対談・鼎談
2019年5月号掲載
作家生活三十周年記念対談
「原点」そして「これから」
佐藤多佳子 × 上橋菜穂子
ファンタジーと青春小説、それぞれのジャンルを代表する作家であるお二人。デビュー作『精霊の木』、山本周五郎賞受賞作『明るい夜に出かけて』が文庫となる機会に、なぜ、「物語」を書き続けるのか――深く語り合っていただきました。
対象書籍名:『精霊の木』(新潮文庫)/『明るい夜に出かけて』(新潮文庫)
対象著者:上橋菜穂子/佐藤多佳子
対象書籍ISBN:978-4-10-132085-4/978-4-10-123736-7
佐藤 お互いに作家活動を始めて三十年になったわけですが、上橋さんのデビュー作『精霊の木』が文庫になりましたね。読み返したとき、どうでした?
上橋 裸足で逃げたかったです!(笑)十五年前に一度復刊したときにも読んだけれど、三十年経って読み返すと、ああ、この頃の自分は若かったんだな、と、つくづく思いました。
佐藤 でも、それは仕方ないよね。
上橋 まあ、若いからこそ、というところもあるのですけどね。でも、佐藤さんのデビュー作の『サマータイム』は、もう完成してると思うけど。
佐藤 何ていうんだろう、自分と作品との距離の近さが違う。今は技術面で進化したけれど、自分との距離があそこまで生々しくならない。
上橋 私は、もしかしたら逆さまかもしれない。『精霊の木』とか『月の森に、カミよ眠れ』の頃のほうが、真面目に距離を取ってたかも。
佐藤 あっ、そうなのか。
上橋 人に伝える何かがなければという気持ちがあったのかもしれない。それがなければ書いてはいけないのでは、という青臭い義務感みたいなものが透けて見えて、今読み返すとめちゃくちゃ恥ずかしい。
佐藤 自分でそれだけ変化は感じる?
上橋 やはり、フィールドワークを長年やったことで物の観方が大きく変わったんでしょうね。既成の概念を客観的に見られるようになって、そこから解放されていった。だから、物語に関しては、「ねばならぬ」に縛られなくなった。『精霊の守り人』からは物語に没入することを何より大切にするようになったし。でも、佐藤さんの作品も没入感は同じだと思うけれど。
佐藤 うーん、どうだろう。『サマータイム』は特別なんだけど。
上橋 今回文庫になる『明るい夜に出かけて』を読んだとき、佐藤さんのメールに近いしゃべり方だな、と思ったの。世代をちゃんと呼吸してるよね。そうでなければ現代の若者をああいうふうには書けないと思う。
佐藤 それはよく言われるけれど、自分ではあまりわからない。日常使う言葉とかメールが、微妙に年不相応だからね。
上橋 実は、佐藤さんがどうやって作品を生みだすのか、私はわからなくて(笑)。これをこうして、こうなるというのがわかる作品は結構あるんだけど、佐藤さんがどうやって書き始めるのかがわからない。プロットは立てる?
佐藤 最低限。確かに、私の小説って、エピソードの積み重ねで読んでもらうものが多いから。書いていかなければわからない世界で、置いていくエピソードが次のエピソードを生んでいくわけで。
上橋 あ、そうなのか! ならわかる! 私も、プロットは立てずにひとつのエピソードが生まれて、そこから次が自然に出て来るという形で書いているから。でも、大体ラストが見えてないと雑誌に出すのは、怖くない?
