書評
2018年7月号掲載
『ノモレ』刊行記念特集
罪深い私たちの物語
対象書籍名:『ノモレ』
対象著者:国分拓
対象書籍ISBN:978-4-10-351961-4
人類の奥深く眠る遺伝子の記憶が揺さぶられる物語だ。インターネットで覆われた二十一世紀の地球にあって、おとぎ話のように思えるが、これは取材に基づく事実である。
南米ペルー・アマゾンの一つの集落にこんな言い伝えがあった。百年以上前、スペインやポルトガルの男たちが「黒い黄金」と呼ばれるゴムを求めてやってきた。農園では先住民が過酷な労働を強いられた。銃で脅され、感染症で次々と死んだ。多くはイネ族だった。
ある日、イネ族の五人の男が農園主を殺し、奴隷小屋から仲間を解放してみんなで逃げた。捕まれば殺される。故郷での再会を誓って二手に分かれた。一方は故郷にたどり着いたが、もう一方は森に消えた。
故郷に戻った者たちは世を去る時、子や孫を集めてこう言った。「森で別れた仲間(ノモレ)に会いたい。息子たちよ、友(ノモレ)を探してくれ」と。
それから百年が過ぎた現代、イネ族の青年、ロメウ・ポンシアーノ・セバスチャンが本書の主人公だ。「神の母の川」の名をもつマドレ・デ・ディオスの奥深い源流域の近くに集落はある。村には宣教師が服や薬、聖書とスペイン語を伝え、NGOが民主主義と人権を伝えた。ロメウは村のリーダーとして、集落の振興や先住民族の権利拡大に奔走していた。
そんな彼が、ペルー政府文化省に呼び出されたところから物語が動き出す。文明社会と接触したことのない先住民「イゾラド」が現れ、村人が殺された。ロメウに課せられた任務は、政府が設置した拠点で対岸の彼らを監視することだった。と書けば、生き別れたノモレの子孫が再会する感動の物語を想像するが、アマゾンをめぐる現実は単純ではない。
始まりは彼らのSOSだった。娘がけがをした、助けてくれと。治療をきっかけに交流が始まった。彼らの言葉はスペイン語の影響を受ける前の祖父母の言葉に似て、懐かしかった。ロメウは彼らをノモレだと信じた。
対岸の家族はだんだん増える。本名も名乗った。信頼の証だ。ある日、ロメウは別れ際に言われる。「お前の家族に会いたい」。
イゾラドとの意図的な接触は違法であり、今の距離を保ちつつ部族の実態を探ることがロメウの務めだ。過去には、森林や鉱物資源目当ての不法侵入者によって殺されたり、病に感染させられたりして絶滅した先住民族がいる。悲劇を繰り返さないためには保護するしかない――というのは大義名分で、観光による外貨獲得という目論見が隠されていた。
「自分は何者なのか」。ロメウは自問する。「自分はペルー社会の一員である以上に、イゾラドの末裔なのではないか。土地を奪われ、病気で死に、奴隷となってもなお森で生き延びてきた彼らの、営みを受け継いできたはずの子孫なのではないか。/とすれば、自分が信じるべきものとは、森のルールなのではないか」。
本書には時折、先住民族の伝承が配置される。端的だが、今あるものを確かに感じとろうとする表現で、そこだけ時間の流れがゆるやかになる。「音がすると、足は止まる。/どんな音でも、足は止まる」。彼らの世界では、危険を察知するのも意思を伝えるのも音だ。「森に雷鳴が響いても怖くはない。/雷がどのようなものか、わたしはよく知っている。大昔から知っている」。「わたしは、あの音だけを恐れる。/森で聞いたことのない、あの音だけを恐れる。/森にはない音がすると、耳を塞ぐ。/怖くなって、わたしは森を逃げる」。
文明の言葉と非文明の言葉の対比によって、文明社会が先住民族の何を破壊してきたのかが浮きぼりになる。流れの異なる時間と時間がぶつかって時空がゆがむ。本書が描くのは、その瞬間だ。
奥アマゾンの先住民族ヤノマミとの暮らしを描いた前作から八年。本作では取材者は黒子となり、一貫してロメウの視点で描かれる。文明の境目に生きる先住民族同士の出会いと別れが、新たな物語として語り継がれる未来を示唆して、本書は幕を閉じる。背景には私たちの姿が見え隠れする。『ノモレ』は、罪深い私たちの物語でもある。
(さいしょう・はづき ノンフィクションライター)