書評・エッセイ

2018年12月号掲載

「城山三郎」を読み返す 於・城山三郎湘南の会第9回総会

城山文学と〈2〉という数字

志村仁太郎

元担当編集者が回想する「気骨」の作家

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 城山先生が『わしの眼は十年先が見える』以来数年ぶりに新潮社で小説を書く、長年あたためてきたテーマである少年航空兵をテーマにした長篇(後の『指揮官たちの特攻』)に取りかかるから――編集長にそう言われて、まだ駆け出しの文芸編集者だった私が担当を命じられました。もう、二十年ほど前のことです。
 先生の場合、編集者の仕事ってラクなんですね。こういう場で編集者が作家の思い出話をする時、締切が大変だったとか、酒癖がアレだったとか、他の作家の悪口を言ったとか、そんな話でお茶を濁すことが多いのですが、先生にはそんなことが一切ありません。
 取材もご自分で相手と交渉して出かけていくし、資料の蒐集も自分でなさるし、原稿も締切よりずいぶん早く書く。編集者にとって一番重要な、原稿を挟んでの改稿のやり取りなどもない。非の打ちどころのない所謂(いわゆる)〈完全原稿〉を頂くわけですから、注文をつける必要がない。ですので、若手編集者が担当について勉強になるタイプの作家ではありませんし、こんな場でみなさんにお話しするネタがないのです。今日は、みなさんもお気づきであろう城山作品の特徴についてお喋りして失礼しようと思います。

昭和二(一九二七)年に生れて

 まず、城山先生は昭和二年のお生れです。お元気なら今年の八月で九十一歳になられたはずでした。
 生れ年を問題にするからには世代論をしたいわけですが、普通、団塊世代とかバブル世代などという場合、三~五歳くらいの幅でひと世代に括りますね。ところが戦争という激しい体験を強いられた人たちは、生れ年が一年違うだけで大きな差を感じる、こだわる、というところがあります。
 昭和二年生れの作家は他に吉村昭、藤沢周平、北杜夫、結城昌治、小川国夫、石牟礼道子さんたちがいます。この方たちには共通した匂いを感じます。清潔、頑固、時流に阿らない、デビュー以来確固たるテーマがある、詩情がある。作家は作家として生れるわけではなく、作家になっていくわけですから、若い頃に国家や社会とどんな関係を持ったかは重要で、ある強烈な時代における世代論は有効な気がします。
 城山先生は吉村昭さんへの追悼文「昭和二年生まれの戦友へ」の中で、同年生れの吉村さんに深い理解と友情を記しています。一方、吉村昭さんも城山先生の初期代表作『大義の末』(昭和三十四年)に触れた「昭和二年生れの眼差し」という文章で、「私は、昭和二十年夏に敗戦という形で終った戦争に対する考え方は、その時の年齢によって相違するということを、エッセイに書いたことがある。極端に言えば、一歳ちがうだけで戦争観はことなっている、と。/『大義の末』を読んだ私は、自分の戦争についての考え方が氏のそれと確実に合致し、それは同年生れであるからだと思った」と書いています。
 杉本五郎という陸軍中佐が昭和十二年に中国で戦死しました。彼が四人の息子にあてて書いた二十通の手紙は『大義』という本にまとめられ、百三十万部の大ベストセラーになりました。『大義』を読んだ多くの若者が血を滾らせて戦場へ向かいます。そんな若者の一人が城山三郎少年であり、昭和二十年五月に志願して海軍特別幹部練習生になり、最初は広島の大竹海兵団へ、のちに呉海兵団へ行かされます。ところが戦争末期の海軍には大義も何もありませんでした。ゲンコツ制裁だけがあった。そして戦争が終わると昨日までの大義は棄てられ、大学に入っても「志願して海軍に入ったバカがいる」と嘲笑されます。海軍のどこにも大義はなかったし、戦後は別の大義を掲げる世の中になった。そんな城山先生の考え方、感じ方、世界の捉え方は自分と「確実に合致」していると吉村さんは書いています。『大義』という本を読もうが読むまいが、軍隊に行こうが行くまいが、そこが合致するというのが昭和二年生れの刻印です。
 城山先生のある文章によると、「生を激しく燃焼しつくして廃墟になった自分を、自分自身の手で作り直さないといけなかった」。自分を作り直すため、城山青年は哲学や宗教や文学に近づいていきます。これが作家へのスタートでした。

