書評・エッセイ

2018年7月号掲載

無謀なる鳥類学者は超優秀? それとも…

――川上和人『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』(新潮文庫)

仲野徹

対象書籍名:『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』(新潮文庫)
対象著者:川上和人
対象書籍ISBN:978-4-10-121511-2

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 この本のタイトルを見たとき、心底驚いた。まともな研究者は、基本的に専門外の領域に口出ししない、という不文律がある。それが、大胆にも鳥類学者が恐竜を語るというのだ。
 こういうことをする輩(やから)は、とてつもなく優秀かアホかのどちらかと相場は決まっている。「世のなかには2種類の人間がいる。恐竜学者と鳥類学者だ」。冒頭にある意味不明な文章を読んだだけで、とりあえずアホの可能性が高そうである。
 タイトルには「無謀にも」と断ってあるから、それなりの謙虚さを漂わせているふうではある。しかし、「矛盾には気づかぬふりをし」、「包括的な大いなる愛をもって」、「ほころびに目をつぶり無批判に」、「協力的読法」で読んでほしいと懇願するとは何事だ。本を書く人は誰もがそう思っている。何を隠そう私もそうだ。しかし、こういうことは、恥ずかしいから書かへんのが普通やろ。
「はじめに」を読み終わったあたりで、早くも読者は二通りに分かれるだろう。「なんやこの川上いう奴は、川上どころか研究者の風上にも置かれへんから、読んだらへん」派と、「むっちゃおもろそうでワクワクしてきたわ」派、である。私は心ある生命科学者であるから、当然前者であるべきだ。しかし、それ以前に心優しきおっさんであるから、粛々と読み進めることに。
「恐竜のことはわからないことだらけなのだから、鳥から類推するしかない」というのが、本書の基本的スタンスである。おぉ、そういわれたら、確かにそうだ。恐竜学がいかに進歩しようとも、生きた恐竜がいる訳ではない。生態や羽毛の色など、鳥研究の方がはるかにデータは多い。
 かといって「この大前提に賛成できない読者は、庭で飼育しているヤギにこの書籍を食べさせた末に、ヤギ乳でも飲み、健康増進に邁進(まいしん)すればよい」という言いぐさはなかろうが。だいたい、読者のうちに庭でヤギを飼ってる人がどれだけおるっちゅうねん。
 罠にはめられたような気もするが、うちにもヤギはおらんので、さらに読み進めるしかなかった。ただし、ええ加減なことを書いとるんとちゃうやろうなぁと、「協力的読法」の対極にある、川上氏が忌み嫌う「批判的読法」をとりながら。
 このあたりで、はっきり言わねばなるまい。この本、悔しいことに、えらくおもろい。それだけでなく、内容的にもしっかりしている。恐竜とはどんな生物であったか、恐竜と鳥の類似点と相違点、そして、恐竜(の一部)がどのようにして鳥へと進化したかが、学問的かつ楽しく紹介されていく。圧巻は「無謀にも鳥から恐竜を考える」と題された第3章である。鳥類学の成果から、恐竜がどのような色であったか、どのような生態であったか、などが奔放に考察されている。
 しかし、ちょっと気になることもある。鳥類学者の割に恐竜に詳しすぎるんとちゃうんか。ちゃんと鳥類研究してるんか、一応は国立研究開発法人の主任研究員やのに。まぁ、『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』(新潮社)を読む限りは大丈夫そうであるから、まけておくことにしよう。こんな全鳥類を敵にまわすようなタイトルの本を書いている川上氏だが、その鳥類愛は人一倍であることが全編を通じて感じ取れる。やや偏愛気味なので、鳥類にとっては迷惑だろうという気がしないでもないほどだ。
 この本の最大の魅力は、極めて緻密な科学的考察と、川上氏の独創的(あるいは独断的)な解釈がうまく組み合わされているところにある。前者だけでは無味乾燥になってしまうし、後者だけではトンデモ本になりかねない。悔しいが、そのあたりの塩梅(あんばい)が絶妙なのである。
 たとえば、シソチョウが飛べたかどうかについての考察をひとしきり鋭く解説した後で「あの格好で飛べなかったら詐欺だ。科学的論拠はさておき、私はシソチョウは飛べたと直感的に信じている」と断言する。
 さらに、「うん、我ながらじつに科学的でないが、ときには直感も大切な判断材料であることをご理解いただきたい」と続く。こういった強烈かつ極めて高度な「ひとりボケツッコミ」が随所で繰り広げられている。おもろすぎるやんか。
 最後に、優秀かアホか問題についての結論を出さねばなるまい。どうやら、川上氏はとてつもなく優秀にしてアホな鳥類学者のようである。まぁ、あくまでも直感ですけど。

 (なかの・とおる 大阪大学大学院教授、生命科学)

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