書評

2019年4月号掲載

窪美澄『トリニティ』刊行記念特集

彼女たちは石を投げた

川本三郎

対象書籍名:『トリニティ』
対象著者:窪美澄
対象書籍ISBN:978-4-10-139146-5

 若者の時代と言われた1960年代に青春を送った世代も、新しい元号が始まろうとするいま、七十代になっている。現在の高齢化社会とはかつてのビートルズ世代、「三十歳以上は信じるな」と叫んだ世代が老いてゆく社会である。この小説は、そんないま、1960年代に輝いていた三人の女性の生を辿ってゆく。
 若い女性たちがどう年を取っていったか。青春の終わりの確認であり、老いを迎えて振返った過ぎし青春の物語で、読みごたえがある。多少ともあの時代に深く関わった人間としては、あの頃、われわれ男どもの隣人であった女性たちは、こんなに生き生きとしていたのか、同時に、こんな悩みを抱えていたのかと今頃になって気づいて、時折り、胸が締めつけられる思いがした。
 題名のトリニティとは、三人組、三位一体の意。1960年代のなかごろ、当時の若者文化の中心にいた、ある出版社で出会った三人の女性が主人公になる。彼女たちの友情、それぞれの私生活、結婚、あるいはその破綻、そして仕事ぶりが丹念に描かれてゆく。現代の女性史にもなっている。映画ファンなら、メアリー・マッカーシー原作、シドニー・ルメット監督の「グループ」(1966年)を思い出すだろう。大恐慌時代にアメリカの名門女子大ヴァッサーを卒業した八人の女性のその後を描いた女性映画。大学から実社会へと入っていった若い女性が、それぞれにどんな壁にぶつかってゆくか。
 この小説の三人は、若者の時代と言われた1960年代に活気があった出版界で出会い、女性の時代と言われるようになった1970年代を共に生きてゆく。
 一人は、早川朔(本名、藤田妙子)というイラストレーター。岡山県の山村の出身。苦労して育ち、中学校を卒業して上京。シングルマザーの母親が昼も夜も働いたおかげで、なんとか美術大学を出て、ある幸運からその絵が認められ、「彗星のように」イラストレーターとしてデビューする。
 1964年、東京オリンピックの年に創刊され、たちまち若者文化をリードした週刊誌「平凡パンチ」を思わせる雑誌の表紙に抜擢され、人気イラストレーターになる。
 二人目の佐竹登紀子は、その人気雑誌でフリーのライターとして活躍する。ライターの草分けのような存在。祖母も母親も物書き。東京のお嬢さん。
 三人目は、二人に比べれば地味な宮野鈴子。東京の下町、向島の佃煮屋の娘。高校を卒業して早川朔と佐竹登紀子が仕事をしている出版社に入るが、華やかな編集畑ではなく裏方の事務職。本人はそれで満足している。そして見合い結婚をして専業主婦に徹する。
 三人三様の生き方が、時代と共に丁寧に描かれてゆく。登紀子は、売れっ子のライターの時代にも「ライターなんて使い捨てよ」と醒めていたが、実際、バブル崩壊、出版不況の時代になると仕事が減ってゆく。
 朔もいつしか第一線からしりぞいてゆく。家庭生活もうまくゆかず、子供に「仕事をしているママは嫌いだ」と言われてしまう。
 三人のなかでは鈴子がいちばん幸せそうに見えるが、それでも専業主婦であることに忸怩たる思いを抱いていて、娘に専業主婦にはなるなと言う。
 この小説は、現在、早川朔が死去し、その葬儀で鈴子と登紀子が久しぶりに再会するところから始まり、それをきっかけに過去が回想されてゆく。「思い出される青春」の物語になっている。
 とくに感動したくだりがある。1968年10月21日の国際反戦デーの日。新宿でベトナム反戦を求める大規模なデモがあり、町は騒然となった。その日、ふだんは大人しい鈴子が意外やデモに行きたいと言い出し、登紀子と朔も同意する。三人は新宿の町の反抗の熱気にあおられ、それぞれ思いのたけをぶつけるように石を投げる。男性支配の社会に対する怒りに突然、火がつく。まさに三人の血が騒いだ。
 思えば、若者の反乱の時代と言われたあの時代、その怒りは理性的な言葉で説明出来たわけではない。言葉になる前の感情の塊が噴出したのだ。この新宿騒乱の日の三人の、おそらくは自分たちでも説明がつかない行動には正直、涙が出た。
 朔は死んだ。後年、落ちぶれてしまった登紀子も衰える。共に石を投げた戦友たちが次々に倒れてゆく。鈴子一人が健在。そして力強いのは、鈴子の孫娘、若い世代の奈帆が、祖母たちが生きてきた時代をきちんと記憶しようと決意すること。「石」は確実に手渡されてゆく。

(かわもと・さぶろう 評論家)

最新の書評

ページの先頭へ