対談・鼎談
2018年9月号掲載
対談 坂口安吾『不連続殺人事件』新潮文庫化!
ミステリ作家・坂口安吾の独創
北村薫 × 戸川安宣
対象書籍名:『不連続殺人事件』(新潮文庫)
対象著者:坂口安吾
対象書籍ISBN:978-4-10-102403-5
――坂口安吾の傑作ミステリ『不連続殺人事件』がついに新潮文庫に入ることになり、底本を初出の「日本小説」連載版(一九四七~四八年)にしました。つまり、所謂(いわゆる)「読者への挑戦状」もつけたわけです。「挑戦状」は「この探偵小説には私が懸賞をだします。犯人を推定した最も優秀な答案に、この小説の解決篇の原稿料を呈上します」と始まり、作品中に何度か、例えば「伊東の住人尾崎士郎先生、訪客に告げて曰く、坂口の探偵小説は、ありゃキミ、犯人は『私』にきまってるじゃないか。坂口安吾の小説はいつも『私』が悪者にきまってらア。だから、ハ、犯人はアレだ、『私』だよ、ウン、もう、分った。オイ、酒をくれ。/三鷹の住人太宰治先生、雑誌記者に語って曰く、犯人はまだ出て来やしねえ。最後の回に出てくる。たった一度、なにくわぬ顔をだす、そいつだよ。きまってるんだ。最後の回にたった一度、何くわぬ顔のヤツ。オバサン、ビール。じゃんじゃん、たのむ。/この両探偵は作者の挑戦状を受けるだけの素質がない。一目リョウゼンだから、細説は略す」などという楽屋落ちふうの経過報告も入って、実に面白いものです。
この「挑戦状」を本篇と共に一冊にするのは初めての試みではなく、既に『日本探偵小説全集』(全十二巻・創元推理文庫)の安吾の巻(第十巻『坂口安吾集』・八五年刊)がこの形で刊行されています。その編集に携わられたお二人に『不連続』の魅力について語って頂こうと......。
北村 今日は歯の治療に行って来たんですが、そちらと同じで......シカイ次第ということで。
――えーと(笑)、北村さんがこの全集の編集に関わられた経緯は『自分だけの一冊 北村薫のアンソロジー教室』(新潮新書)でも触れられていますが、まだ作家デビューされる前のことですね。東京創元社の編集者だった戸川さんが声をかけられた。
戸川 そう、北村薫になる前の北村さんにお願いしたんです。創元推理文庫というのは一九五九年の創刊で、私が東京創元社に入社したのは七〇年でした。創元推理文庫ではずっと海外のものしか扱っていなかったのです。私は日本の作家も入れたいなと長年思っていまして、「クイーンやドイルをやっているように、日本の名作も入れる器にしたい」とつねづね編集長に言ってきたのですが、「日本ものは難しいんだよ」と却下され続けてきました。いざ自分で決められる立場になってみると、確かに二十数年海外ものを謳ってきた文庫に、いきなり鮎川哲也だ、都筑道夫だとは入れにくいんですね。やはり従来の読者にすんなり納得してもらえるものじゃないといけない。そこで思いついたのが『日本探偵小説全集』だったわけです。監修は中島河太郎先生にお願いするとして、全体の〈見取り図作り〉を誰に頼もうかと考えた時、すぐ頭に浮かんだのが北村さんでした。北村さんがワセダミステリクラブ、僕が立教ミステリ・クラブにいた頃から――僕が二歳年上――の知り合いです。早速電話して、三笠会館で会ったんじゃないかな。
北村 大学時代から知っている尊敬する先輩で、戸川家が家族旅行に出かけた折の留守番まで――クーラーのかかった部屋で、鮨の出前を取って、乱歩の「少年探偵団」の全集を読んでいい、という当時としては破格に贅沢な条件で――仰せつかったこともありました(笑)。しかし、日本の探偵小説の全集を編むとなると、責任重大だし、名誉なことでもあるし、「えっ、僕がそんなことやっていいんですか」と答えたことを覚えてます。三笠会館で会うまでに電話で何度もやり取りして、巻立ての素案は概ね出来ていました。
戸川 全集って、いろんなことを考えなくちゃいけないんですよ。例えば、一巻の厚さをどうするか? 夢野久作はどうしても入れたい。当然、『ドグラ・マグラ』は外せないだろう。あれ一作というわけにもいかないから短篇も一つ二つ入れる、解説も入れるとなると、ざっと計算して八〇〇頁くらいになる。じゃあ、全巻それくらいの厚さでいこうと。その厚さに入る分量の作品で考えてくれないか、なんて北村さんと電話でやり取りしていたわけです。
