書評・エッセイ

2019年9月号掲載

『欺す衆生』刊行記念特集

昭和の闇と、令和の悲惨

月村了衛

対象書籍名:『欺す衆生』
対象著者:月村了衛
対象書籍ISBN:978-4-10-339532-4

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 本作『欺す衆生』は、「週刊新潮」に連載された作品だが、同誌の恒例として連載開始の一週前の号に「作者の言葉」が掲載される。執筆前の心境を振り返るためにも、内容紹介を兼ねてまずそれを引用してみたい。
「豊田商事の永野会長刺殺事件が起こったのは一九八五年だから、私はすでに成人している。もっと前だったような気がしていたのは、私がまだまだ子供だったせいもあろうが、感覚的に他の大事件の数々と同様に捉えていたのが大きいと思う。それほどまでに豊田商事は昭和という時代、しかもその末期を象徴する怪事件であった。しかしながら本作は、豊田商事そのものを描くわけではない。そんな事件と運命的に関わってしまった主人公を通して、他者を欺かねば生きていけない人間というものの本質を追求できればと思っている。題名の『欺す衆生』はもちろんそうした意図を表したものである。編集者の方々との真摯な討議の末に決定した。いくつもの候補がある中で、私一人ではこの題名を選びきれなかったであろう。結果的に最も相応しい題名になったと思う。後は私の筆がどこまでこの主題に迫れるかである。主人公の人生と業とを最後まで見届けて頂ければ幸いです」
 果たしてその意図が達成されたかどうか。今は読者の判断を待つのみだが、こうして振り返ってみると、本作の執筆は自分にとって新たな発見に満ちたものだったと言える。
 まるでつい昨日のような気がするが、週刊新潮の編集長に御挨拶したとき、「映画『凶悪』で山田孝之が演っていた主人公のモデルになった人」と紹介され、本当に驚いた。
 何を隠そう、私は新潮社が刊行している一連の犯罪ノンフィクションの愛読者で、映画の原作となった『凶悪 ―ある死刑囚の告発―』ももちろん読んでいたし、映画も観ている。まさかその御本人にお目にかかれようとは思ってもいなかった。もっとも、映画では常に悲壮な面持ちだった山田孝之とは違い、編集長は実に温厚な紳士であったが。
 また『殺人者はそこにいる』に始まる新潮文庫オリジナルの犯罪実話集は、私にとって特に印象深いシリーズで、極私的に奇妙な因縁(それについては紙幅の都合でここでは書かない)もあって、今も続刊を心待ちにしている。
 閑話休題。近年私は、作家として第二期とも言うべき時期に入ったと感じている。もう少し詳しく言うと、現代史と日本人との関わりを創作活動の主たる題材とするようになったことだ。そして書けば書くほど、自分が恐ろしい闇に嵌まっていくような手応えを感じている。
 それは、昭和という時代の中で生きてきた人間を描いていると、必ずと言っていいほど平成、そして令和の闇につながっていくからだ。
 過去を描くことによって、先行きの見えない日本の現状と未来とを照射することができる――その発見は小説家として大いなる歓喜であると同時に、また底知れぬ恐怖でもあった。
 昭和に渦巻く暗黒は、令和の悲惨に直結している。そのことを私は確信する。
 日本人はあまりに多くのことから目を背け、蔑ろにし、先送りにして顧みなかった。その結果として現在がある。そうした因果関係を構成する数多くの縦糸が、おぼろげながらに見えるようになってきた。
 我々は今こそ、その黒い糸を直視すべきであると考える。
 だが一小説家でしかない私にとって、それは挑むことさえ困難な、身の丈を超える巨大なテーマであるのもまた事実である。
 だからと言って、私が執筆を止めることはない。小説家には小説家の戦い方がある。
 それぞれの時代を生きる人間の姿を描くことによって、普遍的な、そして純白ではあり得ない社会というものの実相を、多少なりとも提示できるのではないか。
『欺す衆生』を書き終えた今、そんなふうに私は想う。

 (つきむら・りょうえ 作家)

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