書評
2018年8月号掲載
衝撃の展開が待つ遺作長篇
――加藤廣『秘録 島原の乱』
対象書籍名:『秘録 島原の乱』
対象著者:加藤廣
対象書籍ISBN:978-4-10-133059-4
2018年4月7日、歴史小説作家の加藤廣さんが亡くなられた。享年八十七。七十五歳になる直前に、織田信長の遺骸が本能寺から消えた謎を追う『信長の棺』で遅咲きの小説家デビューをした加藤さんは、一躍、人気作家になった。
「忠臣蔵」では悪役とされる柳沢吉保を、四十七士の討ち入りを助けた能吏とした『謎手本忠臣蔵』、今川義元が討たれた桶狭間の戦いの背後には「山の民」の暗躍があったとする『空白の桶狭間』など、歴史を大胆に解釈した加藤さんの作品は伝奇小説色も濃かったが、その持ち味が遺憾なく発揮されているのが、遺作となった『秘録 島原の乱』である。
大坂城落城から島原の乱に至る歴史を、豊臣秀頼の薩摩落ち説、天草四郎の秀頼ご落胤説など有名な巷説を交えながらダイナミックな物語に仕立てた本書は、『明智左馬助の恋』や『求天記 宮本武蔵正伝』に繋がるエピソードもあるので、加藤さんの集大成といっても過言ではあるまい。
第一部「秀頼九州落ち」は、大坂城を徳川の大軍に囲まれ敗戦が決定的になった秀頼が、キリシタンの明石掃部(かもん)の手引きで落ち延び九州へ向かうことになる。だが既に徳川幕府の権威は固まり、豊臣恩顧や反徳川の大名であっても簡単には秀頼一行を受け入れてはくれない。秀頼が、"利"をちらつかせて交渉を自分たちのペースで進めようとするところは、長くビジネスの世界で活躍した加藤さんらしさが出ている。
何とか九州に落ち着いた秀頼たちが、仲間を集め徳川と戦う準備を進める展開になるのかと思いきや、第二部「女剣士の行方」では、真田忍者の小猿を連れた若き女剣士の小笛が主人公になる。富田重政に剣を学んだ小笛は、改易され信濃川中島の配流地で客死した福島正則から、家康が秀頼の身命安堵を約したとされる密書を託されていた。九州で秀頼に合流した後、天下の趨勢を見極める旅に出た小笛は、徳川の世に不満を持つ人物を訪ね歩くので、ロードノベルとしても、一種のスパイ小説としても楽しめるだろう。
武術好きの三代将軍・徳川家光が開いた御前試合が舞台となる第三部「寛永御前試合の小波」は、柳生刑部(ぎょうぶ)(宗矩の次男・友矩)と、柳生家と並び将軍家兵法指南役を務める小野家の二代宗家・次郎右衛門忠常の試合という好カードから始まる迫真の剣豪小説となっている。物語が進むと、益田四郎なる謎の美少年が、薩摩示現流の東郷藤兵衛の代理として登場し、柳生又十郎宗冬と戦うことになる。女剣士とされる四郎の母は、小笛なのか? 四郎は美少年好きな家光の手から逃れるため九州へ向かい、それを追う剣客も放たれたことから、九州は一気に幕府派と反幕府派がせめぎ合う場所となる。
中盤までは章が変わるたびに局面が変化するので、次にどんなドラマが待ちかまえているのかが読めず、それが圧倒的なスリルを生んでいた。決起が迫ったと判断される第四部「救世主のもとに」になると、周到に張りめぐらせた伏線を回収しながら、島原の乱へ向けて進む怒濤の展開となる。
島原の乱には、反徳川軍を率いた天草四郎時貞は何者だったのか、なぜ幕府は戦下手の板倉重昌を最初に派遣したのかなど幾つもの謎がある。加藤さんは、剣客と忍者が死闘を繰り広げる波乱の物語を通して、これらの謎に説得力ある仮説を提示しており、衝撃を受ける読者も多いのではないか。
加藤さんは、天下を取った徳川家に敗れた者たちが、返り咲きのために戦ったのが島原の乱だったとする。それだけに秀吉の子孫を再び天下人にする計画は、九州での蜂起に留まらない壮大なものになっていた。有名な戦国武将たちの子孫が戦火を交え、そこに幕府隠密として諸国をまわっている柳生十兵衛、太平の世に馴染めない宮本武蔵らも参入するクライマックスは、戦国最後の合戦に相応しい迫力である。
絶対的な力を持つ徳川家に対し、敗者たちが戦いを挑む本書は、現実では敗者、弱者が一矢報いるのが難しいだけに痛快に思えるはずだ。ただ加藤さんは、悲劇で終わった島原の乱を描くことで、力に力で対抗することの無意味さに切り込んでいた。愚かな人間が理想の国を作れるのかを突きつけたラストは、現代社会はこのまま弱肉強食のルールを続けてもよいのかを問い掛けているだけに、重く心に響いてくる。