書評
2019年9月号掲載
イノベーションを知る必読書
清水洋『野生化するイノベーション 日本経済「失われた20年」を超える』
対象書籍名:『野生化するイノベーション 日本経済「失われた20年」を超える』
対象著者:清水洋
対象書籍ISBN:978-4-10-603845-7
『野生化するイノベーション』とは魅力的なタイトルだ。現代のイノベーションを巡る風景を見事に言い表しているように見える。本書はいまや時代のバズワードである「イノベーション」を、古今東西の学際的知見から整理統合した丹念な解説書であり、また日本に対する提言書である。
本書は三つのパートからなっている。第一部「イノベーションの『習性』を知る」では、イノベーションの特徴について、筆者が蓄積してきた多様な先行研究が整理統合され、素晴らしいイノベーション学説史になっている。参考資料も豊富で新しいので、学生はもちろん研究者にとっても有用な解説部分である。イノベーションのジレンマに関する理論も整理され、歴史的プロセスの中で野性味が失われていく理由が述べられる。
第二部は、「失われた20年」に直面した日本のイノベーションの特徴について分析されている。かつて一世を風靡した日本経済の最近の停滞が「イノベーション不足」によっていたことが明らかにされる。さらに、「ラディカル」と「累積的」というイノベーションの分類から日本企業の「累積的」志向が明らかにされる。ここでの重要な指摘は、富士フイルムとコダックとの比較だ。通常、コダックはデジタル化の波に飲まれて倒産し、富士フイルムは医療分野などへ多角化して見事に生き延びたと認識されている。しかし本書では、コダックから外に出てヘルスケアに従事している研究者や企業家のパフォーマンスを評価する必要があるとする。すなわち、企業単位でのイノベーション比較に疑問を呈しているのである。ここで、人材の流動性とくにコア人材の流動性と野生化との相関性が強く指摘される。
さて、第三部「『野生化』は何をもたらすか」では、それまでのイノベーション研究の整理統合を踏まえて、日本政府や日本企業そして日本人個人が「イノベーションの野生化」にどう立ち向かうべきかが提言される。固定化しつつある格差の問題なども念頭に置きつつなされる提言は、それぞれに説得的である。しかし、評者にとってこの結論部分は、クリステンセンの名著『イノベーションのジレンマ』の結論部分と同じような違和感がある。クリステンセンが、「大企業は大企業ゆえに不治の病にかかる」と述べながら、その最後に不治に対する治療法を提示しているような違和感である。せっかくイノベーションの歴史的な概観を続けて来たのに、最後は単純な日米比較になっているように見える。英国やドイツはこの野生化にどう対処したのか、また台頭しつつある中国は何を考えているのかなどに思いを馳せると、この結論部分はオープンエンドにした方が美しかった。
とはいえ、筆者のイノベーション関連書籍の探索量や立論における学際的な目配りには圧倒される。イノベーション研究のいまを知るには必読の書といえるだろう。
(よねくら・せいいちろう 法政大学教授/一橋大学名誉教授)