書評

2018年9月号掲載

北極裏面史をえぐる捕鯨船サスペンス

――イアン・マグワイア『北氷洋 The North Water』(新潮文庫)

角幡唯介

対象書籍名:『北氷洋 The North Water』(新潮文庫)
対象著者:イアン・マグワイア著/高見浩訳
対象書籍ISBN:978-4-10-220161-9

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 十九世紀、北極圏の海上で鯨油採集を業務としていた捕鯨船が物語の舞台だ。冒頭いきなり凄惨な殺人の場面からはじまる。殺人者はドラックスという捕鯨船の腕利きの銛打ちだ。泥酔し、悪臭をはなつドラックスは残忍で不気味な男であり、港町の酒場でたまたま出会った男や奇妙な色気を放つ少年を、いずれも大した理由もないのに殺害する。彼は何の屈託もなく機械のように生身の人間を殺すことができる男である。一方、主人公は船医として雇われたサムナーという男だ。英国領インドでの戦争引揚者である彼は何か秘密を隠しているようで、しばしば阿片を吸っては現実から逃避し、忘我の境地をさまよう。インテリである彼は気の荒い船員と一定の距離をたもち、時折船室でひとり『イーリアス』を読んで自分だけの世界に閉じこもる。
 他の登場人物たちもどこか皆、いわくありげだ。船長は前回の航海で船を沈没させてしまった不運な男なのだが、なぜか船主はこのツキに見放された呪われた男を雇用する。二人の間には何やら密約があるらしい。航海士も評判の悪いやけっぱちな男で、航海中にドラックスとともにサムナーの秘密を握り、機会をうかがって亡き者にしようとする。こうしてそれぞれの思惑をかかえながら捕鯨船は鯨をもとめて北上する。ところが、嵐に遭遇し、氷塊の圧力で船が沈没したことから物語は予期せぬ方向へ流れていく。人智を超えた自然の猛威が、この航海に対して抱えていた船員たちの各々の思惑を押しつぶし、彼らを無力な単なる一人の人間に差し戻し、北極の氷原の上に投げ出したのだ。航海中にも殺人に手を染め地下倉に幽閉されていたドラックスは、これを機会に氷の向こうに姿を消す。一方、サムナーらほかの船員は生き残りをかけて別の捕鯨船を探すが、それもうまくいかず、やがて死の影が忍び寄ってくる。
 著者がこの物語に込めたモチーフは、強いていえば二元論的世界からの脱却であろう。海の世界は記録に残らないので詳細は知られていないが、北極探検史において捕鯨船は隠れたキープレーヤーであった。鯨を求めて氷海を渡り歩いた命知らずの男たちは、海軍が派遣する正規の探検隊より、ときにははるか北の彼方まで船を進ませることもあったのだ。欧米による近代探検事業とは、言ってみれば地図の向こうに広がる未知の世界を自分たちとは異質なものとして切り離し、利用のために開拓しようとする活動のことだった。つまり自然を対象ととらえて素材とみなす西洋の二元的思考があって初めて成立する営為である。その意味で北極探検の隠れた担い手であった捕鯨船は、この二元論的世界観の正当な継承者だったといえる。なにしろ捕鯨は油を抜き取ってエネルギーとして利用するためだけに海の支配者である鯨を殺害する血も涙もない経済活動である。銛打ちであり、腕利きの鯨殺しであるドラックスは、まさに西洋的二元論が生み出した鬼っ子なのだ。
 船員たちは終始このドラックスの悪事に手を焼き、持て余す。それは二十一世紀の現代になってもまだまだわれわれの思考にはびこる近代という時代の残滓との格闘のようにも読める。ドラックスの無軌道な暴挙に対抗させるため、著者が主人公のサムナーにとらせた方策が自然との和解だった。飢えに苦しみ氷原を彷徨したサムナーは白熊を発見し、これを射殺、死骸にくるまって凍死を免れ、最後はエスキモーに助けられて生き延びる。白熊は北極の王者であり、北極そのものだ。その毛皮に包まれることでサムナーは北極の大地との一体化を果たし、自然を素材としてしか見なさなかった近代的二元論を超克する。そしてドラックスとの最終対決に挑むのである。
 深いテーマ性だけではなく、いくつもの伏線を絡めた複雑なプロットで仕上がったこの小説は、スリリングな展開のエンターテインメント作品でもある。人物の造形も個性的で、魅力的だ。港町の酒場の薄暗い様子や、氷原での海豹狩りの血腥い現場の雰囲気も、読んでいてまるで臭いが漂ってくるほどリアリティにあふれている。言葉のひとつひとつに重みをきかせた文体で物事の表層をはぎ取り、その奥にひそむ本質をえぐり出して、死に彩られた陰鬱な極地捕鯨船の世界を生々しく描こうとする。そんないかにも英国らしい質実で実直な小説である。

 (かくはた・ゆうすけ 作家)

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