書評

2019年2月号掲載

人をひきつけるタブーの本質

――橘玲『もっと言ってはいけない』(新潮新書)

山口真由

対象書籍名:『もっと言ってはいけない』(新潮新書)
対象著者:橘玲
対象書籍ISBN:978-4-10-610799-3

 生来的な知能の優劣――これほどタブー視され、それと同時に人をひきつけるものもないだろう。それは、前作『言ってはいけない 残酷すぎる真実』がベストセラーになったことでも明らかだ。そして、本書はさらにこのタブーの本質に深く切り込んでいる。
 黒人よりも白人のIQが高いのは、1960年代には既によく知られた事実だった。しかし、この時代、人々は希望に満ちていた。これこそ、奴隷とされた黒人が経済・社会的に劣位に置かれ続けてきた結果だろう。この現実を変えようというのが、人種間の差別をなくす公民権運動の原動力となったのだ。ところが、数十年を経た後、人種間のIQ格差は気まずい沈黙へと変わっていく。その理由について「長期にわたる『人種差別とのたたかい』にもかかわらず、白人と黒人のIQ格差はほとんど変わっていなかったからだ」と本書は説く。表面的に平等になった社会に、いまだ根深い差別が残るからだろうという反論もあろう。それは否定できまい。だが、こちらも虐げられてきたアジア系アメリカ人(例えば、日系アメリカ人は、第二次世界大戦中には「敵性民族」として財産を没収されたうえでキャンプに強制収容されていた)が、世代を経るごとに大学進学率を大幅に上げ、社会的地位を向上させる。となると、社会的な差別だけで格差を説明することが難しくなる。それでも「リベラル」な人々は「すべての人は平等」という理想に向けて、振り上げた拳を決して降ろそうとはしなかった。代わりに「表現」が攻撃されるようになる。「黒人」「白人」などという肌の色に着目した呼称は差別を助長するので、「アフリカ系アメリカ人」「コーカソイド」に改めよう。女性の職業であるとの先入観に基づく「看護婦」も性差別、「看護師」に変えよう。いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」の胎動である。
 しかし、本書の出色はその先である。建前を徹底的にクリーンに塗り替えていったこの社会で、現実がどれだけ変化したのだろうか。「アフリカ系アメリカ人」のIQがどれだけ上がり、「看護師」に占める男性の割合がどれだけ増えたのか。そこが変わらないならば、むしろ表現だけを整えることは、そこにある確かな違いを糊塗(こと)することに過ぎないとの考えも成り立つ。さらに進んで、本書のアボリジニのIQの話は示唆的だった。伝統的な社会に暮らす人々のIQは低い。アボリジニも例外ではない。ところが、空間記憶能力についていえば、白人の子どもと比較して相当程度高いという。ここで我々ははたと気づく。そもそもIQという指標は「知能」を測る物差しとして適しているのかと。それぞれの地域や文化の中で、人は生き延びるための能力を発達させる。砂漠に追いやられたアボリジニは、自らの居場所を見失わないように空間記憶能力を高めたとのこと。ならば、それぞれの暮らしに即した知恵があり、おのおのの尺度があってしかるべきではないか。それをIQというスタンダードのみにはめこんで優劣をつけることが果して妥当だったのか。
 そう考えると、現代社会というのは、本書でいうところの「自己家畜化」の進んだ西欧文明を基軸として、どれだけそれに適応しているかで「知能」の高さを評価しているといえる。とすると、社会の根本的な仕組み自体が、特定の人に有利に作られている可能性がある。だから、遺伝と知能はタブーになったのかもしれない。そこに着目し、この議論を進めていけば、社会構造を根底から覆す結果になるかもしれないという確かな直感。それが、そこに踏み込むことを躊躇させる。と同時に、見たことのない世界からの手招きが我々を強く惹きつける。
「卓越したアーリア人種」というヒトラーの狂気によって生まれたホロコースト、黒人奴隷制度、女性差別――こういった歴史的な悲劇を繰り返さないためと言えば聞こえはいい。しかし、同時に、遺伝と知能という事実に正面から向き合わなかったことが、格差を拡大し続ける社会システム自体を温存することにつながった可能性はないか。そして今、世界がこの矛盾の前で悲鳴を上げている。トランプ大統領の誕生、ヨーロッパ各地での極右政党の台頭などの反知性主義とされる運動は、社会の構造的な不公正に対する直観的な抗議にも見えてくる。さて、我々はどうすべきか。パンドラの箱を開け、「人の平等」に反するかもしれない不都合な真実を徹底的に研究して、新しい公平へと向かうべきなのか。その過程に巨大な混乱が待ち受けていることを覚悟したうえで......。本書が突きつける問いは重い。

 (やまぐち・まゆ ニューヨーク州弁護士)

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