書評
2019年5月号掲載
「認識の違い」が分かれば前進できる
黒川伊保子『共感障害 「話が通じない」の正体』
対象書籍名:『共感障害 「話が通じない」の正体』(新潮文庫改題『「話が通じない」の正体―共感障害という謎―』)
対象著者:黒川伊保子
対象書籍ISBN:978-4-10-127956-5
この本は、まるで僕の大好きなちらしずし。テーマである「共感障害」を主軸に、認識の違い、発達障害、自閉症、子育てなど脳科学に関連する重要なトピックが彩り豊かに論じられています。
本書によると「共感障害」とは、一種の脳の認識のトラブル。このトラブルがある人は、挨拶を返さなかったり、適切なタイミングでうなずかなかったり、目を合わさなかったり、つまり「当たり前」とされることをしない。なぜそうなるかというと、自分が置かれた状況を脳が認識できていないから。そのため、「暗黙のうちに学ぶ」ということができません。こういう人がいると、当然周りは困ります。でも、彼らを「気が利かない」「やる気がない」「性格が悪い」と決めつけるのではなく、その認識のしかたの違いを理解して彼らにも分かるように行動すれば、お互いが楽になるというのです。
本書には、こういう人が職場や家庭にいて困っている人へのアドバイスだけでなく、自分が「共感障害」だと感じる人への具体的アドバイスも書かれています。三章構成で、「第一章 脳が違えば、見ているものが違う」は、「第二章 共感障害とは何か」「第三章 共感障害と生きる」へ至る前の「基礎知識篇」という位置づけ。でも、この第一章に「脳の認識」について、とても重要なことが書かれています。黒川さんのご専門ともいえる「男女の違い」もありますが、「江戸っ子のすかし」「京都のはんなり」「大阪のいじり」といった地域別の認識の違いのエピソードが「認識のしかたの違い」を理解するのに絶妙の例。全国各地を講演で廻った経験から、僕にも思い当たることがたくさんありました。今もテレビ番組の仕事のために、毎月一回大阪に通っているのですが、同じ関西の滋賀県出身の僕でも、いまだに大阪に行くたびにマナーの違いに驚かされていますから。
この認識のしかたの違いは、異なる宗教観による正義の違いなど、国際政治や外交でも当然生じることでしょうから、重要なテーマです。意見や行動の相違が「認識のしかたの違い」によるものとわかれば、そこから議論を重ねて本当の意味で理解し合えるのではないでしょうか。それが「絆」と声高に言うような表面的なつながりではなく、深いつながりを生むことになると思います。
さて、「共感障害」ですが、教育の現場では1990年代後半から、小学校の先生が「当たり前のこと」ができない児童について話題にし始めました。ある先生によると、クラス全員に「みんな、わかった?」と呼びかけても、何人もの子が知らん顔する。「鈴木くん」「山田くん」と名指ししたり、「六班の五人」と特定して呼びかけたりしないと応えない。「みんな」という概念を認識しなくなっているというのですね。これが第一波とすれば、次の大きな波は本書でも論じられているとおり、近年のSNSの影響です。2010年頃から、大学のゼミが崩壊寸前という話があちこちで聞こえてきました。SNSでのコミュニケーションが学生の中心になり、教室での議論や決定が軽視されるようになったのです。僕のゼミでは、「SNSは『連絡事項』だけに限定して、『議論』はしない」という決まりにして、やっと崩壊を免れました。
もちろん、SNSすべてが悪者というのではありません。本書でもインスタ、ツイッター、フェイスブックの違いが論じられていますが、画像主体のインスタとことばが主体のツイッターやブログでは、僕の実感でも明らかに違いがありますね。黒川さんが書いているように、写真は「対象の状況」で、ことばは「投稿者のものの見方」。「ものの見方」には反論したくなる人もいるのでしょうが、「状況」に対して反論は生じにくい。確かに、僕のブログは何度も炎上しましたが、インスタには、一方的な反論はめったに届きません。
僕が専門とする臨床教育学は、現場で「探検」し、問題点を「発見」して、「こりゃあほっとけん」と解決へ向けて乗り出す。診断からお薬を処方するまで患者さんの面倒を見る町医者みたいな学問です。本書は、「臨床脳科学」ではないでしょうか。黒川さんが実際に見聞きしたことから「共感障害」を発見し、自己体験も盛り込んで、ママ目線、庶民目線の現場感覚をもって解決へと乗り出していった。ご自身が自閉症スペクトラムと分かって驚いたことや、ひとり息子を育てた経験談など、思わず笑ってしまうほどおもしろい。
「共感障害」に悩んでいる人だけでなく、脳科学の本を読んだことがない人、お母さんお父さん方、教育学の研究者を含め学校の先生にも読んでほしいです。分野を超えていろんな議論が生まれ、コミュニケーションの問題解決へと前進できるといいですね。
(おぎ・なおき 教育評論家)