焦点を二つ置く、または楕円の思考

 では、作品の中に昭和二年生れの刻印はあるでしょうか?
 城山先生は力を込めた本格小説の場合、焦点になる登場人物を二人置きます。同じ比重で描くということではなく、主人公はいるのだけど、傍らにもう一人置くんですね。例えば『落日燃ゆ』(昭和四十九年)の広田弘毅の傍らには外務省同期で、広田が処刑された時には総理大臣になっていた吉田茂を置く。『男子の本懐』(昭和五十五年)では浜口雄幸と井上準之助、『雄気堂々』(昭和四十七年)だと渋沢栄一と従兄・喜作、『気張る男』(平成十二年)では松本重太郎と安田善次郎、『指揮官たちの特攻』(平成十三年)は兵学校同期で特攻第一号の関行男と最後の特攻をした中津留達雄。ある時、城山先生は「小林秀雄さんが『人はその性格に見合った事件としか出会わない』と言ってるように、一人だと世界が狭くなるからね」と仰っていました。もう一人置くことで、世界がより広くなり、遠くまで行けて、味わいが深まるわけです。
 焦点を二つ置くというのは楕円形を描くということですね。花田清輝に「楕円幻想」という文章があります(『復興期の精神』所収)。
「いうまでもなく楕円は、焦点の位置次第で、無限に円に近づくこともできれば、直線に近づくこともできようが、その形がいかに変化しようとも、依然として、楕円が楕円である限り、それは、醒めながら眠り、眠りながら醒め、泣きながら笑い、笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信ずることを意味する」。つまり矛盾したことも平気で同時に起きる。それを認めていくのが楕円の思想です。「これが曖昧であり、なにか有り得べからざるもののように思われ、しかも、みにくい印象を君にあたえるとすれば、それは君が、いまもなお、円の亡霊に憑かれているためであろう」。
 城山先生にすれば、円とは大義です。大義を信ずること、あるいは人に押し付けること、一面的であること、一義的であることなどを戦後の城山先生は拒否し続けてきた気がします。主義や思想はどんなに正しそうに見えても決して絶対的なものではなく、人に押し付けるものではないという姿勢が、作品に焦点を二つ置くことへ繋がったように思えます。
 焦点を二つ置くと言っても、ヒーローとアンチヒーローではないんですね。普通、小説は主人公がいてライバルがいて、みたいになりますが、それでは焦点が一つのままなのです。焦点であるヒーローの真裏にライバルがいる、という形にすぎません。城山作品に登場するのは、どこか似ている、どこか違う、妙に気になる、腹違いの兄弟のような二人組です。そして主人公はヒーローですらありません。
 さきほど触れた城山先生の吉村昭さんへの追悼文の中に、「敗走する人々を、吉村さんほど入念に描いた人はいないのではないか。これは吉村さんの文学を通して、面白いと思うところである。/私は、この吉村さんのテーマの選び方には、昭和二年生まれのものの見方が、端的に現れていると思うのである。(略)/戦中派最末期の昭和二年生まれから見ると、司馬さんが戦車隊に所属していたことでさえ、まぶしく見えるのである。まがりなりにも、陸軍という組織や戦車隊という任務を体験しているから。/それに対して、私が入った昭和二十年の海軍は、まったく軍隊としての体をなしていないように感じた。あのまま戦争が続いていたら、私は『伏龍(ふくりゅう)特別攻撃隊』として、潜水服を着て関東の海岸に潜って、爆弾のついた棒で米軍の上陸用舟艇を突く作戦に駆り出されていただろう。自分たちが消耗品として集められたことを、憧れの海軍に入って思い知ったのである。/だから、昭和二年生まれの作家が歴史に材を取って小説を書こうとしても、カッコいいヒーローはどうしても書けないのだ。戦争末期の東京にとどまって、空襲を逃れていた吉村さんも、恐らく同じだったのではないか。吉村さんの作品を見渡してみて、私にはそのことが痛いほどよくわかる」とあります。ちなみに言えば、司馬遼太郎さんは大正十二年生れで、池波正太郎さん、田村隆一さん、遠藤周作さんなどもこの年のお生れです。
「カッコいいヒーロー」という言葉で思い出しましたが、城山先生と大竹海兵団で同期だった人に笠原和夫という脚本家がいます。やはり昭和二年生れ。城山先生が練習生分隊第二部の部長、笠原さんが第一部の部長だったそうです。こうの史代さんの素晴らしい漫画であり、アニメ映画にもなった『この世界の片隅に』(平成二十~二十一年、映画は二十八年)の舞台は呉ですが、あの時期のあのあたりに城山先生も笠原さんもいらした。
 やくざ映画、任侠映画と呼ばれるものには一応定義らしきものがありまして、東映が製作した一連の映画――昭和三十九年(三十八年の映画『人生劇場 飛車角』から数える場合もあります)から四十七年まで続いたジャンルを指し、その後実録路線というやくざ映画に衣替えします。この任侠映画黎明期に高倉健の『日本侠客伝』(昭和三十九年~四十六年)という一大シリーズを起こし、また三島由紀夫が絶賛した名作『博奕打ち 総長賭博』(昭和四十三年)を書いたのが笠原さんです。
 彼はやくざ映画を代表する脚本家として、高倉健や鶴田浩二といった〈カッコいいヒーロー〉、大義に殉ずるヒーローを描いてきました。その笠原さんが――『総長賭博』に既に萌芽はあるのですが――四十八年から翌年にかけて『仁義なき戦い』四部作を書き、マンネリ化していた任侠路線にトドメを刺して、実録路線を切り開きます(菅原文太が演じた主人公広能(ひろの)昌三のモデルも戦争中は城山さんや笠原さんと同じ大竹海兵団におり、後に呉でやくざの組長になります)。
 この四部作は、もうカッコいいヒーローは描かない、大義も何もないのが社会だ、人間はくるくる変わるものだ、と宣言しているような映画です。四本とも傑作ですから全て観て頂きたいのですが、特に第二部『広島死闘編』を好きだという方が多いようです(私は第三部『代理戦争』と第四部『頂上作戦』こそ素晴らしいと思っています)。この第二部、面白いのは、笠原さんは北大路欣也扮する特攻に行きそびれた殺し屋山中正治に感情移入していたのに、昭和五年生れ(作家で言えば開高健さんや野坂昭如さんたちの生れ年です)の深作欣二監督は千葉真一演ずる闇市世代のやくざ大友勝利の方に肩入れして(ここでも生れ年の差は大きい)、この楕円形のバランスが映画に熱気を与えています。ちなみに他の三作、特に第三部と第四部は楕円形どころか、すごい群像劇で、花田清輝の謂う「円の亡霊」から遠く離れており、そのあたりにも昭和二年の刻印を窺うことができます。

