書評・エッセイ

2019年5月号掲載

赤松利市『ボダ子』刊行記念エッセイ

共感されたいとは思いません

赤松利市

破滅の道へと突き進むなか、震災ビジネスに縋った男の末路とは――。
実体験を基に描いた正真正銘の問題作、刊行にあたって、胸の内を著者本人が曝け出す。

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対象書籍名:『ボダ子』
対象著者:赤松利市
対象書籍ISBN:978-4-10-352481-6

 読者に共感されたいとは思わない。別に共感されることを拒否しているわけではない。ただ少なくとも、読者を意識して書いた作品ではない。小説家としての資質の欠如かもしれないが、ありのままにいうとそういうことだ。長編書き下ろし三冊目になる『ボダ子』が読者にどう読まれるか、一切気にしなかった。気にする余裕がなかった。
 校了のご連絡を新潮社の担当者からいただき、本作に関して、これまでやり取りしたメールを整理した。私の場合という但し書きがいるかもしれないが、ひとつの作品が出来上がるまでに、担当者と夥しいメールのやり取りがある。どれも消さずに持っている。後々過去のメールの時点に戻って、改稿を検討することも珍しくないからだ。
 刊行されて世に出れば、その作品は著者の物ではない。お読みいただく読者の物になる。だから過去のやり取りのあれこれを整理する。消去するわけではない。別のフォルダーに移し替える。私の執筆場所は今も漫画喫茶だ。仕掛中の作品はメールフォルダーに保存している。フォルダー容量を考えて作業の終わりに別フォルダーに移し替える。
 整理しながら昨年十一月の受信メールに目が留まった。「よくぞここまで書いてくれました」そんな文言から始まる担当者からのメールだった。
 六月一日から書き始め、途中先行している別の版元さんの二作品の改稿やゲラチェック、また文庫本の執筆と併行して進め、本作の初稿が書きあがったのが九月一日だった。そこから改稿を重ね(ほぼ全面改稿だった)、二か月かけて漸くそのメールをいただいた。しかしいつになく長文のそのメールには、さらなる改稿点が列挙されていた。正直私は、新潮社の担当者の貪欲さというか無慈悲さに暫し茫然とした。
 そこから泥濘を進むような改稿作業を続けた。何度もメールをやり取りし、また打ち合わせのため、私のもとに何度も足も運んでいただいた。
 もう少し、もう少しで、という言葉に励まされながら(当時の私の感覚では煽てられながら)、漸く脱稿に至ったのが今年の二月末だ。着手から九か月もかかってしまった。
 苦労自慢ではない。本来なら、こんな楽屋内の話もするべきではないと考える。読者にとって重要なのは偏に作品の内容だろう。しかしどうしても書いておきたかったのは、ここまで『ボダ子』に併走してくれた担当者に対する感謝の念だ。先日装丁見本を見せられた。一切注文はつけなかった。デザインだけでなく、帯に書かれた惹句も、すべてに満足した。『ボダ子』は私一人の作品ではない。等しく担当者の作品でもある。その担当者が考え抜いた装丁、惹句は完璧なものだった。注文の付け所もなかった。この九か月間のことも含め、心からお礼を言いたい。
 私は大藪春彦新人賞でデビューした。舞台は原発事故に翻弄される福島だった。『ボダ子』は復興バブルに沸いた宮城県を舞台にしている。
 宮城県で土木作業員を経験し、福島県では除染作業員を経験した。そんなこともあって、「震災文学」というほど大袈裟なものではないかもしれないが、被災地に関する作品を書かないかと勧めてくれる人もある。
 しかし私が長編書き下ろしで東日本大震災の被災地を扱うのは『ボダ子』を最後とする。被災地を離れて既に三年が経つ。その場所にいない人間が書いていいほど、被災地の状況は甘くない。実際私も、東北で暮らしていたとき、ずいぶんと違和感を覚える意見を耳にしたり、まったく的外れな文章を目にしたりした。同じ轍は断じて踏みたくない。ましてや私は、多くの人を裏切って被災地から逃げ出した人間なのだ。そんな人間に書けるはずがない。
 被災地を書けばきれい事だけでは済まされない。あたりまえに、その土地、土地の葛藤がある。さらに膨大な復興予算が投じられているのだ。金が人の判断を狂わせるのは、いつの時代も変わらない。
 岩手、宮城、福島の十九市町を訪れた。何人かの首長や、それに準じる立場の人と言葉も交わした。被災者の生の声にも日々触れた。募る想いは種々あるが、『ボダ子』をもって総決算としたい。読んでいただければお分かりになるだろう。私は卑怯者だ。これ以上、被災地のことは語れない。

 (あかまつ・りいち 作家)

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