対談・鼎談
2019年2月号掲載
『モンローが死んだ日』新潮文庫刊行&ドラマ化 記念対談
こころの治療ときどきドラマのことなど
最相葉月 小池真理子
昨年11月28日に la kagū で行われたトークショーを採録。小池さんの文庫新刊、心の治療、そして原作となったNHK BSでのドラマ、新作について語りあいます。
対象書籍名:『モンローが死んだ日』(新潮文庫)
対象著者:小池真理子
対象書籍ISBN:978-4-10-144028-6
小池 最相さんとお目にかかるのは、まだ三度目なんですよね。最初は2007年の秋でした。夫の藤田宜永と新宿の紀伊國屋ホールで、トークショーとサイン会をやったときに来てくださって。同業者同士ですと、互いのサイン会には顔を出さないのがふつうなので、とても嬉しかった記憶があります。
最相 吉村昭さんが、妻の津村節子さんが仕事をしている姿を見て、この家には二人のニセ金作りがいるとおっしゃってるんですが、ご夫婦で作家をされるというのは大変なことで、もちろん私は小池さんの愛読者でしたから、お二人のトークを聞きたくてうかがったんです。
小池 そうでしたか。ありがとうございます。こうやって二人でお話しする機会がなかったので、すごく楽しみにしていました。よろしくお願いします。
最相 こちらこそよろしくお願いします。
物語のきっかけ、ドラマのことなど
小池 今回、新潮文庫になった長編小説『モンローが死んだ日』は、「サンデー毎日」で連載したあと、毎日新聞出版から刊行されたものです。夫を亡くした後、独り暮らしをしていて心のバランスをくずした還暦間近の女性を主人公にしました。なので、人の精神についてはずいぶん、あれこれ考えましたね。最相さんは『セラピスト』(新潮文庫)という、心の病に対処するセラピストたちについての大作をノンフィクションで書かれていますね。実は私も、心理学とか精神分析学には若いころから興味があったんですよ。
最相 そうだったんですか。
小池 ええ。ユングやフロイトなんかも、好んで読んだりしていました。入門書程度のものでしたが。
最相 やはり、ミステリーを書く場合はとても大事な要素ですからね。
小池 現代人の心の問題、心の動きに興味があったので、小説を書く時も心理面の描写が多かったと思います。最相さんは『セラピスト』の中で、日本の現代社会には心を病んでいる、もしくは病みかけている人が非常に多いにもかかわらず、精神科の数がものすごく少ない、ということをお書きになっていました。本当にその通りだと思います。私は軽井沢に住んでいるのですが、最近まで町に精神科はひとつもなかった。
最相 え、そうなんですか。静養の地でもあるのに、それは意外でした。
小池 そこそこの規模の病院はあっても、精神科を標榜している医療機関がなくて。そんな中、ずいぶん前の話になりますが、車を運転してスーパーに買い物に行く途中、新しく開業されたばかりのクリニックの看板に目が止まったんです。循環器内科に精神科が併設されてたんですよ。循環器内科に精神科、という取り合わせって、すごく珍しいでしょう? 強く印象に残りました。その後、風邪をひいたか何かでそのクリニックを受診した時、先生に精神科併設のわけを伺ってみたんですね。なんでも院長先生の実のお兄様が千葉で精神科を開業なさってて、そのお兄様が軽井沢が大好きな方で、週に一回、千葉から通っていらして精神科の診察もしている、ということでした。お兄様が忙しくなり、精神科併設は数年でやめてしまわれましたが、その話が『モンローが死んだ日』を生み出す最初のきっかけになったんです。
最相 そうだったんですね。毎日新聞の著者インタビューを拝読しましたが、同棲していた男性が亡くなり、女性は彼がお医者さんだと聞いて信じていたのに、医師免許が偽物だった。自分は一体誰と同棲していたんだろう、という記事を新聞でお読みになったのがきっかけともおっしゃってましたね。
小池 はい、その記事にはとても触発されました。小説を書く上での大きなヒントになりましたね。最相さんはノンフィクションライターの立場で「精神世界」に斬り込んでいかれましたが、私は一人の小説家として、フィクションの中でそのことに斬り込んでみたかった。ですから、『モンローが死んだ日』の文庫解説で、最相さんにずばり、この作品は「『精神』と真正面から向き合ったサスペンスである」と書いていただけたことが、本当に嬉しかった。ヒロインの鏡子については、どんなふうに感じられましたか?
