書評
2019年8月号掲載
存在の軌跡を伝える航行灯
梨木香歩『やがて満ちてくる光の』
対象書籍名:『やがて満ちてくる光の』
対象著者:梨木香歩
対象書籍ISBN:978-4-10-125346-6
梨木香歩さんのエッセイ集『やがて満ちてくる光の』が上梓されました。作家活動を始められた初期の頃から近年に至るまで、様々な媒体でお書きになったエッセイが一冊にまとめられています。その中に私が聞き手としてお話を伺ったインタビューも収めていただいています。
お会いしたのは十二年前のこと。私はその頃に出版された『沼地のある森を抜けて』を読んで衝撃を受けていました。梨木さんの本は新刊が出れば楽しみに読んできましたが、この本はそれまでの作品と別次元の手触りがありました。読んでいる間、頭の中で電灯がピカピカと光り続けて止まりません。いったいどのようにこの物語は生まれてきたのか。梨木さんはどんな風景を見ておられるのか。かつてはインタビューを仕事の一部としていましたから、ぜひお話を伺いたいと考えました。
実を言うとお会いする前は途方に暮れていました。梨木さんの文章から感受したエッセンスは、なにかヒトの思考の枠組みとは違うこと。境界と変容に関わること。概念を超えて生命そのものに触っていくこと。ぼんやりと感触だけは見当がついているのですが、それをどんな言葉で質問すればいいのかわかりません。そもそも言葉にできないことをお聞きしたいのでした。
でも、いざインタビューが始まるとその心配は吹き飛びました。私のたどたどしい問いかけの奥にあるものを梨木さんは直覚してくださいました。お話はただちに深い領域に入ったように思います。言葉より先に感覚的な信号が飛び交う速度を感じました。私は遠い異国で故郷の言葉が通じる人に出会ったみたいな心持ちになりました。その安心感に包まれて自分にできるせいいっぱいの問いかけをし、梨木さんはそれに答えてくださいました。
話題は次々に飛び、展開し、広がっていきました。まるで本を読んだ時に感じたあのピカピカ光るものが互いにつながりだし、新しい神経回路として生まれていくのを目の当たりにしているようでした。私の言葉が粗い分、梨木さんがそれを補完するような形で、ふだんあまり言語化されないことまで話してくださったかもしれません。
インタビューの中で、梨木さんは「受け手があって初めて物語は完成する。そしてそこから紡がれていく何かがあると思う」とおっしゃっています。物語の語り手としてある梨木さんは、多くの人の思いを無意識の混沌で感受して、それを変容させながら再び手渡していく、ある種の触媒と言えるかもしれません。
エッセイにはその流れと別の質があります。読者は、その時々に梨木さん個人が向き合っているもの、視点、情動、思索の道筋をたどることができます。梨木さんの魂の道程はご自身のものであるのですけれど、幸いにも、文章を通して私達は梨木さんに「出会う」ことができるのです。
取り憑かれたように本を読む子ども。植物や生き物と心を通わす人。採取し料理し食べる人。家を探すうちに「ある人」と出会い自分の心の深奥へ降りていく人。森、山、湖、異国で、その風景と出来事を心に刻む人。本書を手にした読み手は「その場所」にいる梨木さんと対話することになるでしょう。そしてきっと、対話から得たものを養分にして、自分もまた自分のいる場所で世界に対峙していこう、そんなふうに思うはずです。
空を飛ぶ飛行機や海を渡る船は、夜間、その位置を他者へ伝えるために光を点滅させます。人生の折々に綴った文章を集めたこの本は、梨木さんの存在の軌跡を伝える航行灯のようなものかもしれません。一冊の本になったことで、時間を超え、どこかにいる誰かにその光が届くようになったのだと思います。
最後にすこし個人的な話をすると、梨木さんとの出会いからほどなくして、私は与那国島で馬と暮らすことになります。その流れをうまく説明できたためしがないのですが、馬との対話に私がなにを見ているか、言葉にできない部分まで、やっぱり梨木さんは察しておられる気がします。
(かわた・さん 馬飼い/文筆業)