書評
2019年4月号掲載
窪美澄『トリニティ』刊行記念特集
彼女が泣く理由
昭和・平成を生き抜いた三人の女性が、半生をかけて手に入れようとした〈トリニティ=かけがえのない三つのもの〉とは――。
窪美澄がかつてなく深く抉り出した、夢と祈りの行方。
対象書籍名:『トリニティ』
対象著者:窪美澄
対象書籍ISBN:978-4-10-139146-5
大きなクリップでとめられた分厚いゲラ刷りが届いたのは一週間前のことだ。いまこの原稿を書いているパソコンの横にあるそのゲラは、角がぼろぼろになってめくれている。読み始めるや、これは私の物語だと思ってやめられなくなり、取材旅行の飛行機やホテルや列車の中など、いろいろな場所で読んだからだ。読み終えたいま、熱っぽくてリアルで残酷なこの小説を、「私たちの物語」だと思う。
主人公は、1964年、創刊されたばかりの雑誌の編集部で出会った三人の女。ひとりはライター、ひとりはイラストレーター、もうひとりは編集雑務を担当する出版社社員である。その雑誌は若い男性向けの週刊誌で、新聞社や文芸系の出版社による従来の週刊誌とは一線を画す、ビジュアル重視の新しい雑誌だった。小説の中では潮汐出版の「潮汐ライズ」という雑誌になっているが、ファッションはもちろん、先端のカルチャーから社会問題までを扱い、三島由紀夫や野坂昭如も寄稿した雑誌といえば、多くの人は、ああ、あの雑誌かと思い当たるだろう。
イラストレーターは、二十二歳の若さでこの雑誌の表紙を描き、時代の寵児になった妙子。ライターは、売れっ子のフリーランサーで、同じ出版社がその後に創刊するファッション誌の文体を生み出すことになる登紀子。そして、高卒で入社し、当然のように仕事より結婚を選ぶ鈴子。まったく異なる能力と価値観を持った三人が、当時の先端メディアだった雑誌の世界で、つかの間のかかわりをもつ。
妙子と登紀子は"稼ぐ女"であるがゆえに孤独である。妙子は結婚し出産するが、第一線で描き続けるために自分の母親に子育てを託し、夫の気持ちは離れていく。登紀子は、子どもは持たず、妻が外で活躍し夫が家事をするという、働く女の新しい夫婦の形を演じる。ライフスタイルを切り売りする、現在まで続く女性の書き手のパターンの走りである。売れっ子になるが、いつかノンフィクションを書きたいという望みは果たされない。一方、鈴子は編集者にならないかという上司からの誘いを断って見合い結婚をする。
タイトルの「トリニティ」とは、キリスト教における三位一体を意味する。鈴子の結婚式に参列した妙子は、神父の「父と子と聖霊の名において」という言葉を聞きながら、その三つは女にとって何だろうと考える。男、結婚、仕事。それとも、仕事、結婚、子どもだろうか、と。
〈どれも自分は欲しい。すべてを手に入れたい。妙子は思った。/欲深き者、と誹られ、石礫を投げられても〉
三人の中で妙子だけが仕事と結婚と子どものすべてを手に入れた。得たものを手放さないために死ぬほど努力した彼女は、次第に周囲から煙たがられ、トラブルメーカーと言われるようになる。そして孤独な死を迎えるのだ。ライターとして一時代を画した登紀子も、かつての知人に小金を借りて回る老女となる。経済的にも恵まれた穏やかな老後を送っているのは、専業主婦となった鈴子だけである。
仕事を選んだ女は、その報いを受けたということだろうか。いや、そうではない。冒頭に老女として登場する三人の、そこに至るまでの過去が語られていく中で、読者が立ち会うのは、それぞれの人生のきらめくような瞬間だ。それは必ずしも幸福な瞬間ではない。だがそこには、選ぶという行為(それは選ばなかったものを「捨てる」行為でもある)のもつ、痛みを伴う美しさがある。
仕事、結婚、子どもをすべて手に入れた妙子も、その三つを選ぶために多くのものを捨てた。大切なものを捨てなければ、より大切なものを得ることはできない。捨てることで他人を傷つけ、捨てた自分の醜さに泣く彼女といっしょに、私も泣いた。
この小説が描いているのは、主人公たちの世代だけではない。彼女たちの母、娘、孫と、四世代の人生が語られていく。その中で、私たちは何を手に入れ、何を失ったのか。欲深く生きても、石礫を投げられることのない時代を、果たして生きているのか。そんな問いが、読み終わったいまも消えない。
(かけはし・くみこ 作家)