書評・エッセイ

2019年9月号掲載

特集 吉田修一の20年

「吉田修一小説」と私

アロハオエにチェーンソー

川村元気

4人のプロフェッショナルが掬い取った「人と作品」

対象書籍名:『愛に乱暴』(新潮文庫 上・下)
対象著者:吉田修一
対象書籍ISBN:978-4-10-128756-0/978-4-10-128757-7

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『愛に乱暴』

 吉田修一が、隣で不味そうな蕎麦を啜っていた。
 あれは確か、十年ほど前。九州の高速道路のパーキングエリアの中にあるフードコートだった。映画『悪人』のシナリオハンティングで、福岡、佐賀、長崎を駆けずり回っていた。疲れ果ててたどり着いたフードコートには、軽自動車で乗り付けたジャージ姿の家族や、営業中らしきスーツ姿の男、美貌の女性を高級車の助手席に乗せていた老人などが皆、プラスチックの器に入ったそばやうどんを啜っていた。ほとんど肉が入っていない親子丼を私がかき込んでいると、吉田修一があたりをぐるっと見回して呟いた。
 日本という国をひとつの場所にまとめると、こういうことかもしれないね。
 数年後、休暇を取ってひとりでハワイの離島にいた。ビーチに据えられたデッキチェアに寝転びながら、出版されたばかりの『愛に乱暴』を読んだ。すぐに後悔した。浮気をする夫と、話のわからない義母との生活に苦しむ主婦の日常。そこに挟み込まれる不気味な日記。ハワイで読むには、まるで相応しくない小説だった。
 けれども、ビーチで奏でられるハワイアンミュージックに、作中のチェーンソーの音が重なった時、拍動が早まり体が震えた。呑気な「アロハオエ」のメロディを聴きながらページを繰っていくと、吉田修一が描こうとしている世界を目の当たりにしたような気がしたのだ。
 まるで関係ないようなものが、実はどこかで関係している。出会うはずのないふたりが、急に接近する。分かり合えないであろうものたちが、気持ちをつなげる。愛、そして乱暴。全く異なるふたつの言葉が、結ばれ同化する。
 吉田修一は二十年間ずっと、はるか遠くの、まるで別世界のものが関係する瞬間を信じて待っている。あのフードコートで蕎麦を啜っていた時と変わらぬ視線が、次に何を捉えるのか、私は隣で目をこらす。

 (かわむら・げんき 映画プロデューサー・小説家)

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