書評
2019年8月号掲載
おじさんでも、飛んでいける楽園
宮木あや子『手のひらの楽園』
対象書籍名:『手のひらの楽園』
対象著者:宮木あや子
対象書籍ISBN:978-4-10-128575-7
宮木先生と出会ったのは、『さくら学院』という成長期限定!!ユニット(わかりやすく言うと小中学生のアイドルユニット)の公開授業(わかりやすく言うとイベント)だ。私が担任教師(わかりやすく言うと司会)で、宮木先生はアイドル達に小説の授業をする講師として登壇した。何故か先生は私とお揃いのジャージ姿(わかりやすく言うとファンサービス)だった。それ以来、とてもお友達の多い先生が、とてもお友達の少ない私を飲みの席に誘ってくださるようになった。そんな先生から直々に書評の依頼が来た。
光栄だが、なぜ私なのか。書いた事ない、書評なんて。
この作品は私の経験とリンクした設定なのか。私が語りやすい世界観なのか。
と思ったけど、違った。舞台は縁もゆかりもない長崎県......しかも、主人公、女子高生かい。
普通科もなく、生徒の大半が女子という特殊な高校で、主人公が通うのはエステティック科。
マッサージは好きだけど、エステ行かないよ、おじさんは。
遠い世界の出来事すぎて......書けるのか、書評なんて。
そんな私の不安は、15ページほど読んで吹き飛んだ。
やっぱり、台詞がいい。とか書くと偉そうだな。先生の書く台詞が好きだ。
奨学金をもらいながら、寮生活を送る高校2年生の主人公・園部友麻(そのべゆうま)に、入寮したてで同じく奨学生の1年生が不安げに尋ねる。「園部先輩、奨学生だってことで嫌な思いとかしてませんか?」「うお、新鮮」「は?」「そっか、私、先輩か」
読んでいて、その音がちゃんと再生される。生きている若者が今まさに発している言葉。
異世界に住むおじさんが、長崎にある高校の女子寮に飛んでいけるほどのリアリティがそこにあった。そして、この何気ない台詞が後々の伏線にもなっている。主人公が人から何と呼ばれるかという事に対する意識の強さをわからせる会話なのだ。
そして、登場人物の配置も、個性のつけ方も自然で絶妙である。
各地から高校に集まってきた設定という事もあり、話者を明示せずに台詞だけがポツンと置かれていても、誰が話しているかがわかるくらい、方言の強弱、そのグラデーションのつけ方が鮮やかだ。先生、長崎出身なのか、いや、ググったら神奈川出身だった。すげーな、よく書けるなぁ。
そして、主人公である。海の綺麗な小さな島で育ち、後輩曰く、「裏表なくて何も考えてなくて人畜無害なエコロジー」な女子。彼女はこの作品の中で、初めての男女交際をし、別れを経験し、軽いイジメにもあったりする。しかし、それに対する反応は、とてもあっさりしている。高校生にとっての一大事に心揺さぶられる事も、深く悩み傷つく事もない。
既に彼女は強い。初めにそう思わされる。
しかし、物語が進むにつれて、友麻がここに至るまでに経験した出来事が繙かれ、彼女の抱える葛藤が明らかになっていく。そして、それによって、友麻の行動が腑に落ち、決して強くはない彼女に寄り添うように誘われていくのだ。
特に、友麻を拒絶していた同室の平原(ひらはら)こづえと心を通わせるきっかけとなるエピソードには震えた。友麻からすると自然な行動なのだが、その方法に不意を突かれた。映画でよくある男女が夜のプールに飛び込んで......みたいなシーンと比べても、その描写は圧倒的に美しく、新鮮で、それでいて、あざとくない。さらに言うと、タメになる。
そして、主人公だけでなく登場人物全てにモデルがいるのではないかと思える台詞、性格描写、行動原理のリアリティ。それを作り出す取材力と観察眼。先生がいかにたくさんの人の言葉を聞き、それらの人々の警戒心を解いた状態で会話をして引き出してきたかがわかる。初めて誘ってもらって参加した食事会には、『帝国の女』のモデルになった人達がたくさんいた事を思い出した。
そういえば前述のイベント中、ステージ上で先生が「物語を着想する上で人が先か話が先か?」なんて質問を私にされたような記憶がある。確か、私は「話」だと答えた。本番中だった事もあり、先生が何と言ったのかつい失念してしまっていた。
でも、その時の言葉を思い出さなくてもわかる。読ませて頂いたいくつかの作品もそうだし、本作では特に色濃く感じた。間違いない。先生は「人」だ。
(もり・はやし 脚本家)