書評・エッセイ

2018年10月号掲載

中高年にも刺さる! 小嶋陽太郎の青春小説!

――小嶋陽太郎『友情だねって感動してよ』

藤田香織

対象書籍名:『友情だねって感動してよ』
対象著者:小嶋陽太郎
対象書籍ISBN:978-4-10-352061-0

 小嶋陽太郎を御存知だろうか。
 二〇一四年にボイルドエッグズ新人賞を史上最年少の二十二歳で受賞し、同年十月にその受賞作『気障でけっこうです』が刊行されてから丸四年。デビュー直後から「幻冬舎 plus」でエッセイの連載をしていて、朝日中高生新聞での小説連載もあった。小説誌では短編がコンスタントに掲載されているし、単行本も間をおかずに出ている(これまでに刊行された著作は八作品)ので、「知ってますよ!」という方も多いだろう。
 私も、四年前から知っていた。なかなか順調ですな、とも思っていた。でも、だけど。今年に入るまで、まともに読んだことはなく、だからボケボケと距離をたもって「なかなか順調ですな」などと見ていられたのである。
 知ってはいたのに、著作を手に取ったこともあったのに、それまでまともに読んでいなかったのは、突き詰めると私が歳を取ったから、だと思う。小嶋陽太郎の作品は、ジャンルでいえば青春小説で、なんとなく「もう遠いな」と感じていたのだ。夏休みとか、部活とか、友情とか、恋とか。ライバルとか、成長とか、汗と涙と喪失と再生とか。帯やリリース情報にちりばめられたそうしたワードは、アラフィフである自分の子供(いないけど)世代の読者に向けられているような気がしていたのである。
 ところが。今年四月に刊行された八冊目の『放課後ひとり同盟』というタイトルには、「ひとり」なのに「同盟」ってなんだろ? と興味を引かれた。友だちができず、本ばかり読んでいた「元・ぼっち」心がうずき、どんな話なのかと軽い気持ちで読み始めた。家族や友人や、ともすれば自分自身とも上手く折り合いをつけられない若者たちを主人公にした連作形式の青春群像小説だった。状況的にはシリアスだ。なのに筆致はリズミカルで、登場人物たちはキュートでファニー。それでいて、どうにも切なさと愛おしさが込み上げてくる。くぅぅ、たまらん! はぁー、泣ける! なんだよ、これ! ちょとちょっと、天才なんじゃないの!? なんどもひとり言を繰り返しながら読み終えて、冷静になって思い改めた。
 やばい。小嶋陽太郎、五十歳でも全然いける! と。

 本書『友情だねって感動してよ』は、そんな小嶋陽太郎の九冊目の著書である。収められた六つの短編は、いずれも舞台が神楽坂で、男男女、女女男の三人が主な登場人物となっている。一風変わった公園や、謎の男が頻繁に現われたりもするが、もちろん、ジャンル的にはこれも青春小説である。
 概要を簡単に説明すれば、幼馴染みの三角関係、いじめられっ子の復讐、すわ運命の恋!?、失恋後遺症、恋の魔術、自意識闘争の話、といえるだろう。
 でも、こうして要約しても、なにも伝わらない。
「第一話は"甲殻類の言語"ってタイトルなんだけど、絶望的に社交性のない"カニ"こと可児(かに)遥香と、面倒見の良い海老原莉子っていう女子高生が、そろって幼馴染みの貝原京一を好きで、オセロで語り合うんだよ」と、誰かに説明しても、それこそ絶望的に理解されない自信がある。
「出てくる"象公園"っていうのが、怪しくて摩訶不思議でさ。滑り台の象が喋ったりするの」「ホラーと純愛ってほんとに紙一重だよね」「でもあの"みっちゃん"の態度がよかった。あと、横澤の距離感、すごく好きだ!」「表題にもなってるけど、"友情だねって感動してよ"。この話を、このタイトルにするセンスね!」と、話したいことは山ほどあるのに、いやいやそうなんだけど、それだけじゃないんだよ! と、もどかしさが募る。でも、それ以上に本音を言えば、ストーリー的な予備知識なんて、本書には余計なお世話だと思えてならないのだ。
 語り手の年齢や置かれた状況によって、がらりと変わる文体。常識と非常識、日常と非日常の間に張られた独特の境界線。思春期特有の面倒臭い自意識を、自覚している主人公たちの絶妙な脳内考察。癖があっても可愛気もある人物造形。あり得ないことさえ自然に読ませる説得力。
 書評において、禁じ手だとは分かっている。だけど、今回だけは言わせて欲しい。
「とにかく読んで下さい! 小嶋陽太郎、すごくいいよ!」

 (ふじた・かをり 書評家)

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