書評

2018年7月号掲載

それぞれの戦争、それぞれの音楽

――レベッカ・マカーイ『戦時の音楽』(新潮クレスト・ブックス)

江南亜美子

対象書籍名:『戦時の音楽』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:レベッカ・マカーイ著/藤井光訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590148-6

「戦時の音楽」という言葉から、どんな旋律を想像するだろう。勇ましくも空虚な軍歌? 甘くノスタルジックな女性ヴォーカルの慰問歌? それともヒットラーが愛したワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」? レベッカ・マカーイは、あくまで音楽を戦争に与するものではなく、支配権力に対抗するささやかな個人の、最後まで不可侵な領域としてとらえているらしい。
 本書には、時代も舞台もトーンもばらばらな17の短編が収録される。マカーイ自身のハンガリー系一族の歴史が紐解かれる三つの連作から、女性大学教師が勘違いから思わぬ糾弾を受ける一編、バッハが現代に生きる「私」のヤマハピアノにタイムスリップしてくる奇想の一編まで、いずれもドラマティックにしてユーモアのきいた作品である。一編を読み終わるごとに深い余韻が残るのが特徴で、登場人物たちの人生が、書かれなかった時間もふくめてつい想像されるという点で、アリス・マンローやチェーホフをほうふつさせる作品もある。完璧な短編、と称えたくなるものもある。
 関連がなさそうにみえて、ゆるやかにつながりあうこれらの作品に通奏低音となるのは、戦争の影である。戦争は、先の大戦だけを意味するのではない。難民状態になることや、人種や性的指向を理由とする差別を受けることや、他人に不寛容な時代に強迫観念にさらされることなどもふくまれる。こうした、人々を理不尽におそう厄災としての「戦争」の悲惨さを、解毒したり、乗り越えたり、中和したりするものとして、音楽をはじめとする芸術が力を持つさまをマカーイは描きだすのだ。
 例えば「これ以上ひどい思い」で、収容所帰りのユダヤ系ルーマニア人のバイオリニストであるラデレスクを家に迎え入れたアーロン少年は、九本しかない指から奏でられる曲のなかに、彼の来し方の物語を聴き取り、幻視する。アーロンの父の音楽教師だったラデレスクとピアニストのモルゲンシュターンの美しい二重奏がポグロム(ユダヤ人迫害)の恐怖から一瞬みなの目を逸らせたこと、生き延びるためにひとりの女子学生を見殺しにしたこと、そして収容所で指を切断されたこと......。いまここに美しく響く音楽こそが、ラデレスクが負った残酷な記憶や、芸術家として生きる峻烈な覚悟を、アーロンに伝えるのである。
「惜しまれつつ世を去った人々の博物館」では、ガス漏れでアパートの住人全員が死亡するという事故が起こる。婚約者が元妻の部屋を訪れていて亡くなったと知ったメラニーは、旅行中で難を逃れたホロコーストの生き残りの女性と会話する。彼女はナチス側の青年と結婚し、以来長く生活をともにしてきたという。数奇な運命に翻弄され、二度までも「ガス」から生き延びた夫婦の歴史は、メラニーの耳にピアノ伴奏とソプラノの歌声となって残響し続けるのだ。
 あるいは「ブリーフケース」では、ある男が思想弾圧から逃れて、他人のブリーフケースを盗み去る。シェフでありながらその鞄の持ち主であった大学教授になりすまして幾年ものときを過ごした男は、大学教師の妻と対面し、町のしがないバイオリン弾きが広げたもうひとつのブリーフケースを目にしたことで、偽りに生きた人生やバイオリン弾きだったかもしれない人生に、思いを馳せるのである。〈年月は毛布のように積み重なり、同時に存在する。今年は1848年であり、1789年であり、1956年である。(中略)この街はあらゆる時代におけるあらゆる都市である。ここはカブールである。ドレスデンである。ヨハネスブルクである〉
 つまるところ私たちは、先祖のちょっとした選択や運不運も作用した結果、いまこうして現代に生きている。現代もまた生きやすい環境とはいえないかもしれない。それでも理不尽さに負けじと心に安寧を求め、今日この日を過ごしているのだ。人は何に生かされているのか。問うても答えのない問いを抱えた私たちを、マカーイの視線は優しく包み込むだろう。リアリズムだけでなく、マジックリアリズム的な語りや、断章形式もカヴァーし、語り口の多様さでも、私たちを魅了するマカーイ。作家の美質を存分に味わえる一冊である。

 (えなみ・あみこ 書評家)

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