書評

2019年9月号掲載

『欺す衆生』刊行記念特集

なぜ人は欺すのか、作者の答に震撼せよ

豊崎由美

対象書籍名:『欺す衆生』
対象著者:月村了衛
対象書籍ISBN:978-4-10-121272-2

 うちのマンションの掲示板にも貼られている、振り込め詐欺をはじめとする特殊詐欺への注意喚起のポスター。眺めながら、首をひねる。「どうして欺すんだろう」。金品などの利益を得るためであるのは自明なのだけれど、捕まるかもしれないというリスク、捕まらないためのシステム構築を考える手間や資金などを考えると、怠惰で頭の良くないわたしは働いたほうがいいやと思ってしまう。だから、きっと利益以外の何かが、そこにはある。
 月村了衛の『欺す衆生』は、昭和末期から平成の終わりへと至る一人の男の半生を追うことで、「なぜ、人は欺すのか」という問いに答えようとしている長篇小説だ。
 オープニングは、豊田商事の会長がマスコミの前で殺害された事件を彷彿させる場面。悪辣な詐欺商法を働いていると知りながら、三十万円の固定給と一○パーセントの歩合に惹かれて入社した横田商事の新人セールスマン・隠岐隆は、二人の男にめった刺しにされた会長の死に顔を見てショックを受ける。しかし、〈善人を装って。親切心を装って。自分は人を欺しているのだと、常に怯えを抱きながら〉働く理由が、彼にはあった。妻の伯父に欺されて背負うことになった借金。過酷な取り立てによって、大学卒業後に入った会社も退職せざるを得なくなった隠岐は、妻子のためにも欺す側に回るしかなかったのだ。
 その後、元横田商事という経歴を隠して、ようやく得た零細文具メーカーの営業職。くすぶる日々を過ごす隠岐の前に、一人の男が現れる。横田商事の総務にいた因幡充。自分と手を組まなければ今の会社に前歴をバラす、この先どんな会社に就職しようが真実を触れて回るという脅しに屈した隠岐は、因幡とともに茨城の二束三文以下の土地を売りさばく原野商法に手を染めることになる。
 それが大成功を収めると、隠岐は詐欺で得た収入を家族に隠すために投資顧問会社を立ち上げ、中堅の証券会社を定年退職した小路を役員として招く。一方、次のビジネスとして和牛商法に目をつけた因幡は、元横田商事で重要な地位にいた肥崎と鎌井を仲間に引き入れる。肥崎と鎌井はかつて横田でやっていたような、年寄りや非資産家を食いものにするビジネスを再開しようと因幡に提案。隠岐は必死で別案を考え、何とかそれを阻止することに成功する。
〈存在しない牛を売る商売で、さらに存在しない餌を売り、未来において生まれない子牛を売る。/人を欺すという意味においては、自分も肥崎や鎌井となんら変わるところはない。/しかし高齢者を狙ったり、生命保険や年金を担保に貸し付けるような悪辣さとは違うと信じたい〉
 れっきとした詐欺に加担している自分を欺し欺し、なけなしの良心を守ろうと踏ん張る隠岐。収益が上がっていくにつれ、和牛がうまくいっている今なら、もしかしたら因幡も自分の離脱を許してくれるかもしれないという淡い期待を抱いた矢先、しかし、経営する投資顧問会社で大事件が発生。小路が持ち逃げをしたのだ。もちろん警察に訴え出るわけにはいかない。小路の開けた穴を補填するため因幡に借金をした隠岐は、〈《人を欺す仕事》から足を洗うどころではない。/これで、今まで以上に血まなこになって人を欺し続けねばならなくなっ〉てしまう。そこにさらなる厄災が訪れる。日本最大の暴力団のフロント企業・神泉興産を束ねる蒲生。因幡と隠岐は、ついにヤクザとも手を組むことになり――。
 家族のため。その一心で詐欺という犯罪に手を染め続けてきた隠岐だったのに、仕事にかまけるあまり、いつしか家庭は冷たい場所になってしまう。詐欺が詐欺を呼び、悪人が悪人を招き、欺し続けていた自分に罠を仕掛ける輩が現れ、その危害は娘に及んでいく。物語の後半は、詐欺見本市といっていいコンゲームの連続で、息継ぐ間もないほどスリリングだ。能力が上がれば上がるほど、良心を摩耗させていく隠岐の変貌ぶりもまた。
 最初の問いに戻る。なぜ、人は欺すのか。作者はそれに、はっきりとした答を用意している。読めば、わかる。その上で、人を欺し、自分を欺し続けた人間の前に広がる殺伐とした荒野を見せる。その荒野を進まなくてはならない者のすさんでいく精神の行く末を見せる。この物語を読んで震撼しない者はいない。すでに自分が欺す側に立っていると自覚する者なら、なおさらに。

 (とよざき・ゆみ 書評家)

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