書評

2018年12月号掲載

まともであること

――黒川創『鶴見俊輔伝』

高橋源一郎

対象書籍名:『鶴見俊輔伝』
対象著者:黒川創
対象書籍ISBN:978-4-10-444409-0

 おそらく、多くの書き手は、黙ってそうしているのだと思うけれど、うまく書けないと思うと手に取ることにしている本が何冊かある。そして、適当にどこかの頁を開き、読む。数頁で十分だ。一頁もいらない時もある。すると、狂っていた「調子」が戻り、書くことができるようになる。わたしにとって、鶴見さんの本がそんな存在だ。
 そのとき、わたしはいったい、何を読んでいるのだろう。文章だろうか。いや、そうではない。その奥にある何か。手応えのあるもの。それでいて柔軟なもの。それを確かめるために、いつも、わたしは鶴見さんの本に戻るのである。
 鶴見さんと初めてお会いしたのは、もう晩年に近く、埴谷雄高が『死霊』の第九章を発表し、しばらくして亡くなった後で、その追悼の対談のためではなかったかと思う。それまでお会いするチャンスがなかったので、わたしはひどく緊張した。それからもう一度、京都まで出かけてお話をしたのだが、どちらの回も、どんな話をしたのかまるで覚えてはいない。最初の対談の時には、手元にメモを置かれていて、それを頼りに話されるのだけれど、何かの拍子に鮮明に蘇ってくる記憶によって話される時の生き生きしたしゃべり方に魅了された。いや、こちらもしゃべりたいことはたくさんあるのだけれど、どう話せばいいのかわからぬまま、ただ時間がたっていったことの悔しさはいまも思い出として残っている。
 本書『鶴見俊輔伝』は最良の著者を得て書かれた。後年、鶴見さん自身が多くの伝記を書かれたが、そこで鶴見さんは、常に、書かれる対象の最良の理解者であった。あるいは、最良の理解者であるよう努めた。だから、鶴見さんの本の中で、遥か過去に生きた人たちが、いま目の前にいて直接わたしたちに向かい合うように思えた。著者は鶴見さんをよく知る人であり、また、子どもの世代にあたる。鶴見さんが対象に向かい合ったように著者は鶴見さんに向かい合った。この本の中で、鶴見さんは生きているように思えた。
 わたしのように、長く鶴見さんの本に親しんできた者には、懐かしいフレーズ、ことばが頻出する。ああ、このことばは読んだことがある。このエピソードは聞いたことがある。そして、不思議なのは、そこにある鶴見さんのことばが、書かれたものも含めて、彼自身の口から直接洩れだしたもののように思えることだ。
 戦後すぐに出版された、最初の大著となる『アメリカ哲学』で、鶴見さんは表音主義にこだわり、こんな文章を書いた。
「哲学お倒し、これお新しい哲学によつて置きかえる仕事わ、これからである。日本の社会に広く行われている哲学的思索法から何とかして離れる事ができるために、また日本だけでなく世界においてまだない新しい哲学お作る準備おするために、色々の場所から、哲学ぎらいの同志があらわれて来て、互いに誤りお正して哲学打倒の運動お有力なものとする事お望む。」
 何かが始まる、ということを伝えるために、これ以上の文章はないように思った。中身も表現も。書き手の考えが身体の中から直接出てきたような文章だ。そして、鶴見さんは、生涯、この方法を貫いたように思う。
 もう一つ、わたしは、この評伝を読みながら、鶴見さんを言い表すことばは「まともであること('decency')」ではないかと強く思った。
 鶴見さんは、「米国で吹き荒れた赤狩りのなか、下院非米活動委員会で喚問された劇作家リリアン・ヘルマン」に触れ、「魔女狩りに対して、はっきりと立ち向かった最初の人が女性であった」ことの意義を考えた。そして、多くのものを失ったヘルマンが、それでも獲得したひそやかなものを 'decency' と呼んだことに注意を向けるよう書いた。その 'decency' を鶴見さんは「まともであること」と訳したのである。
 わたしがうまく書けないと思うとき、鶴見さんの本を開くのは、そこに行けば、「まともであること」が何かを感じることができるからだろう。「まともであること」が、途轍もなく困難であるような時代であるからこそ、いま、この本の中の鶴見さんのことばに耳をかたむける必要があるのだ。わたしは心の底からそう思うのである。

 (たかはし・げんいちろう 作家)

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