書評

2018年12月号掲載

永遠の不良のままで

筒井康隆『不良老人の文学論』

尾川健

対象書籍名:『不良老人の文学論』
対象著者:筒井康隆
対象書籍ISBN:978-4-10-314533-2

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 筒井康隆さんは、敗戦後まだ二、三年という時代を「ぼくは不良少年だった」と振り返っている(『不良少年の映画史』)。学校をサボり、父親の蔵書を持ち出しては古書店へ売り、そのお金で映画ばかり見ていた。そんな日々を送っていた自分を「不良少年」と呼んだのだ。それから七〇年余、本書『不良老人の文学論』は、かつての不良少年から自称「不良老人」となった筒井さんの十四年ぶりとなる最新エッセイ集である。
 筒井さんがこよなく愛するベティ・ブープとその相棒ビンボーがカバーを飾る本書はそのタイトルどおり、文学にまつわる評論・解説が中心に据えられている。自らの創作姿勢を内包する谷崎潤一郎賞・三島由紀夫賞・山田風太郎賞の選評をはじめ、対象となっている作家・作品は実に幅広い。夏目漱石、芥川龍之介、アガサ・クリスティ、阿部和重、森博嗣、本谷有希子、松浦寿輝、蓮實重彦、大江健三郎、ウンベルト・エーコ......。内外の古典から最先端作、純文学からエンターテインメントまで、筒井さんの文学論は時空とジャンルを縦横無尽に駆け抜けていく。
「老い」や「死」についてのエッセイも数多く見受けられる。ご自身も八十代に入り、親しく近かった方たちの訃報に多く接したということもあるだろう。小松左京、井上ひさし、久世光彦、丸谷才一、桂米朝......。懐かしい思い出とともに綴られた、寂しさと哀しみあふれる追悼に胸を打たれる。「宗教と私」と題されたエッセイでは、幼い頃から意識していた「上の方にいる存在」としての「神」(最新長篇『モナドの領域』の主人公であるGOD)が語られている。山田風太郎『人間臨終図巻』最終巻を「わが死にかたの指針」とし、安楽死にも言及。東日本大震災を経て、作家は現実を虚構へどう昇華させるのかといった論考もある。
 文学論以外でもその対象は多岐にわたる。シミキンこと清水金一の競輪映画、山下洋輔の七十歳記念アルバム、野田秀樹の芝居、高平哲郎の「笑い」についての断章、手塚治虫が秘かに描いていたあぶな絵、三島由紀夫原作の映画『美しい星』......。それぞれの魅力が存分に描かれ、読後には今すぐ観たい聴きたい読んでみたいと思わせるものばかりだ。
 また長篇『聖痕』『ダンシング・ヴァニティ』をはじめとする自作品の舞台裏を明かした解説、行きつけの蕎麦屋やバー「ホワイト」についてのエッセイもファンには嬉しい(「孫自慢」と題されたものもある)。「日常のロマン」では、七瀬や「時をかける少女」芳山和子、パプリカ、美藝公や唯野教授、ラゴスたちに筒井さんが囲まれているという夢のような場面もある。
 誰もがネットで自分の考えを表現できる現代において、「表現の自由には表現の自由で戦うべきだ」と知性の重要性を論じ、反骨精神が必要な今だからこそ「老人よすべからく不良たるべし」とメッセージを送る。巻末にはインタビュー「作家はもっと危険で、無責任でいい」も特別収録。まさに本書は、進化し続ける筒井ワールドへの航海図と呼ぶべきこの十四年間の集大成なのだ。
 現在、世田谷文学館で開催中(2018年12月9日まで)の「筒井康隆展」の会場は詳細な年譜で埋め尽くされている。文学だけでなく音楽・演劇・映画......と一つ所にとどまることなく、常に新しい表現に挑戦し、境界を越え続ける。永遠の前衛たるその足跡は本当に一人の作家の人生なのかと思うほど、豊饒で面白く刺激的だ。
 私は筒井さんの追っかけを数十年続けている。人生のほとんどを筒井さんとその作品とともに過ごしてきたと言ってもいい。これほど稀有な作家には何度生まれ変わっても出会えはしないだろう。心からそう思っている。同時代に生まれ、新たな作品を読み続けられることを感謝せずにはいられない。
 どうかいつまでも筒井さんにはお元気で、そして永遠の不良のままでいて欲しい。これからもずっと追いかけ続けていきます。

 (おがわ・けん ウェブサイト「筒井康隆氏についての...」管理人)

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