなく「ボーダレス」を描く小説でもありますね。日本家族の1900年体制といいたいが、愛しあった二人が夫婦になる、愛情と結婚が一体となっている。明治前期まではなかったその制度をわれわれは百二十年近くつづけてきた。明治天皇の死に殉じた乃木希典夫妻がその偶像になった。戦後、1945年体制になっても、少しバージョンが変わっただけで、女の子は「かわいい」を連発し、恋愛はしなくてはならないもののままでした。
でも、われわれはもうそれとは違う新段階に入っている。『TIMELESS』は、社会の骨組みがどう変わるのかを、作家の勘で暴きだしている。近代がやってきたことの過ちの原因を哲学的に説いている小説だと思います。
「うみ」は高校時代、「クラゲに生まれ変わりたい」と言っていますね。クラゲは、外界の環境と細胞壁というもっとも薄い壁で接して暮らしている生きものです。近代というのは、あらゆるものに壁をこしらえて、自と他は確実にちがう、個は個として存在するという考えが基本で、国家という鎧、あるいは家という鎧で個を守り、それが剥がされると、今度は「あなたと私」という恋人同士の鎧をつくったけれど、それもどんどん剥がされていった。
クラゲは恐ろしいことに六億年、形を変えずに生きている。つまり自分と他者のあいだに違いを認めない生きものがじつはきわめて永続性が高いということを冒頭から指摘しているんです。
人間が死んで腐るメカニズムについても、理系の文章のように懇切丁寧に書かれてある。六十兆個、いまは三十七兆個という新説がある人間の細胞と四百種以上の揮発性有機物が混ざりあい、バクテリアが分解し、それがあたりにちらばっていくと。「原子の総量は地球が誕生してから変わらない」――恐竜だった原子が私になり、シーラカンスだった原子や、三味線になって音を放っていた猫が私になり、私もまた何かになってゆく、ということが繰り返されてきたのだと。
われわれは核というもっとも近現代的な科学に西洋の真似をして手を出したあげく、酷いしっぺ返しを受けた。そこから新しい考えが出てこなければと思いながら暮らしていたのですが、とうとう出てきた。『TIMELESS』は翻訳され、世界中の人たちが読むべき小説だと思いました。
四百年前の六本木
朝吹 『TIMELESS』という小説は磯田さんと会わなければ生まれなかった小説なので、そんなふうに読んでいただいてとてもうれしいです。
何年か前、新聞で対談をさせていただいた帰り道にいっしょにタクシーに乗っていたとき、磯田さんが、このあたりは江姫が火葬された場所だとふいにおっしゃった。東京ミッドタウンの前がちょうど江姫の火葬地だったと。
磯田 そう、日本史上、香木をもっとも大量に焚いた場所だと言いましたね。そのころ僕は放射能の拡散がすごく気になっていて、煙が拡散してゆく話を史料で見ただけで鳥肌が立つほどでした。そして、その煙がたなびいたあとに沿って、鉢形にお寺が並んでいる。江姫のお葬式をしたお坊さんたちに、匂いがしみついてしまった土地を分け与えたんです。その延長上に、『TIMELESS』に出てくる我善坊(がぜんぼう)谷があるわけですね。
朝吹 はい。『きことわ』を書いたあとすぐに、「TIMELESS」というタイトルは早々に浮かんで、恋愛感情を抱けない女の子と被爆者の祖母をもつ男の子が、恋愛感情のない生殖のやりとりをする。そんなふたりの後ろ姿が浮かんでいたんですが、二人がどういう道行きをするのかがずっとわからなかった。六年書けませんでした。
そのあいだいつも頭にあったのが、酒井抱一の「秋草鶉図屏風」なんです。屏風絵のなかに若い男女が歩いていて、いつまでも出られないというイメージだけがあった。それと、写真家志賀理江子さんの写真。宮城県名取市の北釜に彼女のアトリエがあったのですが、三月十一日に流されてしまった。彼女が北釜で撮った作品に、松林の沼のなかを、霧がかってよくみえないなか手を繋いで歩く老夫婦の写真があるんです。
そのふたつが頭の中で重なっていたのですが、書きはじめると数行しか書けず、それも毎日一行を書き直して流転してしまっていました。
そんなとき磯田さんが江姫の話をしてくださって、ふたりが歩いているのは現代と並行的に存在する四百年前の麻布が原だったんだと思いました。
六本木通りの渋滞に、抱一の屏風絵と江姫の燃えた煙の帯、四百年前の麻布が原が重なってみえて、登場人物のうみとアミがいつまでも歩きつづけているという光景が眼前に飛び込んできました。
あいまいな境界
朝吹 磯田さんが古文書をご覧になるとき、かつて生きた人の心の中に何があったかをずっと探していると伺いました。
磯田 体温がある、どんな人間も死んでしまいます。なにをどのように考えても、人間は生きているから、その体温で必ず溶けてなくなってしまう。春の淡雪のように。でも誰かがそれを見ていたら、それが消え残ってつながっていくんですよ。僕は一瞬あらわれた淡雪のような考えをとどめておきたい。「こんなのがあったよ」と見てもらうのが僕の仕事なんです。だから古文書を漁って日本中を歩いている、という話をしましたね。