佐藤 そんなの見えたこと一回もないし。
上橋 それで雑誌に書けるのがすごいなあ(笑)。『明るい夜に出かけて』の、富山も鹿沢も佐古田も、一人一人がそれぞれやっていることが、次に出てくるエピソードを生んでいる。だから、あの作品は、プロットは作っていないだろうな、と感じてはいたの。
佐藤 『黄色い目の魚』も、先を考えないで書いてましたね。登場人物の中に入って、その子がやりそうなことを一生懸命追っかけていった話だった。
上橋 でも、だからこそ、自然に物語が生まれてくるんですよね。
佐藤 本当に、登場人物任せです。思いがけず、こことここがうまくくっついたなってこともあったり。
上橋 私も、例えば『鹿の王 水底の橋』(KADOKAWA)は登場人物のミラルの行動のお陰で、私にとっては世に出せる物語が生まれたし、「守り人」シリーズはバルサたちのお陰で生まれていった。
佐藤 そのくらい入り込んで書かないと、本当の意味で人物は生きないよね。
上橋 作者がその人物に何かをさせるために書いたらおしまいだと思う。だから、彼らが動いていくのを本気で追っかけていくしかない。
佐藤 それだけ自分が入り込める人物を作るというのが大前提だから。
上橋 そう、それだけの人たちでないと、その世界を支えてはくれないよね。
はじめの一歩
上橋 佐藤さんのデビューのきっかけは、投稿でしたよね。
佐藤 大学を卒業してから就職をせず、その後一年は会社勤めをしたけれど、学者にも会社員にもなれず、自分の人生はどうなるのだろうと思っていた時期があったんです。でも、作家になりたい気持ちは小学校からずっと持っていて、その頃から習作は続けていました。
上橋 あ、似ているなぁ。書いていると幸せでしたよね。
佐藤 私は大学のときに児童文学サークルに入って、神宮輝夫先生が顧問をされていて……。
上橋 ありゃまあ、なんて贅沢な。
佐藤 作品を講評していただく機会があったのだけれど、神宮先生は厳しかったので、全く誉めてもらえなかった。自作の世界観の狭さを思い知ったし、表現の具体性の必要をとことん教えていただきました。その時点で自分の現在地がすごくよくわかりましたね。
上橋 すごく幸せな話ですね、それ。
佐藤 幸せだったと思う。二十歳ぐらいで、自分はこのままではどうにもならないということがわかり、一旦転機を迎えたんです。それまでは児童文学オタクで、子どもの本が好きだから、追い続けていけばいいと思ってたのが、このままでは先に道はないと気づいてしまい、飢えたように、映画でも本でも舞台でも様々なものを自分の中に入れていきました。そこで、ジャンルへの拘りがなくなりましたね。ただ、自分の書いているものがプロには全然届かないとわかってたから、作家になりたいという人生の目標は掲げられなかった。
上橋 私もなかなか人には言えなかった。言ってはいけない気がしていた。
佐藤 でも、書くことはライフワークであることに変わりなくて、運がよければプロになれるかなと思い、会社を辞めたときに、もう一回チャレンジしようと決めて、一年間引き籠もって七作仕上げて。
上橋 すごいねえ。佐藤さんはいつも頭の中に何作もあるものね。
佐藤 「公募ガイド」を見て、子どもの本から小説から、あちこちに送ったわけです。幸運にも絵本雑誌「MOE」が『サマータイム』を選んでくれました。一年のチャレンジでデビューできたのは、ある意味ラッキーでしたね。
上橋 やっぱり私たち似てるねぇ。
佐藤 今度は、上橋さんの話を聞かせて。
上橋 佐藤さんも就職したけれど、という話があったけど、私は大学院で、みんなが社会人になっていくなか、自分が夢見ているような物語は、どれほど書いても、書ける気がしないでいたのです。
佐藤 こういうものを書きたいというところまで届いてない……?
上橋 遥か彼方にあるもので、届かない気がしていて。私には作家の修業をする環境はないから、幻想を抱きそうになる自分を自らで壊そうとしていました。
佐藤 誰かに読んでもらったりした?
