書評

2018年8月号掲載

僕たちの〈かえるとこ〉。

――畠中恵『むすびつき』

平野良

対象書籍名:『むすびつき』
対象著者:畠中恵
対象書籍ISBN:978-4-10-146138-0

 今、何回目の人生なんだろうって、たまに考えることがあります。人間一回目ではないと思いたいですが、二十年くらい役者をしているのに仕事でイライラしてしまう時など、まだ徳を積めていないなぁと。まだまだ僕の転生は続くのでしょうね......。そして、「しゃばけ」シリーズ第17弾の『むすびつき』は、まさに僕が信じている輪廻転生をテーマにした作品集です。
"生と死"は、これまでも様々な表現がなされてきました。太陽フレアみたいに爆発するようなものだと言う人もいれば、全ての物体は素粒子で出来ていて、その全てには命があり、それらは巡っているだけだと表現する人もいます。人間は儚い存在であるがゆえに、生と死に対してあらゆる思想を持ってきたわけです。一方で妖(あやかし)は、いつまでも生き続けられるし、生まれ変わることもない。つまり、輪廻転生という概念を持っていません。著者の畠中恵さんは、そんな妖に転生について語らせ物語をナビゲートさせ、妖の対比として、人、そして輪廻転生を描いていらっしゃいます。だから、とても分かりやすいし、人の命は弱くてもちゃんと灯っていることが全編を通して伝わってきます。「しゃばけ」と言えば、病弱若だんなを妖たちが支えるという枠組みのお話ですが、これまで以上に人と妖の在り様や思想の違いを感じました。
 本作は五本の短篇で構成されていますが、その中のひとつに、「人の姿だろうと、鳥だろうと、草だろうと、どんなものだろうと、命は引き継がれていくのだ」という一文があります。他の短篇でもまたフックとなる文章に出会えて、それらが各篇を互いに結びつけ、輪廻転生という大きなテーマが浮かび上がってきます。
 スタートを切る「昔会った人」は、長崎屋の皆への輪廻転生着火剤です。広徳寺に預けられた蒼玉という石の付喪神に見覚えがあった貧乏神の金次が、皆に当時のことを語るのですが、彼は二百年前の蒼玉の持ち主を回想して、「酷く懐かしいような」気になります。続いて、「ひと月半」は若だんなが湯治で不在ですが、その存在感が一際際立つ作品でした。屏風のぞき達が留守番をしていると、長崎屋に死神が三人もやってきて、「若だんなは死んだ」と告げますが、皆、信じられず、偽物の死神が誰かを探るというお話です。余談ですが、この作品にかぎらず、屏風のぞきが登場すると、ミュージカル「しゃばけ」で共演した屏風のぞき役の藤原祐規さんの姿がちらつくちらつく(笑)。結果的に兄やである仁吉が事件を解決するのですが、その時、「死神に捕らわれるのは、怖いだろうがな。(中略)真っ当に冥土へゆけて、輪廻の輪に乗れる」と語ります。妖ならではの解釈で、僕は死神をそう捉えたことなんてなかったな。表題作にもなっている「むすびつき」は思い込みの激しい鈴彦姫がとにかくかわいい。若だんなと縁をむすびつけたい鈴彦姫は、「人と妖では、何かが大きく違うと感じる」と落胆すると、猫又のおしろが「過ぎてゆく時の速さも、意味も、何だか違うような気がしますね」と言います。本来なら、永遠の命を持つ妖は、時の速さなんて考えないと思いますが、長崎屋に縁のある妖たちは若だんなの近くにいるから、妖と人との違いを常に実感してしまうし、時の速さの意味も理解している。それでも、若だんなと今、この一瞬を一緒にいたいと強く想っているんですね。「くわれる」は栄吉ファン、必読です。侠気溢れる栄吉に注目してください。そして、ラストを飾る「こわいものなし」では、これまでのフックも全て回収され、まさに今回のテーマの真骨頂に達し、まさにエクスタシー! とある人物が死んでしまい、輪廻転生することになります。けど、人として生まれ変われるわけではなくて、かわいそうな展開が待ち受けています。終盤で若だんなが「繰り返される死の果てまで行かねばならない」と語るのですが、輪廻転生する覚悟をもって、今、生きていることを味わいなさいと言われているような気がしました。
「しゃばけ」シリーズを読んでいると、田舎の実家で、おばあちゃんに大切なことを教えてもらっているようなノスタルジーを感じます。きっと、難しい言葉は使っていないのに、ひとつひとつの言葉が強い力を持っていて、まるで紙芝居がめくられるときに僕たちが次の絵を想像するような、そういう空間が文章に含まれているからだと、僕は思います。そして、「しゃばけ」の事件は、人の心のもつれが原因で起こることが多いので、解決したとき、気持ちがほっこり温かく優しくなる。しかも、とてつもない包容力もある! 「しゃばけ」シリーズを読めば、いつでも「ただいま感」を満喫できますよ。

 (ひらの・りょう 俳優)

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