書評
2018年11月号掲載
墓石から覗く愛憎劇
岡崎守恭『墓が語る江戸の真実』
対象書籍名:『墓が語る江戸の真実』
対象著者:岡崎守恭
対象書籍ISBN:978-4-10-610786-3
たしか池波正太郎氏のエッセイにもあったと思うが、雪の日の東京には江戸がよみがえる。
特にそうなのが、たとえば上野公園である。東京国立博物館の辺りの広い一画。しんしんと雪が降りつもり、人通りもほとんどない朝、ここにたたずんでみる。
すると静寂の中に昔の江戸の姿が脳裏に浮かんでくるばかりか、その香りさえも漂ってくるように感じる。
この一画がすべて徳川将軍家の菩提寺である東叡山寛永寺という江戸にゆかりの特別な場所だったから、なおさらなのだろうか。
ところで雪の日でなくても、往時を存分に偲ばせてくれるところがある。「墓域」である。
しかもしばしばそれはひっきりなしに観光バスが訪れる城郭や神社、仏閣のすぐ裏手などにある。にもかかわらず人の姿を見ることは稀である。
風に吹かれる木々の葉音しか聞こえない墓域で、誰がこんなに巨大な墓石(供養塔)を建てたのか、どうして奇妙な形にしているのか、なぜこの配置なのかなどをじかに見聞すると、歴史の知識として学んできたことが「時代の真実」として俄然、眼前に開けてくる。
遠く南に飛んで、鹿児島の今はなき大寺院の跡に残る島津家の墓地を訪ねてみる。放送中の大河ドラマの『西郷どん』で、小柳ルミ子さんが演じて強烈な印象を残したお由羅の方の墓が島津家の家族を祀るこの墓域にある。
それも寵愛された藩主の墓の隣に立つ実に立派な石塔である。ずらりと並ぶ歴代の藩主の墓の傍らに「正室」ではなく、「愛妾」の墓があるのはここだけ。多くの血が流れた幕末の「お由羅騒動」がどんなに苛烈なものであったか、この墓の配置が如実に物語ってはいないだろうか。
木造の建物と比べれば、格段に頑丈であり、火災で焼失する心配もない墓石。昔のままの姿でいつまでも残っていきそうである。
が、そうそう安閑としてもいられないのである。都市化の波に洗われて、由緒ある墓域そのものがいつのまにかなくなって、一般の墓地として分譲されていたりもする。
今のうちに見ておいて、墓が突き付けてくる史実を実感してもらいたいものである。繰り返すが、長くその地を治めた「殿様」たちの墓というレベルでも、人がほとんどいないところがいい。その時代に思いを馳せるには最高である。
舞台は江戸(東京)、鹿児島のほか、金沢、福井、奈良、和歌山などの日本列島の各地である。無機質であるはずの墓石を通じて、将軍、大名、側室、乳母、遊女、浪士などの幅広い愛憎劇を覗いた。
墓が自ずと語る人間模様に納得し、頷くことのできる「なるほど江戸のお墓」の世界である。
(おかざき・もりやす 歴史エッセイスト)