書評・エッセイ

2019年9月号掲載

特集 吉田修一の20年

「吉田修一小説」と私

あきらめたり、見ないふりをしたり。

南沙良

4人のプロフェッショナルが掬い取った「人と作品」

対象書籍名:『7月24日通り』(新潮文庫)
対象著者:吉田修一
対象書籍ISBN:978-4-10-462803-2

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『7月24日通り』

 もしかしたら、自分の町に似た町がこの世界のどこかにあるのかもしれない。そう思うと、私が小さな頃からお世話になっているあのバス停も、なんだか新鮮だ。私は、リスボンではなくてこの町に行かなければ、と思った。
 本屋で人と目が合って、焦ってスーパーの袋から落とすのが松茸のふりかけで、決してオレンジやリンゴを派手にこぼすのではない小百合の脇役感。そして、彼女が自分を守るために作り出した防壁の厚さが、あまりにも自分と重なってしまった。もうひとつ。自分だけが覚えているそんな苦々しさを、ふとした瞬間に思い出してしまう感覚も。
「人との付き合いに絶対的なレベルなんてあるのか」
 お互いが完全に理解し合ってしまったら、自分の小さな器の中に相手を収めてしまうことになる。それはもう狂気の沙汰なのでは......!! なんて人付き合いの少ない私にはこんな想像で誤魔化すことしかできないけれど。
 万人に好かれることをモテるというのであれば、私は多分モテない。モテたい、でもイヤな女になりたくない、と祈りながら毎日を過ごしている。それは承認を得たいのではなくて、かつて私をおいてけぼりにした人たちへ向けられた気持ちなのかもしれない、と、過去の栄光を捨てられない亜希子をみて、思った。
 私にとって想像することは、大事な逃げ道だ。他人の気持ちを推し量ることなんてできないから。いつも逃げ道をちゃんと用意する私はズルい。小百合みたいだ。
「イケてる」とか「イケてない」とかいう、誰が決めたのでもないレッテルは、いつになっても払拭できない独特の感覚なのかもしれない。怖いな。
 人には知られたくない核心がちりばめられていた。みんなそれぞれ格好悪くて、キレイに包まれている言葉を自分の気持ちなんだと勘違いして生きてきた小百合の核心は、まだ見えそうで見えない。音楽を聴くみたいに何度も読み返したい。

 (みなみ・さら 女優)

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