書評
2018年11月号掲載
スターリンの手
――G・ガルシア=マルケス『ガルシア=マルケス「東欧」を行く』
対象書籍名:『ガルシア=マルケス「東欧」を行く』
対象著者:G・ガルシア=マルケス著/木村榮一訳
対象書籍ISBN:978-4-10-509020-3
1957年夏の夜、ガルシア=マルケスは友人二人と中古のルノーを駆って、東ドイツ領内のアウトバーンをひた走った。フルシチョフのスターリン批判、ハンガリー動乱の翌年のこと。東側で何やら大きな変化が起きているらしい。でも、実態がわからない。ならば、見に行くしかない。
東へむかう車線はからっぽなのに、西へむかう車線はソビエトの軍用車両が絶え間ない。夜が明けて国営レストランの扉を押すと、「ぼろぼろの服を着た百人ほどの男女が何とも言えず悲しそうな顔で、湯気の立ち込める食堂でひそひそしゃべりながら山のようにあるジャガイモや肉、目玉焼きを食べていた」。
ベルリンは支離滅裂だった。西側はアメリカがドルを大量投下して瓦礫の街を資本主義の広告代理店に改装しつつあり、これがまたいいしれぬ空虚感を醸しだす。東側は砲弾の痕の生々しい街区があちらこちらに残り、ナポリの下町みたく人びとが洗濯物を窓から干すありさまなのに、スターリン大通りだけは別世界の威風堂々。どこへ行っても見かけるのは順番待ちの長い行列。店舗にならぶ商品は粗悪。しかし市民は地下鉄通路を利用して東西ベルリンを行き来して、したたかに「両陣営のいいとこどり」をしている。官憲も見て見ぬふり。
「五十年、もしくは百年も経てば二つの体制のどちらかが優位に立ち、二つのベルリンがひとつになって、そこは両体制から無償で提供される商品が山のように積み上げられた化け物じみた見本市と化すにちがいない」。
ライプツィッヒの国営ナイトクラブでは、奇妙なものが見つかる。トイレのドアにタクシーのメーターが取り付けられていて、メーターには三十ペニッヒ(一ペニッヒは百分の一マルク)の表示がある。トイレは「用を足す以上の行為」をする場所と化していたのである。
うちとけて人びとの話に耳を澄ませば、体制批判の声も飛び込んでくる。なのに選挙結果は、体制支持票が九割超。なぜか? 「反対票を投じれば午後三時に警察官がやってきて、市民の義務がどうのこうと説諭しはじめるに決まっている」から。だれしも願うのは、両体制のいずれが正しいのかという議論ではなく、給料があがることでもなく、ものを自由に発言できる社会、東西ドイツの統合、そして、外国軍隊の撤退だった。
このあとソビエト旅行記がつづくが、マルケスには社会主義への甘い夢想などかけらもない。だからこそ逆に、体制に左右されることのないロシアの人びとの人懐こさやナイーヴさが生きいきと綴られる。ここがひとつの読みどころだろう。
本書で忘れがたいのは、「世界でもっとも大きい村」モスクワの「赤の広場」の霊廟で、レーニンとスターリンの保存処理遺体を見るくだりである。レーニンの手は、生前に麻痺が進行していたことをすぐ見てとれた。スターリンの遺体は、「顔が引きつれているのは単に筋肉の収縮のためでなく、心の中の感情の表れのように思われる。(中略)何よりも強く印象に残ったのは、透明でほっそりした爪のついている、女性のそれを思わせる繊細な手だった」。ちなみにスターリンの遺体は、1961年に霊廟から撤去されている。
私の趣味は手の観察だ。以前、カンボジアの元首相ポル・ポトと会って握手したことのある人物から、彼の掌が赤ちゃんのようにぷくぷくして繊細だった、と聞いて驚いた。毛沢東の掌もまた、そうであったらしい。ヒトラーの掌もまた、そうであったらしい。マルケスのおかげで、私の「手の大物リスト」にスターリンが加わることになった。
ところで先月、岩波文庫から『三島由紀夫紀行文集』(佐藤秀明編)が刊行された。おかげで私は、奇しくもマルケスと三島の紀行文を比べ読みすることができた。一方は日々移ろう社会のありようと粘り強く柔軟につきあおうとする意志が息づき、他方は日々移ろう社会や人間よりもその背後へまわりこもうとする姿勢が鋭い。二人の資質の違いが手にとるようにわかる。
マルケスは作家であると同時に新聞記者であり、ノンフィクションの傑作『ある遭難者の物語』(水声社)の著者であり、ジャーナリスト学校の創設者でもあった。本書は50年代東欧の史料であるだけでなく、文芸とジャーナリズム、文芸と社会とのかかわりについて根本的な思索へ誘い込む。
訳者による丁寧な巻末解説が、読者にはうれしい。
(みわ・たろう 作家)