書評
2018年10月号掲載
大和は近代日本の始まりの国
――植松三十里『大和維新』
対象書籍名:『大和維新』
対象著者:植松三十里
対象書籍ISBN:978-4-10-352081-8
人には、宝物のように愛おしい本がある。私の場合には川村二郎『イロニアの大和』が、その一つである。保田與重郎(やすだよじゅうろう)が顕彰した大和の人々の心に迫ることで、美しい大和が浮かび上がる。それは、美しい大和を見失った近代日本への渾身の弾劾状でもあった。
この川村の本で、私は伴林光平(ともばやしみつひら)という人物の熱き心を知った。数百人もの弟子から敬慕され、五十歳を超えた分別盛りの学者が、湧き上がってきた理想に突き動かされて天誅組に加わり、こと破れて捕縛され、斬首された。
光平の心を捉え、美しい軌跡を描いて飛翔する一本の矢に、彼の命を化身させたもの、それが「維新のさきがけ」たらんとする大和の心だった。明治維新の五年前、「先走った」ために挫折した大和は、明治の近代化から取り残された。大和は、堺県、さらには大阪府へと編入され、近代国家創出に伴う政治経済の「ひずみ」に苦しむ。
植松三十里は、この小説で「大和」が新生するプロセスを克明にたどった。今村勤三という人物の「昔話=回想」を通して、大和の苦難の近代が語られる。今村勤三は、優れた「大和文化のプランナー」だった。
聞き手は、若き日の富本憲吉。勤三の昔話が、憲吉を苦しめていた文化のひずみを乗り越えさせた。憲吉の幼なじみで、勤三の息子の荒男も、医学者・大阪大学総長になった。天才陶芸家や医学者の飛翔を可能にしたのは、今村勤三の心に生き続けた伴林光平の遺言だった。光平の魂が化身した一本の矢は、明治の青年の心の中を飛翔し続けた。
「大和の誇り忘れるべからず」。これが、矢の言葉だ。
勤三、憲吉、荒男たちに受け継がれた光平の夢は、ついに的を射貫いた。懐かしさのあまり、『伴林光平全集』を久しぶりに読み返した私の目に、大和の安堵(あんど)村にあった今村松斎の屋敷を詠んだ和歌が、飛び込んできた。
声清く書(ふみ)読む子らが窓の竹世(よ)に一節(ひとふし)の操(みさを)ともがな
いかばかり千年(ちとせ)の種のこぼれけん苔より繁(しげ)き園(その)の小松や
「松斎」は、勤三の伯父に当たる今村文吾。文吾は、安堵村のすぐ近くの斑鳩(いかるが)に住む伴林光平に私淑し、天誅組の義挙のために献金した。その文吾の子や孫の世代の者が、小松から大木に育ち、「真の維新」の葉を明治の日本で繁らせた。
光平が植えた小松は、松の大樹に育った。天誅組の心は報われた。「大和の心」は現代の読者の心を揺さぶる。
さて、今年は、明治維新から百五十年の節目である。「近代」とは何だったのか、「維新」とは何が新しくなったのかを問い直す小説に、植松は精力的に取り組んでいる。佐賀藩主の鍋島直正の視点から、維新の激動を描いた話題作『かちがらす』に続き、今度は「大和の国=奈良県」を舞台として、庶民の立場から『大和維新』を書き下ろした。
大和は国のまほろばであり、始まりの国である。初代神武天皇の即位地でもある。律令国家を目指した平城京には、鎮護国家の思想から南都七大寺も造営された。
『大和維新』は、伴林光平の遺訓が、今村勤三の人生の節目ごとに思い出されて蘇り、勤三の「奈良県」独立の夢を叶える。それは、新聞や鉄道という近代科学の技術が、美しい大和の国を文化的に豊かにするプロセスでもあった。医学者の荒男と、芸術家の憲吉の友情は、科学と文化の融合する「大和」のあるべき姿である。
ここにおいて読者は納得する。「大和」は、奈良県だけでなく、「日本」という国のシンボルであることを。近代の扉を開こうとした光平の遺訓は、「日本の誇り忘れるべからず」でもあったのだ。日本が日本の誇りを取り戻すために、悪しき近代を押しとどめ、美しい近代を夢見た人々を顕彰した小説。それが、未来に向けての美しい飛翔を開始させる。
あるべき近代が、法隆寺や中宮寺の近く、「安堵村」ゆかりの人々の手でもたらされたことは、偶然ではあろうが、何と安心感のあることだろう。強い志は、次の世代、さらに次の次の世代へと受け継がれる。だから、歴史の矢は先へ飛ぶ。失敗と挫折が、希望の遺伝子となることさえある。
植松三十里『大和維新』は、現代人に希望の松明(たいまつ)を高々と掲げた。そうでなくても、今年の秋は奈良へ行こう。聖徳太子伝説の生きる斑鳩から少し歩けば、そこが安堵町である。
(しまうち・けいじ 国文学者)