書評
2018年11月号掲載
日本はセンカクを守れない
――杉山隆男『デルタ 陸自「影」の兵士たち』
対象書籍名:『デルタ 陸自「影」の兵士たち』
対象著者:杉山隆男
対象書籍ISBN:978-4-10-406208-9
こわい小説だ。近未来、というより、今日にも起こり得る事態をえがいている。
東シナ海、尖閣諸島付近を航行中の海上保安庁の最新鋭巡視船に、中国の漁船が二隻体当たりした。巡視船からの強圧放水をかいくぐって中国人三十人が巡視船に乗り込み、制圧する。漁民ではない、明らかに軍人である。
だが「愛国義勇軍」と名のる彼らは中国正規軍ではなく、粛清された北部軍区の将軍の部下たちで、すでに軍籍を離れている。尖閣列島・魚釣島(うおつりじま)に強行上陸して五星紅旗を掲げるのが目的というから、現中国共産党政府と軍に強い不満を抱いて新国家「北中国」の樹立をめざしているものの「革命軍」ではない。
中国政府と中国軍はこの事態を好機ととらえる。
「叛乱者のおかげで党と軍は釣魚島(ちょうぎょとう)を攻撃する格好の口実を見つけた」「自国の領土内でテロを行なう武装集団を断罪することに異を唱える国家は世界中どこにもない」
中国軍が叛乱軍を釣魚島で殲滅すれば、それは尖閣諸島の「実効支配」とみなされ、国際的に中国領土と認定されるというのだ。中国政府と軍はあらかじめこの企てを知っていながら放置し、軍将校を叛乱部隊中に潜入させてもいた。
叛乱軍は巡視船のクルーの一部を殺害、残りを拘束した。さらに救援の海保ヘリをスティンガーで撃墜、七名を殉職させた。さらに巡視船に残ったゲリラは、自らの退去のとき、拘束した海上保安官ともども船を爆破するつもりだ。
民間機と自衛隊機が滑走路を共用する那覇空港では、折りしも中国旅客機が「着陸事故」を起こして空自の戦闘機が飛べなくなる。
侵略のきっかけは、アメリカ高官の「日米安全保障条約の適用範囲に尖閣諸島を含めるかどうか、その判断を保留する」との内々の決定であった。「アメリカの防衛ラインは日本までで朝鮮は入らない」とかつてアメリカ政府高官が発言し、それが金日成の南進意欲をかきたてた結果、朝鮮戦争が起こったのとおなじだ。
この事態に首相は「デルタ」部隊の派遣を決意した。外敵の攻撃に即応するたてまえの第一空挺団、水陸機動団、特殊作戦群を表の部隊とするなら、「デルタ」は、イラクなどで米軍とともにひそかに実戦を経験した二十九名で構成される裏の部隊である。その存在が明らかになれば内閣は吹っ飛ぶ。しかし自衛隊の「防衛出動」ではなく、あくまでも「治安出動」でことをおさめるためには必要な措置であった。つまり「戦争にしないための戦い」を彼らにさせるのだが、武器の使用規則はあいまいなままだ。
「撃たれたら撃て」という。相手を殺さないように撃てともいう。自分が殺されたなら、相手を殺してもいいという。
これでは軍ではない。ボディーガードでもない。武装した平和的NPOである。一九九二年の自衛隊初の海外派遣以来、課題はなんら解決されていない。日米安保条約にもたれかかって経済成長を享受しながら、「安保反対」「非武装中立」などという無責任な言辞をもてあそんできたセンスはいまにつづいている。
叛乱部隊は魚釣島を一時占拠後、手を縛られたままのような「デルタ」と交戦、巡視船から奪った高速艇で脱出をはかる。そしてなんと、浮上した北朝鮮の潜水艦をめざすのである。しかし中国空軍の戦闘機がミサイルで叛乱部隊を殲滅、中国政府は、自らの領土である釣魚島と領海内で国内問題を解決した、と世界に喧伝する。
大いにありそうなストーリーだから、大いにこわい。
杉山隆男は『兵士に聞け』(一九九五年)で、はじめて自衛隊を職場、自衛隊員を職業人としてとらえ、私たちを瞠目させた。その後も彼は自衛隊取材をつづけ、うかつな私たちに多くの知識を与えてきた。しかし近年、彼は自衛隊の取材の壁が厚く高くなったと感じている。とくにキャンプ座間の自衛隊との管理区域における米軍の存在感は大きい。というより威圧的だ。
「アメリカに永遠の敵も永遠の味方もいない。ただ利害があるだけだ」と考えるアメリカに依存しきって日本は生きて行けるのか。中国の膨張意欲に対応できるのか。日本の防衛とは何か。そんな疑問といらだちを、杉山隆男は小説『デルタ』として表現した。これは、杉山隆男のいわば「憂国」の書である。
(せきかわ・なつお 作家)