北村 あとは、時代をどこで区切るか――。
戸川 それも問題でしたね。明治の黒岩涙香から始めるとして(注・第一巻は『黒岩涙香 小酒井不木 甲賀三郎集』)、どこまで入れるか。重要度から言っても横溝正史は入れたい。ただ横溝さんは古い人だけど、代表作は戦後のものです。しかし戦後の作家まで入れるとなると、著作権の問題もあるし、人数も増えるし、きれいに「ここまで」という線を引くのも難しくなる。そしたら、北村さんが「戦前にデビューした作家ということにしたら」というアイデアを出した。これは面白いし、線引きがきれいにいきますよね。僕が感心していると、北村さんは嬉しそうに「そうすると安吾も入るんですよ」。安吾もデビューは戦前で、『不連続殺人事件』は戦後の作品です。
北村 巻立ての素案が出来て、中島河太郎先生に見せに行ったんです。当時としては、夢野久作、小栗虫太郎、久生十蘭などが一人一巻になっているのは冒険でしたが、これにはすぐ賛成して頂いた。
戸川 戦後の流れを振り返ると、横溝さんも再び書き始め、高木彬光さん、鮎川哲也さんなど本格派が出てきた。やがて松本清張さんをはじめ社会派が登場して、「絵空事のミステリはダメだ」と盛んに言われたのですが、また時代がかわって、「現実べったりではロマンが足りない」と〈大ロマン〉の復活が起きたわけですね。それまで異端視されていた夢野、小栗、久生などが若い世代に読まれるようになってきました。
北村 そこまではスムーズだったのですが、「なるほど、そういう問題があるのか」と知ったのが、『浜尾四郎 蒼井雄集』というプランでした。中島先生曰く、「蒼井雄はプロではない(注・電力会社の技術者だった)。全集に入るかどうかは作家にとって大きな問題なんだ。入らない専門作家がいるのに、アマチュアの名前が巻名に出ると反発される」と。これはもう言ってもいいのかな、ある社の全集で中井英夫の『虚無への供物』を一巻にすることに反発があったというんです。
とはいえ、戦前の本格ミステリを考えた時に蒼井雄の『船富家の惨劇』は落とせないので、『名作集』(第十二巻『名作集2』)に入れました。浜尾四郎は水谷準と一巻にする手も考えたのですが、中・短篇にもいいものが多く、浜尾一人で一巻になった。でも、それで良かったんですよ。昔、『殺人鬼』を読んだ時はつまらなかった印象があったけど、全集に入れるために読み直したら非常に面白かった。最初に読む時はどうしても「犯人は誰か」などと考えるけど、再読の時は余裕があるから、そういうところでがっかりはしない。戦前に日本へ本格ミステリを根づかせようとした浜尾の心意気や努力が読み取れて。
戸川 浜尾もプロ作家ではないけど(注・検事、弁護士。古川ロッパの兄)、専業でこそなかったが、乱歩などとも親しく、当時から扱いは特別だった。たしか先生はそうおっしゃいました。
クリスティに匹敵する
北村 大学一年生の時、ワセダミステリクラブに入ろうと思ったのですが、溜り場が〔モンシェリ〕という魔窟のような喫茶店でした。春まで順良で素朴な高校生だった私はそんなところに足を踏みいれたことがない。おずおずと店に行くと、ひとりの若者が近づいてきた。「ミステリの方ですか?」と聞かれ「そうです」と答えました。これが後に評論家になる瀬戸川猛資さん。「ミステリの国内外のベスト5を書いてください」と言われて、鮎川先生の作品とか『黒死館殺人事件』(小栗虫太郎)などと一緒に『不連続殺人事件』と書いた。そしたら瀬戸川さんが「ほう、『不連続』ですか! いいですねえ」といかにも嬉しそうな声をあげた。ですから、『不連続』にはワセダミステリクラブへまさに入った時に瀬戸川さんが喜んだ作品、という個人的に大切な記憶があります。
戸川 すると、大学に入る前に読まれていたんですね。僕は遅くて大学に入ってから読んだのですが、まったく記憶に残ってない(笑)。
