対談・鼎談

2019年2月号掲載

『モンスターマザー 長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』文庫化記念

特別対談 嘘と冤罪のあいだ

福田ますみ  × 佐々木健一

対象書籍名:『モンスターマザー 長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』(新潮文庫)
対象著者:福田ますみ
対象書籍ISBN:978-4-10-131183-8

新春から民放三社で弁護士を主人公とするリーガルドラマがスタートして話題となっているが、99・9パーセントの被告が有罪になるという、日本の異様な刑事司法のなかで、14件もの無罪判決を勝ち取っている異色の弁護士、今村核氏のことをご存知だろうか。その今村弁護士に取材して番組『ブレイブ 勇敢なる者「えん罪弁護士」』を制作したNHKエデュケーショナル・ディレクターの佐々木健一さんと、保護者の「嘘」によって窮地に追いやられた教師たちの苦闘を描いたルポ『でっちあげ』『モンスターマザー』の著者・福田ますみさんに語り合ってもらった。TVドラマでは描かれない、日本の司法制度の歪みとは何か――。

話題の弁護士ドラマでは描かれない
刑事司法の「不条理」

福田 私が取材したふたつの事件では、濡れ衣を着せられた教諭や学校の弁護を買って出た弁護士さんに、山のように資料を提供してもらってずいぶん助けてもらいましたが、裁判は弁護士の力の入れ方によってまったくちがう結末を迎えてしまうのだと実感しました。しかも依頼人の無罪を信じて弁護するということは「殺人教師の肩を持つのか」とか「痴漢を弁護するのか」と世間から厳しく批判されるということ。『モンスターマザー』の弁護士には嫌がらせの電話がかかってきたり、長年の顧客を失ったりということもあったそうです。

佐々木 ぼくが取材した今村核弁護士にも深い葛藤がありました。冤罪を証明するのに手間暇ばかりかかる案件が彼の元にくるんです。刑事事件の弁護ばかりしていると周囲からは変人扱いされますし、民事裁判に比べて金銭的にも報われない仕事です。今村弁護士は誰も滑ったりしないごく普通の廊下で何度も足を滑らせたりするんですが、真相究明のためにひたすら歩いて、新しい靴も買わないので、靴底がツルツルになっていたんです。

福田 無罪を立証するために火災の再現実験をしたりして、真相を求める情熱が凄まじい。「疑わしきは罰せず」が原則のはずなのに、日本の司法制度では被告側が無罪を立証しないといけないという欠陥があって、それをやむをえず引き受けている。

佐々木 そうした実験の費用だって弁護団の持ち出しなんです。火災実験には百万円以上かかっていますが、国民救援会などのカンパで捻出したそうです。

福田 いまならクラウド・ファンディングが使えるかも。

佐々木 これからはそういう発想をもつ弁護士も出てくると思います。でも裁判で冤罪を証明できても、そういった費用がかえってくるわけではない。クラクラするような不条理です。いまのままでは、冤罪が疑われる事件に手を挙げる弁護士がいなくなってしまう。

福田 冤罪ではない案件だって舞い込みますよね。今村弁護士はどうやってそれを見極めるんでしょうね。

佐々木 本当はやったんだけど、やってないという人も当然いるでしょうね。彼はすぐに判断しないで、まずは資料を送ってほしいと言うそうです。そして徹底的に精査する。依頼を引き受けるべきか、真相を見極める手間を惜しまないんです。

福田 でもなんで今村弁護士のようなすごい実績がある人がこれまで知られていなかったんでしょう。

佐々木 比較的世間に知られていない小さな事件が多かったからかもしれません。無口で一見、偏屈者に見えますし。しかしあの葛藤を抱えながらも絶対に妥協しない執念は人並みではありません。

フェイクニュース時代に「真相」を
見極めるたったひとつの方法

佐々木 福田さんが取材した丸子実業高校の「いじめ自殺事件」のことはぼくもリアルタイムで見ていて、「いじめを苦にして自殺した」という高校生の母親の主張をうのみにしていた一人でもあるんですが、マスコミにもでっちあげに加担してしまった人と「この事件おかしいんじゃないか」という人、どちらもいたと思います。その別れ道はどこにあったんでしょうか。

福田 もともと冤罪事件には興味があったからかもしれません。70年代に甲山事件というのが起こりました。兵庫県の甲山学園という知的障害者施設で園児二人が溺死しているのが発見されて、沢崎悦子さんという保母さんが逮捕されたんです。彼女は何日間も拘束されて、よくある刑事ドラマと同じように、一人の刑事に「お前が殺したんだろう!」と怒鳴られ、もう一人には優しく諭すように「えっちゃん、本当のことを言いなさい」と説かれて、嘘の「自白」をしてしまうんですが、一度は証拠不十分で釈放されます。ところが若くて熱意のある弁護士に「証拠不十分で起訴見送りというのは、完全にあなたの不名誉が雪がれたわけではないということ」と言われて、沢崎さんは国家賠償請求訴訟を起こすんですね。そして報復かどうかはわかりませんが、警察は彼女を再逮捕するわけです。しかし彼女はその後20年にわたる裁判のなかで一度も有罪判決を受けませんでした。『でっちあげ』で取材した事件については、保護者に言いがかりをつけられた教諭が自らマスコミに潔白を主張しなければ誰も守ってくれないと気がついたタイミングで、長時間話を聞くことができた幸運に恵まれただけなのですが......。

