書評

2018年10月号掲載

写楽の謎に対する最適解

――野口卓『大名絵師写楽』

吉野仁

対象書籍名:『大名絵師写楽』
対象著者:野口卓
対象書籍ISBN:978-4-10-352041-2

 写楽とは何者か。
 その正体をめぐり、これまで多くの人がその謎に取り組んできた。すでに日本美術の専門家の間では「阿波の能役者、斎藤十郎兵衛」として写楽問題は解決しているらしいが、それでもなお疑問は残る。
 とくに問題とされるのは活動期が寛政六年五月から翌年の新春まで、たったの十ヶ月という点だ。わずかな期間で百四十作をこえる浮世絵を発表しながら、あっさり消えてしまった。まったくもって奇妙である。加えて、江戸一といわれた板元の蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)が、なぜ無名の絵師の作をいきなり二十八枚も出したのか。しかも大判の黒雲母摺という大物並の扱いである。また、写楽の作品は発表時期で作風が変わるどころか、後期になると明らかに力量の劣る作品となったのはどうしてか。
 こうした謎に対し、写楽はもともと写楽ではなく、有名な絵師が短期間だけ写楽を名乗ったという「写楽別人説」が次々に唱えられていった。円山応挙、葛飾北斎、歌川豊国といった絵師から戯作者の山東京伝や十返舎一九まで、錚々たる名前があがってきたのだ。その推理をめぐる論考ばかりか、小説の題材としても多く扱われている。探偵小説ファンであれば、第二十九回江戸川乱歩賞を受賞した高橋克彦『写楽殺人事件』をごぞんじだろう。浮世絵研究者が殺された事件を主軸として、写楽の正体探しがおこなわれていく物語だ。近年では島田荘司『写楽 閉じた国の幻』もまた主人公が写楽の謎に迫る長編ミステリーだった。
 だが、本書『大名絵師写楽』はまったくちがう。「写楽とは何者か」という問いの話ではない。いかにして写楽が生まれ、そしてふいにいなくなってしまったか、その経緯や活動の舞台裏を鮮やかに物語っているのである。これまでにない謎解き小説。いわば、芝居を舞台の裏側から見るごとき斬新な趣向による時代小説なのだ。
 本作の主人公は、蔦屋重三郎である。江戸時代、黄表紙、洒落本、浮世絵などの板元「耕書堂(こうしょどう)」の主人として有名な人物。斬新な企画を打ち出して大きく売りあげたり、才気ある新人を発掘し育て売り出したりするなど、華々しい活躍を続けた。江戸文化の一時代を創り出した男である。
 物語は、ある武家に対して蔦屋重三郎が頼み込む場面からはじまる。武家とは久保田藩江戸留守居役筆頭平沢常富(ひらさわつねまさ)。平沢は朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)の筆名で人気の戯作者だ。ふたりは古くからの知り合いだった。
 あるとき平沢が重三郎に贈答品のための摺物(すりもの)を依頼した。重三郎に渡された絵はいずれも見事なものだったが、そのなかの一枚、祭りで踊り狂う男の絵に、重三郎の目は釘付けとなった。これまでにない迫力をもった作品だったのだ。興奮した重三郎は、その絵師に会わせてくれるよう頼んだものの、平沢は曖昧にはぐらかすばかりだった。
 そうこうしているうち、二人に災厄が降りかかった。喜三二は刊行した本が発売禁止となり、黄表紙から足を洗った。その三年後の寛政三年、山東京伝の作品が発売禁止、板木は没収、京伝は五十日の手鎖(てぐさり)刑となり、重三郎は重過料(おもきかりょう)の罰をうける事態となった。
 ところが重三郎は転んでもただでは起きない男だった。「踊り狂う男」の絵師に役者の大首絵を描かせようと思い立つ。寛政三年は、喜多川歌麿が美人大首絵で大人気を博しており、そこからの着想だった。さっそく喜三二へ絵師の紹介を頼み込んだものの、以前と同様に断られてしまった。あきらめずに重三郎はその絵師をつきとめようとする。
 ここから写楽が生まれた。
 蔦屋はその腕前を発揮し、世間を欺かんとばかりに謎の絵師を実在化させていくのだ。ここに記されているのは、写楽が消えた理由をはじめ、すべての謎に対するつじつまが合った最適解といえよう。そのほか、蔦屋重三郎の多彩な人脈をめぐる逸話の数々を読んでいくだけでも興味深く、読みどころは尽きない。
 野口卓は、〈軍鶏侍シリーズ〉など書き下ろしの時代小説作家として人気を博しているが、まさかこれほど大胆奇抜な小説を書き上げるとは思いもしなかった。写楽に興味をもつ方であれば、まちがいなく必読と言える一冊だ。

 (よしの・じん ミステリー評論家)

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