朝吹 磯田さんが古文書に感じている「淡雪性」と私が小説にとどめたいと思っているものは、どこか同じものがあるのではないかなと思っています。私もまた、淡雪が体温で溶けてゆくその瞬間、その人が命を燃やしていた、もう決して帰れないその時間に近づきたい、言葉によってその瞬間を探したいのだということを、「淡雪」という言葉によって教えられました。
俵屋宗達の絵の話もしましたね。
磯田 俵屋宗達の絵は『TIMELESS』に近いところがあると思います。「たらし込み」という、水の中に墨が自然に拡散していく様を活かした技法があるんですが、その技法を取り入れて成功をおさめた最初の画家がおそらく俵屋宗達です。その「たらし込み」の技法が『TIMELESS』にも通ずると思う。
朝吹 台詞なのに、どっちがしゃべっているのかわからない書きかたをしている部分があるんです。
磯田 それも文学における「たらし込み」だと思います。輪郭線をわざとぼかす書きかた、ボーダレスですね。どちらが言っているのかわからないというのは、平安文学などを読んでいるとしばしばある。国語の試験ではどちらの言葉かちゃんとわからないと答えが出せないけれど、古典のなかには、しばしばどっちが言ってもいい台詞がありますよね。
朝吹 はい、そう思います。
磯田 日本の近代についてもう少しお話すると、バージョン1、1900年体制というのはよるべがありすぎるわけです。天皇という柱を立てて、所属する組織、国なり家なり村なり軍隊なりのよるべがある。戦後はGDPの規模にすがったけれど、もうそれもない。さらにAIによる労働の時代がそこまできている。人間の労働とは違って、AIには時給がない。
つまり労働と時間が切断される。まさにタイムレスな事態が現実化しつつある。江戸時代までは、最短の時計の目盛りは十五分でした。近代は時間の区切りをつくることが本当に好きだから、学校であれば、一校時目、二校時目とか、何時間勉強したとか言うけれど、江戸時代を見ている人間からすると、勉強が完成するのはその人が本当に心底わかったときですよ。わかったと思えば三秒でもいい。わからなければ三十年でもいい。それが人間というものなんですけれど、近代は、授業の時間数を単位として、それを受ければわかったと見なすという約束事でできあがっている。でもこの近代社会の約束事もだんだん壊れてきている。
よるべない人びと
朝吹 クラゲみたいに自と他をあいまいにしているものに、なかなかいまの人間はなじめません。でも実際は、自だと思い込んでいる体がまずいちばんの他です。自覚がないけれど病があると言われてはじめて気づいたりします。しゃべっているときも、どっちの発言なのか曖昧になることってたくさんあります。お互いに浸食しあって、自と他がかなり溶けあっているところが多いはずで、そのほうが人間としてはむしろ自然なはずだと思うんです。なのにそれを引きはがして個と個をはっきりと区別するという考えかたや体制には軋みがうまれていて、かなりつらい生を強いられているということはずっと感じています。
関東大震災の直後に書かれた折口信夫の「砂けぶり」という詩があって、なぜか詩集には入っていないんですけれど、「横網の 安田の庭/猫一匹ゐる ひろさ―。/人を焼く臭ひでも してくれ。/さびしすぎる。」(現代詩文庫『釋迢空詩集』研究より)。壊滅的に家や建物が倒壊し、亡くなった人もそこいら辺にごろごろしていて、すさまじいよるべなさなんだけれど、本来そうやって生がある清々しさのようなものもほんの少し感じて、『TIMELESS』を書きながらよく思いだしていました。
磯田 『TIMELESS』の第二部にあたる後半は、2035年という未来の視点から書かれていますね。そこでは南海トラフ地震がすでに起こっている。
いいなと思ったのは、この小説に書かれている人たちはよるべないんだけれど、最後はやっぱり、情において――と簡単に言ってはいけないかもしれないけれども――なにか生き物として寄り添っていけそうな感じが残るんですよ。生きものってやっぱりこういうものだと思うんです。べつに官能を求めているわけでも、恋愛というのでもなくて、池の中の鯉がなんとなく並んで泳いでいるような感じ、それはやっぱりあるだろうと。
朝吹 わずかな風で吹き寄せられた木の葉とか、なんとなく潮目に流されていっしょになったクラゲとか。そういう感じの、すっと寄ってまた離れて、というような固定的ではない人間の情けがあるのではと思います。寄り添いあったり離れたりするのが人らしいなと思うんです。
磯田 フランスの社会学では離合する近年の集団をノマド的と呼んだりしていたけれど、捉えきれていない気がしていました。『TIMELESS』は、文学のなかから近未来の姿を思考実験する小説ですね。もうすぐ2020年、平成が三十一年目にして終わろうとする直前にこの小説が読めたことはとてもうれしい。
朝吹 ほんとうにありがとうございます。
(いそだ・みちふみ 歴史学者)
(あさぶき・まりこ 作家)