最相 途中からキャラクターがガラッと変わりますよね。読者としては戸惑いもするのですが、それが本当にドラマチックで、まさしく精神とはこういう軌跡を描くものなんだなと感じました。小池さんの小説はいつもそうなのですが、心理描写が微細で引き込まれます。そっちに行ったら戻れないよっていうような心理に鏡子さんが陥ってしまうので、自分の脳を調整するのが結構大変でした。鏡子は家庭環境も複雑ですごく危ういところに立っている人で、私がこの年代でこういう状況に陥ったら、心を病んで動けなくなりそうです。鏡子は、伴侶を亡くした五十九歳の女性なんですよね。
小池 夫をがんで亡くし、子どももいない。親兄弟もいない。老いを感じ始めながら一人でひっそりと生きている女性ですので、家族とは何か、ということについても書きたかったですね。私はもう、鏡子の歳よりずっと上になってしまったんですが、この作品を執筆していた時は還暦を少し過ぎたころだったのかな、鏡子をまさに自分自身のように感じながら書いていたことを覚えています。私は、自分の作品の中に、身の丈に合った暮らしを続けながら、黙々と生きている女性、ことさら華やいだことや目立つことを求めず、丁寧に毎日を送っている女性を登場させることが多い。私自身、そういう女性が好きなんですね。自分もいつもそうありたいと思ってます。
最相 バネの弾性という意味で、へこたれない精神を表すレジリエンスという心理学の言葉がありますが、小池さんの小説の主人公たちはみな、いかなる困難にあっても生き抜こうとするレジリエンスの持ち主で、そこが私の好きなところでもありました。鏡子さんもまさしくそうですね。
小池 鏡子はほんとに、作品の中に自然に生まれ落ちてきたようにして書けました。孤独でさびしいような暮らしの中でも、朝起きれば自分のためにご飯を作り、昼のお弁当を作り、二匹の猫の餌をやり、勤め先の文学記念館に出かけて行って、帰りがけにはスーパーに寄り、つつましい食材を買って、帰れば夕食を作る。そんな質素な生活を繰り返しながらも、しっかりと足を踏みしめて生きている、っていう感じを表現したかったですね。
最相 ええ、食事のレシピや服装の描写から鏡子さんの暮らしぶりが目に浮かびました。今回、この『モンローが死んだ日』がドラマ化されるそうですが(NHK BSプレミアムで、1月6日より毎週日曜日全四回の予定で放送)、主役のお二人は、精神科医の高橋が草刈正雄さんで、鏡子が鈴木京香さん。原作では男性が年下なんですよね。
小池 そうです。
最相 高橋が五歳年下で、鏡子は五十九歳。鈴木京香さんって今いくつですかね。
小池 五十歳くらいでしょうか。草刈さんは私と同年齢。六十六歳。
最相 登場人物の年齢ってすごく大事なので、鏡子のほうが若いというドラマの設定は、女性が自分より若い男性に対して臆する心情がうまく表現できないのではないかと、ちょっと気になるところなんですが。
小池 撮影現場にも行ってきたのですが、惚れ惚れするほどお似合いのカップルでした。草刈さんは実年齢より若く見えますし、鏡子を演じる鈴木さんは、もう、原作の中の鏡子そのもの。すごく大人びて、しっとりと落ち着いておられて。だから、鏡子のほうが年下、という設定になっても、これなら大丈夫、と思いました。
心の病を癒すことなど
小池 人間の精神って、恐ろしいくらい、人生のすべてを決定するところがありますよね。性格と言ってもいいんでしょうが、精神のもちかた一つで健康にもなれるし、病気にもなってしまう。せっかく生まれてきたのに、人生そのものを楽しめなくさせてしまうのも精神なんですね。よく心が健康な人が、病んだ心の人に向かって励ますつもりで、ほらほら、そんなに鬱々としてないで、引きこもってないで、少しは外に出て買い物でもしてくれば気分が晴れるよ、とか簡単に言いますけど。
最相 まあ、気にするなとか、簡単に励ましてしまいがちですね。
小池 うん、そう。みんなと楽しく酒を飲めば一発で治っちゃうよ、とかね。でも、人の精神って、そんな単純なものではないと思う。最相さんがお書きになった作品のタイトルにもなったセラピストとは、精神を病んだ人に対して、どのようにセラピーしていくかという、臨床心理士のことですよね。
最相 そうですね。カウンセラーですね。
小池 この作品を書くにあたって、カウンセリングのことも調べたり、話を聞いたりしました。私は心を病んだ経験はないんですが、長い人生、つまずいたことも数しれずあって、カウンセリングを受けたい、と本気で思ったことは何度もあります。でもそのたびに、高いお金を払って自分の精神を垂れ流してくるより、友達や仲間たちと飲みに行って、私が奢るから今夜はずっと私の愚痴を聞いてよ、って頼んだほうがずっといい、なんて思ったりして。
