書評

2018年9月号掲載

目に見えない世界へ触れる回路

――野村進『どこにでも神様 知られざる出雲世界をあるく』

彩瀬まる

対象書籍名:『どこにでも神様 知られざる出雲世界をあるく』(新潮文庫改題『出雲世界紀行―生きているアジア、神々の祝祭―』)
対象著者:野村進
対象書籍ISBN:978-4-10-121517-4

『ねないこだれだ』というロングセラー絵本がある。夜更かしをする子供はおばけにつかまって、おばけにされて、おばけの国に連れ去られる。そんな大人からすればかなり怖いストーリーの絵本だ。
 しかしこの本、子供に大人気なのだ。どうやら「おばけにされて、おばけの国に行く」というくだりに形容しがたい魅力を感じるらしい。
 子供ってなんでこんなにおばけが好きなんだろう。保育園の送り迎えをしながら首をひねっていたところ、その答えをばん! と与えてくれるすごい本に出会った。野村進著『どこにでも神様 知られざる出雲世界をあるく』だ。
 縁あって島根県を訪ねた著者が、石見(いわみ)神楽という艶やかな伝統芸能に出会い、それを入り口に「出雲」という土地を歴史、文化の両面から探求していく本だ。こう書くとまるで難解な文化研究本のようだが、実際は第一章のタイトルからして親しみやすい。「出雲はバリ島である」。マジですか!
 石見神楽とバリ舞踊の類似点を検証したり、最近話題の「神社ガール」たちと神社を巡ったり、水木しげるロードのヒットのわけを探ったり、水木しげるの話を聞きに京極夏彦を訪ねたりと、この本が行うアプローチはいずれも面白く、現代性が高い。それは著者の手腕であると同時に、山陰地方がまさにリアルタイムで進化を重ねる、生きた伝統を持つ土地であることを意味している。
 それを端的に表すのが石見神楽だ。絢爛豪華な衣装と迫力のある面を着け、賑やかな笛や太鼓の音と共に舞うこの地方特有の伝統芸能は、テレビやゲームを超える最強のエンターテインメントとして地域の子供たちに愛されている。伝統芸能の担い手といえば高齢者のイメージが付きまとうが、石見神楽はむしろ子供たちが「観たい!」と親や祖父母を連れてくるらしい。彼らは神楽ごっこに熱中し、クリスマスになにが欲しいと聞かれれば「神楽のお面」と答え、成長後は憧れの神楽団へ入り新たな担い手となっていく。若手の参入が途切れないことで団体数は年々増え続けているという。こんな伝統芸能が現存しているとは、にわかには信じがたい話だ。
 生きた、豊かな、伝統。そんな貴重なものと共に生活するのはどんな感覚だろう。しかも神楽の世界には、神様がいるのだ。
 他にも、本書を通じて著者が解き明かした出雲文化には多くの「目に見えない世界」への入り口が存在する。その代表が平成二十八年に平成の大遷宮が完了した出雲大社であり、水木しげるが描いた妖怪である。作中で水木しげるのこんな言葉が引用されている。

「目に見えないものがいると思うと、水木サンの心は妙に落ち着き、気持ちが和み、元気に幸せになります」

 著者が取材した神主によると、神社ガールを始めとする悩み疲れた若者たちは神社に助けを求め、心配事を預けに来るのだという。水木しげるは他にも「妖怪は庶民の願望が現われています。(中略)現実が貧しく、儒教や仏教の信仰、道徳では満たされないところを別世界に遊ぶわけです」とインタビューで答えている。
 また、ある石見神楽の舞い手はこのように語る。

「面をつけるたびに、自分じゃない、いろんな人格が出てきますから(中略)。姫を舞っとるときには妖艶な部分があらわれますけど、鬼女のときにはがらっと気概が変わります」

 そしてある高名な団体を作り上げた石見神楽のスーパースターは、舞子だけでなく、それを観ている観客もその瞬間、神や鬼になれるのだと言う。
 目に見えない世界へ触れる回路を得たとき、私たちの精神はそれまでの世界では許されなかった形で解放され、大きな喜びと安らぎを得るのだ。そこでは人の体に神や鬼を宿すことだってできる。なんと豊かで、幸せなことだろう。
 物質的な世界に生まれて日の浅い子供たちは、目に見えない世界の楽しさを感じ取っているのだ。だからおばけに惹かれる。その世界を通じなければ現せないものがあると知っている。
 おばけ、馬鹿にしちゃだめだな。親子でおばけの話をちゃんとしよう。そうしみじみと感じ入る読書だった。

 (あやせ・まる 作家)

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