書評・エッセイ

2019年8月号掲載

『猫をおくる』を読んだ日

野中 柊『猫をおくる』

谷川俊太郎

対象書籍名:『猫をおくる』
対象著者:野中柊
対象書籍ISBN:978-4-10-399906-5

 各種植物がひしめく庭に
 どこから来たのか見知らぬ felis が
 ストップモーションするのが見えた
 内側から硝子戸をノックすると
 視線が私に向く
 思い邪なし(論語)の眼
 
 猫という名
 人間という名があるが
 同じ生きもの同士
 今というつかの間
 互いに無名でいたいと思った
 
 柊という植物に身をやつして
 何気ない散文で
 内心の沈黙を裏打ちしているヒト
 猫が好きなんですね
 
 私が知り合った猫は多くない
 私を批判し続けたクロ
 雑巾いろのフネ
 いつも独り言を言っていたミーニャ
 スヌーピーの仇敵ファーロン
 
 「猫のアタマは
 言葉じゃないものでいっぱいだ
 私のアタマは
 言葉がないとからっぽだ」
 これは論語ではない私の四行
 
 「どんな猫でも詩になるのさ」
 と書いたのは海の向こうの詩人だが
 猫が詩の側にいるとすれば
 我々人間はおおむね散文の側にいる
 それは私たちが言葉に頼って生きているから
 
 猫の声は言葉ではなく音楽に属しているので
 詩にはなっても散文にならない
 柊さんは現世に生きる人間を描きながら
 少しずつそこからはみ出して いのちの
 時を超えた宇宙へと滲んでいく気配がある
 
 本を閉じて玄米茶とそばせんべい
 本の中の人たちがまだそこにいるのがわかる
 窓からの風が快い

 (たにかわ・しゅんたろう 詩人)

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