佐々木 テレビの報道記者も新聞記者もすぐに記事を出すことを求められるので、手っ取り早く取材しやすい人を取材して済ませてしまう傾向はあると思います。大学時代にドキュメンタリーを作ろうと、ハンセン病の元患者たちが国家賠償請求訴訟を提訴した頃だったので、ハンセン病の元患者の療養所である多磨全生園に通っていたのですが、マスコミが入所者の中でも取材しやすい人にばかり取材しているのを見て、とても驚きました。いわゆる共産党系で原告団に入っている人になるんですが、そういう方々は当時、入所者の2割くらいだったんですね。入所者にも一般社会と同じように自民党系の人や無派閥の人も当然いるのに、2割の人が語ることを全体の意見として伝えているように見えました。ぼく自身は政治運動にかかわったこともない、ただの大学生で、国賠訴訟の原告団の支援者に頼まれてビラ配りを手伝いましたが、中には受け取ってもくれない入所者の方もいました。療養所で暮らす人もさまざまで複雑な感情を抱いていることを目の当たりにしたんです。事実を丁寧に取材しなければならないと思う原体験になりました。

福田 ハンセン病のことは、隔離政策は不要だといって学会から追放された小笠原登医師に強い関心を持って、私も一時期調べましたが、欧米ではかなりはやい時期に特効薬ができて隔離や断種をやめているのに、日本はつい最近まで続けていました。

佐々木 入所者の元患者たちは、らい予防法の成立の中心にいて、のちに「悪の権化」のように言われる光田健輔に対しても複雑な感情を持っていました。隔離や断種、堕胎といった政策についても、「強制された」という一言ではとても括れないものを感じました。印象的だったのは当時、信濃毎日新聞だけが原告団に入っていない元患者にも取材して、彼らの多重性、複雑性をきちんと踏まえた上で報道していたことです。「療養所があったからこそ生きながらえた」と語る元患者がいる現実も含めて報道していたんです。「隔離を是認するのか!」と批判されるでしょうから、これはこれで勇気のいる報道です。なにより取材に手間をかけないとそうした立体的な報道はできない。結局、真相に迫ろうと思えば、愚直に取材し、あらゆる情報を集めるしかありません。これをぼくは"トロール作戦"と呼んでいますが。

福田 しかも読者がその報道から真相を見極めるのもまた大変です。

佐々木 『でっちあげ』の事件でも『モンスターマザー』の事件でも、ネットで検索すると教諭や学校側を陥れた保護者側の主張がいまだに「真相」のように出てきてしまいますね。

福田 教諭の名前や写真も出てしまっていますし。

佐々木 真相に近づくのがとてもむずかしい世の中になってしまって、ジレンマを感じますね。ネット記事やニュース動画だって、短いものしか見てもらえませんから、現代はさらに冤罪が起こりやすい社会構造になっているのかもしれません。

被害者に寄り添う「正義感」が冤罪を生む?

福田 私の取材した事件では、保護者の嘘を真に受けた弁護士が山のようにいました。保護者の周辺に取材すれば、『でっちあげ』の母親が言っていることがおかしいことは簡単にわかるのですが、それでも彼女の弁護団は結局数百人規模にのぼりました。被害者、弱者を守らねばという「正義感」が判断力を鈍らせるんですね。

佐々木 「人を信じる」というのは本当にむずかしいですね。そしてまちがいに気づいて軌道修正することもまたむずかしい。『でっちあげ』の母親の弁護士たちは、これだけ真相が明らかになっても、「彼女は真実を語っているんだ」という態度を改めることはできませんでした。

福田 記者を集めて派手に「こんなひどい教師がいる」とぶちあげてしまった手前、引き返せなくなったのかもしれません。

佐々木 検察官も、立件して裁判に持ち込んでしまうと、絶対に引き返せないということもあるでしょうね。

福田 「自分は被害者だ」と自称している人の言うことならば、すべて正しいんだと頭から信じる「正義感」が冤罪を生むんだと思います。

佐々木 冤罪被害者の汚名が雪がれて、壊れてしまった個人の人生が補償される機会はきわめて少ない。それに比べれば、検察官が自分の主張を軌道修正することはまだ容易いはずなんですが、大きな組織の一員だからか、それがなかなかできない。自戒の念を込めていいますが、マスコミも同じですね。

福田 締切が厳しくなればなるほど声の大きい被害者からばかり話を聞いてしまうし、書いたことをなかなか引っ込められない。私が主に記事を書いてきた「新潮45」のような月刊誌はもう少し余裕があります。雑誌ももちろん締切はありますが、私のように物好きで風来坊みたいなフリーライターならば「まだ確かなことは書けないな」と思えば「書かないという選択肢」もあります。もちろん原稿料がもらえなくて生活は困りますが。大マスコミが捕捉しきれないテーマに目をつけるという点で"ニッチ産業"のようでもあります(笑)。

佐々木 ぼくは「真実」という言葉をあまり使わないようにしているんです。番組を作ったり本を書くにあたっては、たくさんの「事実」を集めますが、「これが真実です」と言い切ってしまうと冤罪を生む側と同じように、もしそれが間違っていた時に軌道修正をしなくなりそうな気がするんです。

福田 カルロス・ゴーンが逮捕されて、取り調べに弁護士が同席できないとか、否認すると保釈されないという日本独自のルールが海外から批判されつつありますが、司法制度にも問題がありそうです。

佐々木 日本の司法制度が国際的に見てかなり古いことはたしかでしょうね。2006年に取り調べの一部可視化が始まりましたが、検察側に有利に使われる懸念があります。たとえやっていなくても、さっさと嘘の自白をしてしまって罰金を払ったり和解に応じてしまった方がいい、長年裁判で争うよりはマシだということにもなっていきますよね。こうした日本の刑事司法の歪みが冤罪を生んでいる面もあります。

 (ささき・けんいち テレビ番組ディレクター)
 (ふくだ・ますみ ノンフィクションライター)

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