最相 高いところでは、一時間で二万円近くかかるカウンセラーもいますからね。一流の方だとそれぐらいかかるんです。
小池 保険の効かない、自由診療になるわけですね。
最相 そうです。ただ、クリニックで精神科医が精神療法という形でやる分は保険診療になるので、それとの組み合わせになります。なぜそんなにお金がかかるかというと、カウンセリングは、その人の心の状態を、今あるところより少し動かさないといけないわけです。動かすためには、やはり技術、テクニックが必要なんです。
小池 そうですね。
最相 その学びを彼ら本業の人たちは、一生をかけてやっています。資格を取ってプロになっても、週に一、二回ぐらい、診療が全部終わったあとにみんなで勉強会をするんですよ。色々なケースを出して、この場合はどういうふうに対応したらいいか、ここの部分はこういうふうにしたらいいんじゃないかみたいな、症例研究会です。私生活を削って、自己研鑽をしている人たちなんですね。
小池 大変な苦労をされるわけですよね。
最相 その分の対価だと思います。取材していて、ここまでやるからお金がかかるんだというのがよくわかりました。しかも、そのテクニックというのは、決して病んだ方の心をグッと力ずくで動かそうとするのではなくて、時間をかけて少しずつ、ひだを一枚一枚丁寧に整えていくように治していくんです。お酒を飲んで気分を発散してというのとは......。
小池 よくわかります。全然違いますよね。
最相 はい。プロのカウンセラーはやはり特別な方たちなんですよ。それがすごく印象的でした。
次回作のことなど
最相 次の作品のご準備はいかがですか。
小池 もう七年越しになってしまうのですが、新潮社で書き下ろし長編小説を書いています。他の仕事との兼ね合いがうまくいかなくて、なかなか完成させられないまま、時間がたってしまっていますが、今、ラストスパートです。
最相 それは大変ですね。
小池 できれば2019年には刊行にこぎつけたいです。最相さんのほうはいかがですか。
最相 人は何を祈り、どう生き、死んでいくか、ということを考えたいと思って、ここ数年は、ひたすら人の話を聞くということをやっています。私も2019年には刊行したいと思います。小池さんの作品のテーマはどんなものか伺ってもいいですか?
小池 ひと言で言うと、大河小説ふうに描く一人の女性の物語です。でもふつうのヒューマンドラマではなく、主人公をめぐる或る殺人事件を物語に絡ませて、十二歳だった彼女が、六十歳過ぎるまでの人生をいかに生きたか、という小説にしようと。
最相 うわぁ、すごく読みたい。
小池 災いばかりが降りかかる星のもとに生まれ、荒波にもまれながら、それでもその人生を生き抜いていく女性を描くことに、とても魅力を感じるんですね。作者である私がこの年齢になったからこそ、書けることも多くなりました。
最相 今、七年越しとおっしゃいましたけれども、小池さんはいつもそれぐらい長く温めて作品を書いていらっしゃるんですか。
小池 短篇は別ですが、長編ではそういうことが多いかもしれません。最近では、『死の島』という、安楽死や尊厳死をテーマにして書いた作品があるんですが、それもやっぱり十年近くテーマを温めていました。
最相 今回の書き下ろしにも、引っかかりとして具体的な事件があったのですか。
小池 ちょっと種明かししてしまいますが、1963年に、まだ国鉄だった時代のことですけど、鶴見事故という鉄道の大惨事が起こりました。貨物列車と横須賀線の三重衝突事故です。百六十人以上の方が亡くなったんですが、私の母方の叔父がこの事故に巻き込まれて生命を失いました。私が小学五年生の時です。父が遺体確認に出向いて、帰宅してからその凄惨さに絶句していました。この、殺人とは何の関係もなさそうな鉄道事故が、物語に大きく関係してくる、という着想は昔からあって......あ、いけない。これ以上は言えませんね。
最相 ご不幸をうかがって申し上げるのは不適切な言葉なのですが、大変興味深いです。
小池 一人の女性の生涯を描く、というのは、別に珍しいことではなく、これまで様々な女性作家が優れた作品を残してきていますが、私には私にしか書けないものがあるだろう、と思っています。
最相 楽しみにしています。
小池 はい。頑張ります。今日はありがとうございました。
(さいしょう・はづき ノンフィクションライター)
(こいけ・まりこ 作家)