書評

2018年10月号掲載

巧緻で精妙で美しい

――ポール・オースター『インヴィジブル』

松浦寿輝

対象書籍名:『インヴィジブル』
対象著者:ポール・オースター著/柴田元幸訳
対象書籍ISBN:978-4-10-521720-4

 これはまた、何と巧緻に作られた小説であることか。いったんページを捲りだした手が止まらなくなり、一気呵成に本書を読み終えた後、わたしは感嘆の溜め息をつかずにはいられなかった。
 1967年春、コロンビア大学二年生の詩人志望の青年アダムは、とあるパーティで、同じ大学に客員教授として国際政治史を教えに来ていたスイス系フランス人の男ルドルフとその同棲相手の女マルゴに出会う。私財を投じて文芸誌を創刊する計画があると洩らすルドルフから、その編集への参加を乞われたアダムは、「ある種の闇と冷たさ」を発散しているルドルフをどこか胡散臭く思いながらも、そのオファーについ乗ってしまう。その仕事に野心と客気を刺激されたからでもあるが、他方、マルゴの官能的魅力に目が眩んだという側面も否定できない。
 そんなふうに本作のプロットを紹介しはじめて、わたしはその先をどう続けたものか、ほとほと困惑せざるをえない。これ以上は何を書いても、これから本書の物語のなかに入っていこうとする初心の読者の楽しみを損なうに違いないからだ。若者のナルシシズムをくすぐる甘い罠に誘いこまれるようにして、奇妙な外国人カップルと関わりを持ってしまったアダムは、やがて意想外の暴力沙汰に巻き込まれる。その展開には一種の映画的サスペンスが漲っていて驚かされるが、わたしたちの驚きはそこでは終わらない。
 全四部仕立てのこの小説は、第二部に入るやいきなり四十年後の2007年に飛び、1967年にニューヨークとパリでアダムの身に起きた出来事が、彼のその後の人生の成り行き全体を決定的に拘束したことが徐々にわかってくる。その拘束のさまの全貌は、三部から最終部へ、思いがけない――ほとんどトリッキーな――ツイストを重ねつつしだいに明らかにされてゆく。トリッキーなのはしかし、物語のプロットだけではない。精妙に仕組まれたその語りかたそのものに、機知とアイロニーに富んだ趣向が凝らされているのだ。アダムの一人称の語りで始まった回想は、二人称へ、さらに三人称へとナラティヴの形式を変え、しかもその三人称の部分には、アダムのかつての友人による加筆と書き換えの手が入っているらしい。
 どこまでが実体験でどこからが虚構なのか、真偽の境界が不安定に揺れつづけ、しかしその不安定感じたいが、記述にかえって生の時間の重いリアリティを充填する。エピローグ的な最終エピソードは、これまた読者の意表をついて、カリブ海の小島にいきなり舞台が移り、わたしたちはそこで老残の身となった晩年のルドルフと再会し、冒頭で「不可視(インヴィジブル)」と形容されていたこの怪人物の、ついに「可視」化されたおぞましい老醜ぶりを目撃することになる。
 前述の理由で、こうした隔靴掻痒の漠とした紹介にとどまらざるをえないのが残念だが、四十年にわたる歳月の時間軸上を自在に往還しつつ見事に語られたこの小説の全ページに漲る、息づまるようなサスペンスを、ぜひとも本文に当たって実際に体感し、心行くまで楽しんでもらいたい。そのサスペンスが、無駄のない筆遣いでくっきりと造型された人物像の濃密な味わいによっていっそう増幅されていることも言い落とすわけには行かない。ほんの少人数で織りなされた物語だが、絶妙な匙加減で戯画的な誇張が施された彼ら一人一人は、みなきわめて魅力的な個性の輝きを放っている。
 主軸をなすのは、人生のとば口に立ったばかりの、無垢で正義感が強いアダムと、大学教授というなりわいの片手間に、何やらいかがわしい諜報稼業に首を突っこんでいるらしいルドルフとの対立である。だが、それに加えて三人の女たち――どこか虚無的なマルゴ、性に奔放なアダムの姉グウィン、内向的な少女セシルが、それぞれの仕方でアダムの悲劇に介入し、それに或る実存的な深さの次元を賦与するに至る。ほんの傍役と思われたセシルが最後の最後で不意に前景化し、カリブの熱暑の陽光のなかで物語の幕を下ろす役割を演じるという粋な趣向には、唸らずにはいられない。
「ポストモダン」というレッテルが貼りつけられがちなオースターだけに、錯綜した語りの仕掛けが凝らされた作品であることは事実で、それについてはここまで書いてきた通りだ。しかし、最終的にはこれは、或る醇乎(じゅんこ)とした青春小説――悲痛で美しい青春の物語なのではないかという感想が残った。

 (まつうら・ひさき 作家)

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