上橋 親友と弟には読んでもらったけど、自分を壊すためには「日本にいちゃだめだ」という結論に辿り着いたの。優しい家族や友達にも恵まれたこの環境に甘えていたら、百年かかっても目指す場所には辿り着けないと思って。
佐藤 それは物を書く人間として目指す場所、ということね。
上橋 そう。物語は、自分以上にはなりえないでしょう。夢見ているような物語を書ける人間になるために、私は自分に壮大なダメ出しをしたわけです。それで、博士課程を受けたんです。実は修士の頃に、「公募ガイド」を調べたけれど、どれも応募規定枚数はすごく少なくて、私が書く千枚の長編を応募することはできないことがわかっていたから。
佐藤 そうなんだよね。多くて三百枚だった。そこに収まらなかったのね。
上橋 私が一番短く書けたのが五百四十枚で、それが『精霊の木』だったんです。
佐藤 要するに、持ち込みするしかなかったわけね。
上橋 偕成社に持ち込んだんだけれど、電話を受けた相原さんという編集者が、「はいはい。いつでも、僕はちゃんと誠実に読みますよ。だけど、そういうのが毎日毎日送られてきてるから、僕は今その段ボール箱につまずいて歩いてるので、半年は待ってね」と言われて。
佐藤 えぇー。
上橋 半年待っても全然返事が来なくて。そうすると、編集者が読んで箸にも棒にも掛からなかったんだなと、もう諦めるべきことなんだろうと思って、博士課程の受験をしました。そして、一年間、聴講しながらアルバイトしていたときに、相原さんからハガキが届き、「それにしても才能を感じます。一度会ってみましょう」と言われて、デビューに至ったというわけです。
佐藤 時間は掛かったけど、しっかり読んでもらったのね。
上橋 でも、相原さんからダメ出しがありました。まずは「長い」。四百枚まで削るように言われ、次は、句読点の打ち方について。私は枚数を減らすために、ぶら下がりにしたりしたんだけど、真っ黒な紙面になっていて、「人は文章を読むとき、息継ぎのリズムで読んでるのに、これでは息ができなくなる」と。
佐藤 そうか、添削していただいたのね。
上橋 いや、添削じゃなくてダメ出し(笑)。修正は自分でやって、いい勉強になりましたよ。そうやって出たのが『精霊の木』だったんです。
それぞれの「原点」
上橋 こうして話していて、鏡を見てるみたいに似ているのは、読んできたものが似ているからということもあるかも。
佐藤 お互いに、萩尾望都の漫画に刺激を受けたり、やっぱり物語が好きで、意識しないうちに書き始め、それを継続して現在に至ったという感じですね。
上橋 私は高校生のときに、人生を変える作家に出会ったの。それがトールキンとサトクリフだった。古代ローマ時代のブリテン島で先住民の若者と旅をする『第九軍団のワシ』などに衝撃を受けた。それまでの読書体験は、楽しみながらも、どこか距離を置けて、テーマが透けて見えたりもしたけれど、この作品はそんな読み方をさせてもらえず、首根っこを掴んで、その世界に引っ張り込まれた感じだった。ケルトの若者になった気分で、行ったこともないイギリスの深い森の中の匂いも感じていた。
佐藤 百パーセント入り込んだのね。それまでに読んでいたイギリスの児童文学以上の吸引力で?
上橋 以上、というか、他の物語も大好きで、没入してはいたのだけど、サトクリフの場合は、遥か昔の世界なのに、煙の匂いが鼻に残るほど完全に物語に溶けちゃった。
佐藤 それはすごく大きな読書体験ですね。ある意味、書くということに関しての「原点」でもあるのでしょう。
上橋 ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』、トールキンの『指輪物語』なども読みまくり、今まで見たこともない世界に溶け込ませてしまうほどの力を持つ物語って何だろうと考えたの。
佐藤 それは上橋さんの今書いてるものに確実につながってるよね。物語のスケールが大きくて、人物がみんな、その中でしっかり生きてる。だから、その世界に否応なく引き込まれていく。
上橋 そう、「世界」というのは大切なキーワードで、サトクリフとトールキンの場合は世界が感じられた。主人公は、そこに生まれた人々として在った。私にとっては、それがとても大切に思えたの。「そういうものを書きたい」という焦がれて止まぬ「物語の佇まい」が初めて心に宿った瞬間だったのかもしれない。
佐藤 わかる! やっぱりそこが、原点だったんですね。
上橋 トールキンは学者だし、サトクリフの博識ぶりも図抜けてすごい。だから、作家になるって、そのくらいまでにならなければダメな気がしたの。
佐藤 上橋さんはそれを実現したからすごいよね。実は私も、同じことをやりたかったの。日本の児童文学で、わくわくするストーリーやドキドキする登場人物たちの、骨太なファンタジーを創るためには、生半可な知識ではダメ。研究の蓄積の中から書きたい。そのために研究者になりたい、と高校の頃に。
上橋 おお、同じ!(笑)
佐藤 史学科に進んだのはそこなのね。歴史を学んで、大きな物語が書きたいと思って日本史を専攻しました。でも、上橋さんとの違いは、私は学問が嫌いだったこと(笑)。
上橋 面白い、そこ(笑)。
佐藤 好きなのは通史であり、ドラマだったと気づいてしまった。歴史学は膨大な時間をかけて細部から検証していく学問だけれど、自分にとっては、歴史の真実より、いかに面白いかが重要で、学者になれないということが大学一年の春でわかってしまったのです。
上橋 私も考古学や歴史を学ぶつもりでいて、人類学に出合ってしまった。人類学は、それまで自分が知ったつもりでいたことを、すべて吹っ飛ばしてくれた。しかも、自ら「経験する」学問だった。
佐藤 掘り下げながら更に広げていく学問かもしれないね。
上橋 文字を持たぬ人々にも、経て来た長い年月があるけれど、それは記録には残らないしね。
佐藤 確かに、そうかもしれないねえ。
上橋 人類学ならば、現在生きている人たちと一緒に暮らし、彼らと話をしながら、文献から得るのとはまた違うものが得られるかなと思った。異文化世界で、自分の足で立ち、一から人間関係を築いて暮らしてみたかったの。
佐藤 それはもう、そのものが物語だね。
上橋 ここで頑張らなければ、たぶん私は作家になんかなれないと思ったから。
佐藤 その学究と、書くというのは常に、ある同じ線上にあるものなのかな?
