書評・エッセイ

2019年5月号掲載

建築は後ろからやってくる

――堀部安嗣『住まいの基本を考える』

中島岳志

対象書籍名:『住まいの基本を考える』
対象著者:堀部安嗣
対象書籍ISBN:978-4-10-335292-1

 イギリスの作家G・K・チェスタトンは著書『正統とは何か』の中で「絵画の本質は額縁にある」と言っている。
 額縁のない絵画など存在しない。特定の枠組みや制約があるからこそ、表現は成立する。我々の表現は、あらゆるものから自由に存在しているのではない。私たちを取り巻く環境によって育まれ、規定され、「型」を与えられている。裸の表現など存在しない。
 堀部安嗣は、「額縁」に強い関心を向けてきた建築家である。建築にとっての「額縁」とは、時間と空間による「制約」である。先人の経験値や伝統、街並み、気候風土、地形、場所の記憶、情緒......。自己を超えた存在への畏敬の念を持ち、歴史や環境と呼応しながら微調整を加えること。堀部の建築は、後ろから押される力によって成立している。彼は常に問う。「はたしてそれらは本当に時と場所と状況にふさわしい立ち姿をしているのでしょうか」。
 革新的で斬新なものを賞揚してきた近代は、様々な「制約」を克服することに価値を置いてきた。建築家は、自らの能力を過信し、誰も見たことのない斬新な形やデザインを誇示しようとしてきた。しかし、それらは人々の生活に、安らぎを与えてきたのか。平穏な日常を支える住宅を提供してきたのだろうか。
 堀部は言う。住宅は「どんな心身の状況にある人でも寛容に受け入れる場所でなくてはなりません。自分自身をもう一度取り戻し、心の底からリラックスできる場所でなくてはならないのです」。
 建築は料理と似ている。「刺激的で濃い味はたまに食べれば美味しいのですが、日常的に継続して食べることはできません」。
 堀部の建築は、決して「復古」などではない。大切なものを守るためには、変わらなければならない。だから堀部は、新しい技術を取り入れることを厭わない。イノベーションと深いレベルで対話し、歴史の轍の先に位置づけていく。「単に郷愁に浸るだけではなく、最新の技術や素材を使って、性能や住み心地は現代の生活に合わせたものにし、いま新しく家をつくることの意義をしっかりと見出したい」。「いまの空調機などは燃費がよく、環境に与える負荷も少なく、コストパフォーマンスがとても高くなっています。そのような優れたものを利用せずに我慢している状態は不自然といえるような時代になったのです」。
 堀部の建築家としての力量は、「"変わらないこと"の大切さ」と「"変わるべきこと"の重要性」の見極めにある。堀部の感性は、両者を統合する平衡感覚に集約される。
 堀部が手がけた建築は静謐な美をたたえている。それは彼が建築を「自力」の産物とは捉えていないからだろう。建築は後ろからやってくる。彼はそれを捉え、再構成し、表出する器である。歴史の風が、彼を通り抜ける。その結果として、慎ましやかな「住まい」が現れる。
 堀部は「ベーシックハウス」の重要性を提唱する。住宅には程よいサイズがある。大きすぎる家は全体の稼働率が低くなり、バランスを崩す。劣化が進み、次世代が引き継ぎたいという気持ちにならない。住宅の適正規模は「具体的な数値にあらわすと、延べ床面積で百平米前後が一つの基本単位になるのではないか」。
 堀部の基本姿勢は、積極的な受動である。彼はそれを「パッシブデザイン」と呼ぶ。「気候風土を無視し、強引にねじ伏せてゆくような"アクティブ"な建築デザインは無駄な費用と労力を要し、そして次第に住まい手も建築自体も疲労してゆきます」。
 堀部が求めるのは、「"すわり"がいい」建築だ。そして、「利他的」な建築。常に場所の価値に寄り添い、謙虚に佇む姿が追求される。「懐かしい未来」が現れる。
「設計とはいままで見たことも感じたこともないものをつくり出す行為ではなくて、すでに見て感じたことを、体感の記憶を頼りにいまに再現する行為」である。
 これからの建築のあり方を提示する重要な一冊である。

 (なかじま・たけし 政治学者)

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