書評

2019年6月号掲載

瀕死の地方病院に起死回生の奇策はあるのか

――久間十義『限界病院』

東えりか

対象書籍名:『限界病院』
対象著者:久間十義
対象書籍ISBN:978-4-10-136878-8

 現在の地方行政システムは、高度成長期に定められたものをそのまま使っているところが多い。右肩上がりの景気の良かった時代を忘れられず「あの時よ、もう一度」と夢見ているうちに、取り返しのつかない状況に追い込まれてしまう。
 記憶している人も多いだろう。2007年、北海道、夕張市が深刻な財政難から事実上の財政破綻となり、財政再建団体に指定された。同時に、夕張市立総合病院も民間の経営する病院であれば倒産している状態となり、公設民営化された。NHKスペシャル「夕張 破綻が住民を直撃する」では退院を迫られる高齢者の姿を追っていた。市民の地域医療を担っていた総合病院の再生は難渋を極める。
『限界病院』はその夕張市を彷彿とさせる、政治と医療のせめぎ合いを描いた小説である。医療現場の現実を、病院経営という切り口で語っていく。「病気を治す」という医師の職業理念だけでは解決できない病院経営の難しさを読者に突き付ける意欲的な長編だ。
 札幌からディーゼルカーに乗って三時間、苫小牧近くに位置する北海道の富産別市立バトラー記念病院は、明治時代に北海道開拓に力を尽くした米国人、ウィリアム・バトラーというプロテスタントの伝道師の名を冠した、内科、外科、整形外科など諸科を併せ持つ、昭和の時代には病床二百四十床を数える地域の中核病院であった。
 一か月前、東京の国立千代田医科大学の消化器外科から城戸健太朗という三十九歳の外科医が赴任してきた。結婚生活の破綻と医療ミスの自責、そして大学との軋轢に苦しみ、高校の同級生を頼って逃げるようにこの病院にやってきたのだ。
 しかしこのバトラー病院は瀕死の状態にあった。
 厚労省が定めた新医師臨床研修制度によって大学病院の人手不足は深刻になり、医局から派遣されていた医師が大学に呼び戻されていたのだ。バトラー病院が頼っていた北斗医大も同じで派遣していた医師を徐々に引き揚げていた。
 そのため赴任して間もない城戸も、外科部長就任を院長と事務長から懇願される。固辞する城戸。しかし事態はどんどん深刻になり、その院長まで大学に呼び戻される始末。
 その上、病院予算の赤字解消のため、市が貸し付けた原資がアイヌ関連の基金だったのが明るみに出て、市長と反対勢力との間の対立が激化した。次の市長選にとって、バトラー病院の行く末が大きな争点となったのだ。
 火中の栗を拾うがごとく新病院長となったのは、東京の警察病院で副院長を務めていた五十代前半の大迫佳彦医師。東大医学部を卒業後、自衛隊の中央病院に入職し、PKOでカンボジアに派遣され、その後医療ボランティアに従事していたという一本筋の通った硬骨漢だ。
 大迫を慕って応援部隊としてやってきた後輩医師のなかに救急科の吉川まゆみ医師がいた。女優のような美人でありながら修羅場も物ともしない凄腕医師は、大迫の切り札であった。
 大改革を打ち出す大迫に、日和見に徹しようとしていた城戸も巻き込まれ翻弄されていく。市長派と反市長派との鍔迫り合いはますます激しくなり、バトラー病院の去就は市長選にかかっていった。
 東京からやってきた、若くはない、しかしまだ中年でもなく、土地に対する愛着もないが憎しみもない城戸健太朗の視点で物語が進んでいく。読者は彼と同じように戸惑い悩み、先へ先へと気持ちが急ぐ。ページをめくる手が止まらない。
 著者の久間十義は本書の舞台近く、北海道の田舎育ちである。それだけに舞台である富産別という辺地の歴史や、人々の気持ちをよく理解している。閉鎖された変化を嫌う地域の中で、目先の権力を奪い合う地元有力者たち。だが改革しなくては富産別市自体が存続できないというジレンマ。新しい風を入れたい冒険者たち。それぞれの思惑がぶつかり合うなか、バトラー病院に起死回生の奇策はあるのか?
 人の命を預かる病院の危機は、いまの日本のあちこちで起こっている現実だ。人口減少著しい地方の総合病院だけではない。産科、小児科の減少や高齢化による医療費の増加など、日本が直面している問題は山積している。
 地方医療崩壊の危機に警鐘をならす傑作長編である。

 (あづま・えりか 書評家)

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