書評

2019年5月号掲載

やり直すか、やり過ごすか

原田ひ香『おっぱいマンション改修争議』

三浦天紗子

対象書籍名:『おっぱいマンション改修争議』(新潮文庫版改題『そのマンション、終の住処でいいですか?』)
対象著者:原田ひ香
対象書籍ISBN:978-4-10-103681-6

 1960年代から70年代、「メタボリズム」と言われた日本発祥の建築運動があった。その構想は建築にとどまらず、ダイナミックに変化する都市やライフスタイルの未来のビジョンとして歓迎された。その空気が活気を呈していたころ、いま見てもというか、いま見るといっそうアバンギャルドな建築物が続々建てられたのだが、実のところ、都市の成長と拡大という前提がぐらついたいま、老朽化という問題に簡単には対処できない事態も生まれている。
『おっぱいマンション改修争議』の舞台となるのは、そんなデザイナーズマンションのはしりとして、かつて羨望を集めた架空のマンションである。それを手がけたのは、天才と謳われた建築家の小宮山悟朗。〈角の取れたさいころ状の「細胞」を積み上げたようなデザイン〉〈細胞の核のように円い窓〉は時代を先取りしていた。現存するメタボリズム建築の代表作に、故・黒川紀章が遺した「中銀カプセルタワービル」があるが、本書で描かれる建物の造型は、それを思わせる。
 物語は、そのニューテラスメタボマンション、通称おっぱいマンションに建て替え運動が持ち上がり、その可否の行方を追って進んでいく。二〇世紀の歴史的建造物として保存を望む声もある一方で、当の住人たちは、湿気や建物全体の劣化による欠陥住宅ぶりに手を焼いている。〈細胞が入れ替わるように、家も合わなくなった部分を取り換えられるっていうのがメタボリズムの売りよね。ごたくは立派だけど、実際、それを実行した建物とかあるのかしら〉という、亡父・悟朗をいまも嫌悪するデザイナーのみどりの批判は、かなり的を射ているのだ。
 みどりを含め、五人が章ごとに視点人物になる。憧れだったメタボマンションの一室を買い、その直後に欠陥に気づいて建て替え運動の先鋒に立つことになった元理科教師の市瀬、小宮山のかつての愛弟子であり右腕であり、いまは小宮山デザイン事務所の社長である岸田恭三の妻・香子、メタボマンションに四〇年住む元女優の宗子、そして岸田本人。取り壊して建て替えるのか、修繕等で対処して保存するのか。その選択に、みなの気持ちは揺れ、ときには翻意する。というのも、五人はそれぞれに、悟朗やメタボマンションをめぐって、少なからぬ奇縁や、晴れない気持ちがあるからなのだ。
 たとえば市瀬は、高校時代に小宮山が「メタボリズム建築」の提唱者だと知り、彼が教鞭を執る大学に進学したほど憧れていた。ことあるごとに彼の授業や講演会に参加し、やがて「先生」と挨拶すれば「ああ、君か」とうなずいてもらえるほどには親しくもなった。なのに、市瀬は小宮山によって人生を変えられたと言ってもいいほどの扱いを受ける。小宮山の才能というものにひれ伏し、何に於いても小宮山やみどりの意向を優先する夫への不満と、小宮山やみどりに対する屈折した気持ちを拭うことができない香子は、やがて建て替えのことでしつこく事務所を訪ねてくる市瀬と、似た思いを抱えている自分に気づいてしまう。宗子はといえば、建て替えが成立すれば新築のバリアフリータイプが無償で手に入ると聞かされほくそ笑んでいたものの、とある事情が立ちはだかる。
 やり直すために一歩踏み出すべきか、やり過ごして状況の変化を待つべきかという、シビアな二択を迫られる五人。マンションの建て替えと人生の転機という、いわば新陳代謝すべき状況がオーバーラップし、ひとりひとりの、あるいはその家族の、重い人生ドラマが浮かび上がる。それだけでも面白いのだが、それだけで終わらせないのが、原田ひ香。実はこのマンションには、建て替えをめぐる仰天のヒミツがあったのだ。伏線はあった。だが、種明かしされてみれば衝撃的。
 考えてみれば、原田はしばしば小説に社会問題を溶け込ませ、読者の心を揺さぶってきた。事故物件に住む女性の、寄る辺ない境遇と再生を描く『東京ロンダリング』、母性というもののありようを問いかける『母親ウエスタン』、女性の貧困やヤングケアラーをモチーフにした『DRY』など。読みながらいつも、自分だったらあのときどうしただろうと自問自答せずにはいられない。物語の力でそんな地平にまで連れていってくれる、稀有な作家だと思う。

 (みうら・あさこ ライター/ブックカウンセラー)

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