書評・エッセイ

2018年8月号掲載

特別な時間から新しい特別な時間へ

――柴崎友香『公園へ行かないか? 火曜日に』

藤野可織

対象書籍名:『公園へ行かないか? 火曜日に』
対象著者:柴崎友香
対象書籍ISBN:978-4-10-301833-9

 アイオワ州アイオワシティにあるアイオワ大学では、毎年インターナショナル・ライティング・プログラム(IWP)という企画が開催される。世界中から40人弱の作家が招かれ、およそ3ヶ月の日々をともに過ごすライター・イン・レジデンスである。今年で51年目になる。
 本書は、49年目にあたる2016年にこのインターナショナル・ライティング・プログラムに参加した作家が、そこでなにを見て、聞いて、考えたのかを11の短篇のかたちで記録した小説集だ。
 作家は他国からの参加者たちに誘われ、会話を交わしながら、目的地をはっきりと把握しないままにパークを目指す。香港から来たヴァージニアと、日曜の夜にホラー映画を見るクラスへ通う。何人かで、チャックというよく知らない男性のいとこのとうもろこし畑を見に行く。インターナショナル・ライティング・プログラムはニューヨークへの旅行で解散するが、その後滞在を3日延長して、トランプ大統領の誕生を目撃する。ニューオーリンズの、第二次世界大戦博物館で知ったこと。居住スペースとして割り当てられたホテルの部屋のこと。アイオワでの生活、たくさんの本や映画や音楽、政治や経済、他国の作家たちと話したことや彼らの国の状況について、また彼らとのおもなコミュニケーションの手段である英語のこと、あるいは作家の体から湧き起こる、作家自身の言語のこと。たえまなく押し寄せるさまざまな情報が、読む者の頭と心の両方を揺さぶる。
 なかでももっとも読む者を激しく揺さぶるのは、この作家の、知りたい、理解したい、感じ取りたいという切実な欲望である。作家を行動させ、考え続けることを強いるその欲望は、知ること、理解すること、感じ取ることができる範疇をやすやすと突き破る。決して知ることができない、理解することができない、感じ取ることができないということそれ自体を、この作家は知り、理解し、感じ取ろうとしている。世界に対するそれ以上に誠実な態度を、私は知らない。それはもちろん、この小説以前の小説でも、ずっとこの作家が試みてきたことだった。
 以上のすべては、作家の目の前をやって来ては通り過ぎていく現象としてではなく、作家が世界ごとここまで運ばれてきて、引き続き世界ごと運ばれていくのだという深い実感とともに書かれている。それはつまり、私たち読者もまったく同じ、世界ごと運ばれていく最中なのであるというたしかな実感をもたらす。
 ところで、私はこの作家の翌年、プログラムの50年目に当たる2017年の参加者だ。その立場から読むと、読んでいる間中、胸がしめつけられて、涙をこらえるのに必死だった。なぜなら、収められている11の短篇はどれもプログラムの終わりについて触れているからだ。プログラムが終わるのは、本当に悲しかった。帰国の途上は、こう書かれている。「搭乗口に近づくと、日本語が聞こえた。日本人の会社員男性たちと、若い女性の旅行者グループ。わたしは、日本語を聞きたくなかった。聞いてしまった、と思った。特別な時間はもう終わったのだと、わかった」。私にも、まさしくこのとおりのことが起こった。私は友人たちとの別れが悲しく、作家として彼らと共にあった空間との別れが悲しく、私がじゅうぶんに理解することのできなかった彼らの英語との別れが悲しく、私自身の拙すぎる英語との別れが悲しかった。書かれているとおり、特別な時間は終わってしまったのだ。
 でも本書は、この作家が新しい特別な時間に踏み出していることの証である。私もこの本を見つめながら、いつか私の新しい特別な時間を探り当てたいと思う。

 (ふじの・かおり 作家)

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