二人でいること、または第二の人生

 さて、最後の長篇小説『指揮官たちの特攻』では『落日燃ゆ』で出来なかったことに挑もうとされていました。『落日燃ゆ』は当初の構想では、戦争の指導者層と城山先生たち少年兵をパラレルに描くはずでした。とはいえ軍人なんか書くのは絶対にイヤだと考えているうちに、文官として唯一のA級戦犯となった広田弘毅が浮かび上がってきた。広田の遺族は取材拒否だったのですが、偶然ゴルフ場で会った大岡昇平さんが広田の長男と同級生で、そこから取材の道が開けていった、というのはよく知られたエピソードです。そうして広田を調べていくうちに、彼だけを追いかけようとなって、少年兵を描くほうは諦めた、という経緯がありました。
 それを『指揮官たちの特攻』で再び試みようとしたのです。「51歳と17歳の特攻を描く」というメモが残っていますが(『どうせ、あちらへは手ぶらで行く』)、おそらくは航空艦隊司令長官宇垣纏(まとめ)中将――中津留大尉と共に最後の特攻をする人物――と、城山先生と同い年の少年兵の特攻を描くつもりだったと思います。やはり焦点は二つだったんですね。ところが、ご一緒にバンクーバーまで『指揮官たちの特攻』のための取材旅行に行った直後に、奥様の容子さんが倒れられ、数か月後には亡くなられた。
 ここでテーマが変わりました。宇垣纏も城山少年自身も出てくるけれど、やや後ろに引っ込んでいます。新たなテーマは〈残された者の悲しみ〉でした。人生の喜びを知らないまま死んでいった少年兵は可哀そうだけれど、愛する人と結婚して幸せな時間を持てた青年たちは、軍人として、もう戦死は当然なものとして覚悟している。一度は花を咲かせたのだから悔いはない。しかし、残された側はどうか? 花が散った後の枯れ木の枝のように、悲哀はもっと深いのではないか――そんなテーマに変わったのです。主人公は伴侶を持つ青年指揮官、関行男と中津留達雄になりました。
 そして『指揮官たちの特攻』の後、容子さんのメモワール『そうか、もう君はいないのか』に取りかかります。ご承知のように、この作品は何年も書き継がれながら完成せず、先生が亡くなられたのち未完の原稿を纏めて出版されました(平成二十年)。ベストセラーになりましたが、あまりに城山三郎的ではない作品だ、とずいぶん意外に思った読者も多かったようです。でも、本当にそうでしょうか?
『そうか、もう君はいないのか』は、残された者の悲哀という意味では前作『指揮官たちの特攻』からそのまま繋がっているテーマです。『特攻』では主に描かれたのは老いた親でしたが、今度は夫婦です。夫婦を描くという点においては、『落日燃ゆ』の広田夫婦や『雄気堂々』の渋沢夫婦や『気張る男』の松本夫婦たちも極めて美しく描かれていたのが思い出されます。つまり、『そうか、もう君はいないのか』に登場する城山三郎も容子夫人も実に城山的登場人物なのです。
 しかし何より印象的なのは、戦争帰りの青年を描く『大義の末』、定年後のサラリーマンという問題を取り上げた『毎日が日曜日』(昭和五十一年)、高齢化社会で晩年までいかに充実して過ごすかという『部長の大晩年』(平成十年)など、作家として長年取り組んできた〈第二の人生をどう生きるか〉〈余生をいかに燃焼し尽くすか〉というテーマが、『そうか、もう君はいないのか』という作品だけにとどまらず、書いている城山先生自身と重なってくることです。
 昭和二年に生れた男が、大義を信じた末に、偶然巡り合った伴侶と二人組でどう生きてきたか? それを残された者として書き継いでいくことで、先生はご自分の文学的テーマを体現するように充実した人生を終えられたという気がします。何だか奇跡的な生涯だなあと思いますね。

 (しむら・じんたろう 元担当編集者)

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