書評
2018年10月号掲載
「流転の海」完結記念
「流転の海」を数えてみた。
対象書籍名:『野の春―流転の海 第九部―』
対象著者:宮本輝
対象書籍ISBN:978-4-10-130758-9
すごい。
ひたすらすごい。
そういう小説だ。
9冊読了後の感想として、そういう言葉しか出ない。
ある男の後半生が描かれている。
いろんな人生と交錯し、じつに深く広く、鋭く、人間が描かれている。
なにせ、長い。長いけれど、読みやすい。読みやすいけれど、深い。
1巻からしっかり読めばいい。9巻だけ読んでもおもしろいとおもうが、1巻から読んだほうが味わい深い。3巻からどうしても読みたいと泣きながら訴えられたら止めはしないが、2巻を飛ばすのはもったいないとおもう。2巻は胸に響くぜ。
文庫本の8巻までで4021ページ、最終巻の単行本402ページである。まあ、ざっくり4500ページくらいだ。見開き2ページを1分で読めば38時間くらいで読み終える。1日13時間読めば3日で読破だ。がんばれ。
この物語では、多くの生と死が描かれている。読んでいると、いくつもの死に出逢う。「生きている姿」に馴染んでいると、ときに突然、または徐々に、その人が死んでいく。死ぬのは人だけではない。馴染んだ犬や牛や馬や鶏や金魚や鮎や蚊も死んでいく。いくつかは馴染みじゃないけど。
物語が進んでいくなか、ああ、死んじゃった、と胸揺さぶられた「死」が35回あった。けっこう多い。死ぬとは知らずに読んでいたら死んじゃった人が35人(33人と2頭)いたのだ。回想シーンの死は入れていない(回想シーンまでいれれば、胸揺さぶられる死は52人になってしまう)。
南宇和にいたとき、主人公は「人が死にすぎる」と呟いたことがあったが、その後もそれは止まらない。
人は死ぬんである。
荷車を引いて有馬温泉に向かう途中で警察に捕まる。直腸ガンが見つかる。二階の窓から転落する。猟銃で頭を吹き飛ばす。船が燃える。山中の切り株に座ったままになる。部屋に鍵をかけてその鍵を捨てるよう頼んで睡眠薬を飲む。姉の帰りを待って暑い部屋で横たわる。乳癌の転移が見つかる。温泉宿で首を吊る。仕事場で準備しているときに脳溢血で倒れる。女の子を乗せたクルマで大型ダンプカーに正面衝突してしまう。
人は死ぬんである。
生きていると、人と関わる。
主人公の人との関わりが実に多彩である。
こっちからどんどん深く関わっていってやろう、という性根があるからだろう。
たとえば、主人公の熊吾は、いろんな会社を経営するが、いつも金を持ち逃げされる。笑っちゃうくらいに横領されるのだ。信頼している男に何度も金を持っていかれる。
伝聞の形で5回(上海時代に2回、戦前に2回、戦中に1回)。
そして戦後には3回ある。1巻と4巻と7巻で出てくる。
戦後の3回はそれぞれ違う会社である。通算8回。
なかなかすごい。
どれだけ持ち逃げする男を雇うんだという意味ですごく、どんだけ次々と「ここは持ち逃げできそう」とおもわせる会社を作ってるんだろうというところがすごい。そういう関わりを作ってしまう男なのだ。
会社にあった金を根こそぎ横領されても、この男はへこたれない。また次の事業に取りかかる。神の試練に耐える選ばれた民のようだ。昭和の元気は、熊吾たちが背負っていたのだろう。
お節介でもある。
困ってる人は助ける。困ってなくても助言する。どんどん関わる。
1巻から9巻まで、熊吾はどれぐらい人と関わったのか、ちょっと数えてみた。
だいたい947人である。だいたいのわりに端数だが、気にするな。妻の房江や息子の伸仁だけと関わりのある人物でも、熊吾とも関係があるかどうかを推察するしかないので「だいたい」になるのだ。気にするほどの誤差はない。ちなみに物語全体で出てきた人物数は私の数え方によるとだいたい1252人である(確定数ではない。以下の数字も含め、これからもう一度確認しておく)。
物語の進展にまで関わる中心メンバーが55人、それに準ずる忘れがたきメンバーが38人、熊吾との親交が深かった人だけで203人、ここまではみんな名前が出ている。昭和22年以前にだけ親交があった人が98人、名前がわからないけれどとにかく何かしら魂の交錯があった人が181人。名前が列挙されただけでどんな人かよくわからない人が41人。
とてもたくさんだ。有名人が出てこない小説としては日本文学史上、屈指の登場人物数ではないかとおもうが、日本の小説を全部読んだわけではないので、歴代何位かはわからない。私が登場人物数を数えたことがある小説では断然一位である(ほかの小説を数えたことがないので、当たり前なんだけど)。
名前はわからないけど魂が交錯した人とは、たとえば、ニセ医者をやっていたとき、見立て違いで少女を死なせてしまったが、その両親は熊吾が逃げ出すときに見送りに来てくれたとか、長崎に行く夜行で一緒になった若い勤め人は「長崎で被爆した上司が一年後に川にめだかが泳いでいるのを見て涙が止まらなかった、めだかになりたいとおもった、と言っていた」と教えてくれたとか、戦争で耳が聞こえなくなった店主がやっている玉川町の飲み屋では品書きを棒で指して注文するのだが、熊吾がやくざと関わっているのをみると、やめておいたほうがいいと目顔で知らせてくれたとか、そういう人たちである。
ときに数行しか描かれてない。それでもしっかり生きている姿が伝わり、いくつもの人生がそのまま埋め込まれている。すごい小説である。
魅力はそれだけではない。昭和の光景、それぞれの土地の風景(特に「大阪の巷」)が生き生きと描かれ、胸に迫ってくる。
平成屈指の大作である。
(ほりい・けんいちろう コラムニスト)