書評
2019年5月号掲載
2019年小宇宙の旅
フロイト『新訳 夢判断』
対象書籍名:『新訳 夢判断』(新潮モダン・クラシックス)
対象著者:フロイト著/大平健編訳
対象書籍ISBN:978-4-10-591007-5
フロイトの『夢判断』の翻訳を終えた日、作業中に溜まっていた資料やらメモやらを片付けていたら、その下から『宇宙百科事典』が出てきました。スミソニアン博物館の人が子供向けに作った図鑑です。開いてみると! A3よりちょっと大きい見開きいっぱいに、美しいCGによる宇宙空間が広がっています。多分、この絵が気に入って衝動買いし、そして、それっきりになっていたのでしょう。
改めてページを繰っていると、星の点在する暗い空に浮かぶケーキ状のものが描かれた不思議な絵が現れました。三つのスライスに切り分けられています。一番小さいのには輝く銀河や星雲がトッピングされていて4%と書いてある。もう少し大きいスライスは23%で、紫の引っかき傷のようなものが数条ついている。そして最大のピースは稲妻模様の73%。何の絵なのだろうと、横っちょについている説明を読むと、「我々が宇宙で見ることができるガスや星、銀河はそこにあるもののうちの4%にすぎません」。宇宙の全質量の4%ということですかね。「23%は見えないものです。見えなくても、見えるものを重力によって引っ張っていることが観察されるので、あると分かるのです。天文学者はこれを暗黒物質と呼んでいます」。そして「宇宙は加速しながら膨張していますが、そのために使われているエネルギーが73%になります。直接観測できないこの不思議なものは暗黒エネルギーと呼ばれています」。何の注もなくエネルギーと質量が等価なことが前提になっていますが、それでも子供は理解するのでしょう。アインシュタインだって E=mc2 を見つける前に等価だと直感して、計算を始めたはずですし。
しかし......この大宇宙の話って、なんだか『夢判断』に描かれている心の話と似てません? フロイトは、意識とは「心的過程を知覚するだけの器官」だと明言しています。つまりは、我らが小宇宙(古代ギリシアの語法が蘇ります)を観測する望遠鏡だということですよね。それを通して見えてくる夢のねじ曲がり具合から、「見えない」潜在的な思考や感情の存在を知ることができる......。
具体的には、「自由連想法」を使います。この技法、本来は、治療面接で用いられるもので、思考・コミュニケーションのシステムとしては、独り言すなわち内話(言葉を思考に変換する過程)を人に話すときの外話(思考を言葉に変換)として出力する/させるという普通にはない特殊な状況を作り出します。しかし、こと自分の夢判断をするだけなら簡単。相手がいない、つまりシステムを複雑にする外話のループが不要だからです。『夢判断』の実例をお手本に、朝起きてすぐにノートに夢を記録し、その後、時折その記録を見ては新たに思いついたことや思い出したことを虚心に(ここがポイントです)書き足して行くだけ。簡単なのです。少年少女たちが本物の望遠鏡を調整できるようになるほどには練習が必要ですが、幸いなことに、あとは、望遠鏡を夜空に向けて覗くほど易しい。そして、いざ覗いてみたら! 今まで心のダークマターやエネルギーのせいでねじ曲がって、まるでちゃんと見えていなかった自分の姿が見えてくるのです。
それで? どうなるかというと、嬉しいことに、かなり夢見が良くなる。夢が願いを叶えてくれるのを繰り返し経験していると、その経験自体が夢に取り込まれて、歪曲が簡単かつ素直になるからです。そこで心安らかに眠ることができ......いや、床に就くのが楽しみにさえなります。さあ、今日はどんな夢でどんな願いが叶えられるのやら、と。もちろん、これで満足していないで、ノートへの記録・自由連想を続ければ、自分は本当は何をしたいのだろうというモヤモヤが取れて、気分がすっきりとしてきます。
それにしても......時代が変わったものだとつくづく思います。フロイトがきっかけとなって、以来百年、人々は自分の内奥への関心を深め、十年二十年前には自分探しと称して闇雲に旅行に行ったりセミナーを受講したりするまでになりましたが、ついに! 多くの人がもっと簡単な手立てでもっと確かな小宇宙探検をすることができるようになったのです。随分な遠回りだったという気がしなくもありませんが、フロイトを理解するのに必要な、「見えるもの」を「見えないもの」との関係の中で捉えるという考え方に人々が慣れるのには年月が必要だったのだと思います。天文学だって、ダークマター承認の歴史は、ちょっと似たようなものだったようですし。
(おおひら・けん 精神科医)