書評

2018年11月号掲載

「材料」の進化から見る世界史

――佐藤健太郎『世界史を変えた新素材』(新潮選書)

横山広美

対象書籍名:『世界史を変えた新素材』(新潮選書)
対象著者:佐藤健太郎
対象書籍ISBN:978-4-10-603833-4

 時代の変化は、不連続におこる。その不連続の歴史を、「材料」というこれまでにない新機軸で魅せてくれるのが本書だ。金、陶磁器、コラーゲン、鉄、紙、炭酸カルシウム、絹、ゴム、磁石、アルミニウム、プラスチック、シリコン。材料の進化という視点から歴史を見ると、こんな見方ができるのかと感動する。歴史好きにはたまらないであろうし、科学ファンにも響く。筆者は熟練のサイエンスライターであり、歴史的人物や風景の写真の合間には、注目した材料の化学構造式が並びその特性が解説されているのも他にない本書の特長だ。
 科学と社会の関係性を議論する際には時間軸に沿って、政治の区切れで整理をすることが多い。たとえば欧米の科学を推進する意義が一気に変わったのは冷戦が終わったときであり、「冷戦勝利」ではなく、「広い意味での国益」に沿った経済発展を目指す科学に舵が切られた。日本では同時期に起きた経済バブルの崩壊によって予算確保を目標とした科学技術基本法が成立し、「基礎から応用まで」の議論が当たり前になった。外圧によって科学の在り方が変わる、その政治性についての著作は多い。しかし本書は、人類が新たな材料を発見してから改良を重ねて利用にいたる長い年月の経緯と歴史の物語を語っており、著者のオリジナルなスタイルである。
 たとえばゴム。20世紀になる前後の舗装の悪い道路を走るのに空気入りのタイヤは不可欠であり、交通革命を起こした原料と言える。そしてゴムを欧州にもたらしたのはかのコロンブスであった。ゴムは、炭素同士が二重結合をした部分が回転せず、分子全体が縮れた糸のようになり伸縮性がでる。暑くなるとべとべとするのが問題であったが、加硫法という方式によって良質なゴムを生み出すことが可能になった。サッカー、テニス、ラグビーにゴルフ、野球と球技のスポーツが19世紀後半にうまれているのは、良質のゴムが普及したからだと述べる。それまでの動物の膀胱を膨らませていたボールや、木製、樹脂で作ったボールから、弾力があり球形に保てるボールができたためというのだ。なるほど、である。
 さらに面白かったのがアルミニウム。1880年代、アメリカの大学で、アルミニウムを大量に製造できたら大金持ちになれると説いた教授がいて、それを聞いた学生が大量生産に成功する。アルミニウム合金は航空産業に革命をもたらした。1930年代まで飛行機は、主に木や布で作られていたが、ドイツのフーゴー・ユンカースが1915年には鋼鉄の機体で、1919年には強度を上げたアルミニウム合金、ジュラルミンを使った機体での飛行に成功した。現代のボーイング747型旅客機は機体の81%がアルミニウム合金である。フランス皇帝ナポレオン3世は、最高の賓客をアルミニウム製の食器で、それに次ぐものを金、銀の食器でもてなしたという。
 終章では近年の動きも網羅されている。情報科学を支えるインターネットに用いられる光ファイバーは、新たな珪素化合物の開発によって実現した。「透明マント」を可能にするメタマテリアルや、電気自動車への移行のための蓄電池研究の加速、AIやスパコンを用いてのマテリアルズインフォマティクスの進展も楽しみだ。日本は材料科学研究に強いが、この15年で科学技術予算の投資は中国が11倍、アメリカが1・5倍と増えるなかほぼ横ばいで、先行きが不安である。
 政府は集中と選択を好むが、アルミニウムのように、ある程度予想をつけられる分野は多くない。たいていのイノベーションは、偶然や失敗から生まれ、いくつもの幸運が重なってようやく出てくる。研究者のボトムアップの議論を基に、ある程度自由が利く研究環境を維持しながら進めるしかない。しかし現状は、予算が増えないうえに配分の傾斜がきつすぎて、資金を獲得できない研究者は、研究そのものができないところまで追い込まれている。このまま日本の科学技術は地盤沈下するのか。ピンチはチャンスかもしれない。研究者側も思い切ったスクラップアンドビルドが必要だ。
 世界の材料物語を読みながら日本の科学技術政策に思いを馳せた次第である。読書の秋に、豆知識本としてもお勧めしたい。

 (よこやま・ひろみ 東京大学国際高等研究所 Kavli IPMU 教授)

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