上橋 同じ線上というより学ぶことで自分を広げなければ、あの、きらめく星のところには辿り着けないと思っていた。
佐藤 私は、リンドグレーンとランサムが中学の頃からすごく好きでした。その二人が私にとっては上橋さんのサトクリフとトールキン。その後、どれほど読み足しても、この二人!
上橋 それは大事なことですね。動かし難いもの。ちなみにランサムとリンドグレーン、私も大好きよ(笑)。
佐藤 私にとっての大きな一冊は、中学一年のときに読んだリンドグレーンの『わたしたちの島で』。主人公一家がバルト海の離島で避暑をして、島の住人や動物たちとの交流をとてもコミカルにリアルに描いた物語。大阪に住む三つ年下の従妹と夏休みはいつも一緒に過ごしていて、中一の夏に教えてもらったの。『わたしたちの島で』を貸してもらい、一晩で読んでハマっちゃった。それからは二人でこの本の話ばっかり。ごっこ遊びをしながら、そのひと夏は二人は「ウミガラス島」で過ごしたということに。でも夏が終わり、私は東京に帰らなければならない。この本の話ができなくなる寂しさが高じて、自分と従妹を登場させた二次創作を便箋にぎっしり十枚ぐらい書いて送りつけたの。従妹もまた感想を送り返してくれて、この文通は三年ぐらい続いたんじゃないかな。
上橋 おお、すごいね、それ!
佐藤 それが私の「原点」です。とにかくお話の中にいるのが幸せで、そこから出ると寂しいから、出なくて済む方法は何かと考え、結局、自分で書くことだと。
上橋 ああ、わかる! その夏の思い出を聞いていて、私、なんだか『サマータイム』を思い出しちゃった。
佐藤 『サマータイム』の舞台のニュータウンは従妹の家なのよ。従妹がピアノを練習する音を私は夏中ずっと聴いてた。夏の終わりには、なんとも言えない寂しさで。だから、あれは私にとって特別で、自分の体験をあれだけ作品に書いたのは他にない、二度と書けない話です。
上橋 そうだったの! 一緒にその夏を過ごしたわけじゃないのに、『サマータイム』を読んだときに感じていた物悲しさを、話を聞いた途端に感じたの。物語って実はそういうものじゃないかと思う。
*
上橋 私の父は画家なんだけど、昔、父がアトリエのイーゼルにかかっていた描きかけの絵を指して「菜穂子、これどうだ」と訊ねたの。「梅がきれいだなあ」と答えて、絵に近づいたら、赤い点が三つ置いてあるだけ。遠くから見たら、それが満開の紅梅が咲いている匂うような絵に見えたのね。実際は、ただの三点だったの。表現とはこういうものだと父に教わった気がしました。
佐藤 全てを描かなくても伝わる。文章も、短い言葉でどれほど伝えられるか。子どもの本を書いてきた土台がある私たちは、シンプルは最善という意識がある。
上橋 どれだけ削ぎ落とした言葉で、物語の世界を感じてもらえるか――。子どもの頃の夢を叶え、三十年間書き続けてきたけれど、自分に合ったペースで、これからも物語を書き続けられたら幸せですね。
(うえはし・なほこ 作家)
(さとう・たかこ 作家)