北村 高校生の時、新書判で読みました。風邪をひいて、横になりながら読んだ記憶があります。登場人物が多くて読みにくいなと思いながらページをめくっていたのですが、最後まで読むと安吾の小説作りの巧みさに感心させられました。『不連続』との類似で有名なクリスティの『×××××』は読んでいなかったから、全く引っかかりませんでしたし。
――『×××××』は『不連続』執筆時に翻訳は出ていませんが、発表は戦前ですね。安吾はあれを......。
戸川 読んでいなかったでしょうね。まだ翻訳が出てなくてよかった。読んでいたら――。
北村 安吾が読んでいたら、『不連続』は書かなかったでしょう。確かに似たところはあるけど、安吾は明らかに自分の独創を信じて書いています。
とりわけ独創性を感じるのは、巨勢(こせ)博士が「この犯人は天才でさアね。インテリ型のケチな小細工がてんで黙殺されているところなど、アッパレ千万というものでさ。扉を糸に結んで自然にしまる装置をするとか、密室の殺人を装うとか、そういう小細工は小細工自身がすでに足跡というものでさア。すでに一つの心理を語っているではありませんか。この犯人は、常に心理を語ることを最も怖れつつしんでいまさアね。この怖るべき沈黙性は、犯人が天才の殺人鬼である証拠でしょうな」と言う箇所です。ここで安吾は、巨勢博士の口を借りて、従来の探偵小説とは違う、彼の理想とする探偵小説の新たな形を宣言していますよね。
戸川 その宣言通りの作品を書いてしまうところが凄い。安吾は長年のミステリ愛読者であるがゆえに、ある種のミステリに対する不満が嵩じていたんですね。
北村 古典的なミステリに飽き足りない思いをしていたんでしょうね。安吾の考えだと、探偵小説を読むのは合理的な推理で犯人当てを楽しむ知的な遊戯です。つまり〈探偵小説=ゲーム論〉ですが、そのためには「わざわざアリバイ工作をしなければ、わざわざ苦労して密室なんか作らなければ、殺しただけで何もしなければ、この犯人は捕まらないのに。なんでそんなことをするんだ」などと読者に思わせてはいけない、という主張です。
戸川 犯人の行動や心理が合理的でなければ、読者が推理して犯人を当てられませんからね。『不連続』はそんな安吾の推理小説観が如実に表れています。
北村 人里離れた屋敷で連続殺人事件が起き、最後に探偵がみんなを集めて、「さて」と謎解きをしながら犯人を追い詰める、という当時の探偵小説らしい形式をきちんと踏まえているのに、トリックが他の作品とは違う。人間関係そのもの、作中の言葉を使えば「心理の足跡」という斬新なトリックを作ったわけです。これが非常に独創的で、きちんと必然性も合理性もあって、パズル(謎とき)としても面白い。ここに『不連続』の推理小説史におけるエポック・メイキングな価値があります。しかも安吾の筆力によって、作品はゲーム論を超えたところまで届いている。ややネタバレになりますが、あのトリックを使うと必然的に、切ない恋愛小説になっていくんですよね。見事なラストだし、犯人の最後のセリフなども本当に素晴らしい。
戸川 そこもまた、クリスティの例の作品と通じますね。
北村 そうなんです。安吾は「推理小説論」の中でクリスティを「華麗多彩な天分に至っては、驚嘆のほかはない」、「文章も軽快、簡潔であって、謎ときゲームの妙味に終始し、その解決に当って、不合理によって読者を失望させることが、先ず、すくない」と高く評価しています。『不連続』を書いた安吾が評価したクリスティが『×××××』を書いていたことを、とても面白く感じますね。
戸川 都筑道夫先生は『日本探偵小説全集』の解説で、『不連続』はクリスティに匹敵する、モダン・ディテクティヴ・ストーリーだと言っていますね。不自然なトリックに縛られず、人間性を盛り込んでいる。現代の本格ものの走りだと。
北村 『不連続』は映画にもテレビにもなっています。一長一短あって、双方のいいところを合わせれば名作になりましたね。ミステリの映像化ってわりと失敗するケースが多いのに、これはどちらも「心理の足跡」が画で納得できる。登場人物が多いから、映像で見た方が分かりやすいかもしれない(笑)。
