書評
2019年2月号掲載
第160回 芥川賞受賞作!
ボクシングという螺旋
町屋良平『1R1分34秒』
対象書籍名:『1R1分34秒』
対象著者:町屋良平
対象書籍ISBN:978-4-10-103441-6
所属する小熊ジムあてに依頼が届いて、ボクサーのコンディショニングについて、町屋さんから昨年取材を受けました。「コンディショニング」というのは、選手の体調管理全般のことです。減量はもちろん、たとえば前日計量を終えたあと、試合までのあいだに何を食べればよいか。つまり、ゴングが鳴るまでに、自分の体調をピークに近づけていく技術のことを言います。
完成した作品を読むと、プロボクサーの目から見ても、この小説のボクシング描写はすごくリアルに伝わってきました。身体の展開、構え、目線の動き、ぜんぶ頭に浮かんでくる。表現が豊かで綿密で、読んでいる自分が「主観」になれた。なかでもいちばん共感したのは、主人公「ぼく」の人物像です。デビュー戦をKOで勝ったあと、負けが込んできた二十一歳の主人公は、とてもナイーヴな人間で、考えすぎてしまったり、うまくプレッシャーを発散できずに他人と衝突してしまったりして、ボクシングと相思相愛になりにいかないところがある。僕とどこか似ているんです。自分で自分が分からなくなってきて、自己が一定でなくなってしまう彼のことを、まるで僕自身を見ているかのように読みました。
例を挙げれば、主人公がKO負けして病院でCT検査を受けて、「ちいさな出血でもみつかってあらたな人生のフェーズに移行したいというきもちが、まったくないとはいいきれなかった」と思考する場面。僕もKO負けしたあとの検診で同じことを考えたことがあります。どうしようもない状況に陥りたい気持ちというか、周りのみんなが納得できる辞め方はこれしかないな、という投げやりな気持ち。そのとき、結果的には「異常なし」と言われてほっとしたけれど、正確に言うと多分、ほっとした自分にほっとしていたんです。自分はまだ続けたい気持ちがあるんだ、と......。町屋さんはなぜこんなことが分かるのだろうと驚きました。
主人公はボクシングに対するネガティブなイメージを捨てられず、いくつかの自分と戦いながら、葛藤しながらリングに上がります。かつての僕も、主人公と同じくらいの熱量でボクシングに触れていました。別に勝てなくてもいいし、惰性で試合をして、一、二回負けたら辞めよう、くらいの感じ。僕が唯一持っているタイトルは東日本新人王なのですが、タイトルを取ったあとに初めて負けたとき、奈落の底に突き落とされました。敗北者の烙印を押されて、なんて残酷な、怖い世界なのだろうと思ったんです。もちろんボクシングは大好きです。大好きでありながら、ボクシングが怖くなった。パンチをもらうのも、血が出るのも怖くない。ただ負けることが怖い。存在を全否定されることが怖い。リングの上では、ハンコで押されたように結果を突きつけられて、勝つか負けるかの結果しかないんです。勝つためにやってきたすべての選択肢は、結果のためだけにある。
だからこそ、その結果に至る過程で主人公と心を通わせていくトレーナーのウメキチは、ボクサーにとってとても大きな存在です。最初は距離を置いていて、作ってくれた弁当を捨てたり、タメ口を利いたりして反抗するけれど、徐々にウメキチに心を開いていく。主人公は、体重がオーバーしたらあいつのせいにしてやる、とまで念じるようになり、ウメキチもただ甘やかすのではなくて、教えることはしっかり教えたうえで主人公の心に入っていく、という関係性。僕のトレーナーは、元世界チャンピオンの小熊正二というジムの会長で、ウメキチとは少し違って放任主義なのですが、僕が負けた時には、自分と同じくらい、ひょっとしたら自分以上に悔しがってくれるんです。僕が一番頼れるのは会長で、自分はこの人のボクシングでチャンピオンを目指したい。スランプになって辞めることを考えても、「この人が降りていないのに、僕が降りるわけにはいかない」と思う。ラウンドが終わってインターバルでコーナーに帰ったとき、この人の言うことさえ聞けば大丈夫だ、この人だけが勝つために何が必要かを教えてくれる、といった信頼関係はなかなかできません。この小説の主人公にとって、その相手はウメキチなんです。
「1R1分34秒」というタイトルが指すものはほんの一瞬の数字にすぎないけれど、リングの上は数値化できない濃密な時間で、その時間には「今」しかない。だからボクシングは面白くて、やめられないんです。僕は螺旋という言い方をするのですが、主人公も、これからきっとボクシングの螺旋にはまっていくと思います。それに飲み込まれていって、ボクシングそのものになっていくような螺旋に。
(たのおか・じょう プロボクサー)