余談ですけど、今言った「推理小説論」を読んだのは高校生の時ですが、その中で安吾は横溝正史の『蝶々殺人事件』は傑作だと書いているんです。『本陣殺人事件』より上だ、と。それは読まなくちゃと思ったら、あろうことか、続けて「一つ難を云えば、犯人の〇〇が大阪のホテルに」云々と書いてある! 伏字じゃなくね。
戸川 こっちは『不連続』のネタバレを注意しながら喋っているのに(笑)。
北村 少年の私は愕然としまして、既に買ってあった『蝶々』の登場人物表の適当な人物のところに「犯人は△△」とメモした。自分の記憶を改変しようとしたわけです。数年後、そろそろいいかなと思って、『蝶々』を読んだら、またもあろうことか、犯人は安吾が書いた〇〇ではなかった(笑)。ぞろっぺえな安吾は記憶違いのまま確認せずに書いたんでしょうね。
もうひとつの傑作
北村 話を『日本探偵小説全集』に戻しますが、全集を作るに際して決めなければいけないことはまだいろいろありまして、「底本をどれにするか」もその一つです。
戸川 とにかく自分たちが買いたいと思う全集にしたかったんです。どのテキストを選ぶかという問題もあれば、挿絵のことも考えました。
北村 まず戸川さんが、横溝正史『鬼火』の竹中英太郎の挿絵は凄いと仰った。
戸川 そしたら北村さんが、戦前の三大挿絵と言えば、やはり竹中英太郎が描いた『陰獣』(江戸川乱歩)でしょう、と。
北村 あれは絵を見たら、これぞ陰獣としか思えない凄まじいものですよね。もう一つは言うまでもなく松野一夫の『黒死館殺人事件』。折角なら、この三つは入れましょうよなどと言っているうちに、戸川さんの編集者魂に火がついた。どんどん古い雑誌などを集めていって、『不連続』についても「日本小説」版を掘り出した。底本に何を使うかというところに編集者の力――創作と呼んでいいかもしれない力――が出るものですが、「読者への挑戦状」を作中に入れたことは戸川さんの大きな功績です。巻末に参考として入るのではなく、この形だからこそ生き生きとする。
戸川 初めから「日本小説」版でいこうと考えていたわけではないんですよ。ただ、校訂のために初出に当りたかったのです。国会図書館にも欠号があったのですが、中島先生がお持ちで、たちどころに出してくださった。読んでみると、「挑戦状」がとても面白いし、本文にも単行本版の脱落と思われる箇所が見つかったので、「日本小説」版でいくことにしました。
北村 連載最終回に、正解者の発表と合わせて「選後感想」を安吾が書いていますが、最初に読んだ解答がいきなり完全正解で、「ギョッとして、こらイケナイ」と思ったと(笑)。幸い、正解者はそんなに多くはなかったようですが。「選後感想」には安吾がこの小説を書いた意図や、さきほど言った推理小説観も明らかにしています。この「読者への挑戦状」にこそ『不連続』の本質が表れている。
戸川 今の読者は、「挑戦状」があった方が読みやすいでしょうね。取っつきやすいし。
北村 今度の新潮文庫版にも短篇「アンゴウ」が併録されています。『日本探偵小説全集』を作った時、久生十蘭の巻に『顎十郎捕物帳』からの短篇を入れたのと同様、安吾の巻には『安吾捕物帖』の短篇、そして素晴らしい「アンゴウ」も入れました。
戸川 あれは安吾の巻を編集する際に、北村さんが真っ先に挙げた作品でしたよ。
北村 ワセダミステリクラブで教わった作品です。ミステリ・マニアは好きな作家の本でもミステリしか読まない。だけど、ある方が安吾を軒並み読んでいって、この傑作を発見した。安吾の本でもミステリを集めたものには入っていませんし、安吾を推理作家として採りあげたアンソロジーなどにも入っていません。発表は昭和二十三年、『不連続』連載中ですね。「アンゴウ」は松本清張「二冊の同じ本」のようなブック・ミステリでもありますが、まだ戦争がリアルであった時代の話で、人の親であり人の子であれば、最後に真相が明かされた時、胸をうたれ泣くでしょう。あの時でなければ書けなかった、心の深いところにまで届いた傑作です。
(きたむら・かおる 作家)
(とがわ・やすのぶ 編集者)