書評・エッセイ

2019年10月号掲載

明治に息づく鳥居耀蔵、もつれた糸を解く

澤田瞳子『名残の花』

内藤麻里子

対象書籍名:『名残の花』
対象著者:澤田瞳子
対象書籍ISBN:978-4-10-352831-9

 時は明治五年。因業な隠居が、時代の転換期だからこそ起きる人々のもつれあった心の凝りを解きほぐす。相方に配したのは、十六歳の能役者の見習いという異色の取り合わせだ。
 いや、異色といえばまずは隠居である。鳥居胖庵(はんあん)。当年とって七十七のこの老人、幕藩体制下では南町奉行まで務めた鳥居甲斐守忠耀(ただてる)その人。鳥居耀蔵といったほうがわかりやすい。蛮社の獄で渡辺崋山、高野長英ら蘭学者を弾圧し、奢侈を禁じる厳しい取り締まりなどで庶民から「妖怪」と呼ばれ嫌われた。歴史小説でいえば、堂々たる悪役である。明治まで生きていたことを今回初めて知った。
 そういう人物を主役に据えた娯楽時代小説が『名残の花』だ。
 胖庵は水野忠邦によって改易され二十余年の牢獄暮らしの末、久しぶりの江戸というか東京、上野の桜を見にやってきた。酔漢に絡まれた能役者の卵、滝井豊太郎を助けたのだが、二人とも掏摸の被害に遭ってしまう。
 こうして始まる掏摸の女との因縁を描いた表題作「名残の花」、勧進能に犬の死骸が投げ込まれた騒動の真相を解く「鳥は古巣に」、士分を捨てた子と父の間を取り持つ「しゃが父に似ず」など六編を収録。事件というほどではない日常のもめごとやささいな謎が多彩に並ぶ。
「能吏」を超えた「酷吏」にして、苛烈な処断を次々に下した過去を持つ男を明治の世でどう生かしたか。その手際は鮮やかだ。
 例えば表題作では花見で浮かれ騒ぐ人々を苦々しい思いで眺める姿を、「元々、遊び心が全くない」と断じて笑いを誘ったりする。世の中から二十余年隔絶され、鬱屈して当たりまえの人間をむやみに重く書くことをよしとしない。胖庵は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、もめごとを捨て置けず、つい手を出してしまう。嫡男の家と四女の嫁ぎ先を行ったり来たりする居場所のない情けなさも加わって、いつの間にか因業ながらかわいさすら感じる。
 そうかと思えば、幕僚時代に政策遂行のため流言飛語を流した経験から、騒動のもとを喝破するなど、汚い手を使うことも辞さなかった姿もちらりと見せる。それやこれやが明瞭な筆致で描かれ、胖庵が確かに息づいてくる。
 豊太郎らとこうした日々を過ごしながら折々にふり返る過去の所業や、彼の一徹の目から眺めた新しい世への違和感が披瀝される。やがて胖庵自身、幕僚だったときの熱い思いをかみしめ、失策をしたからこその民への信頼までもがその身中に育っていくのだった。そのことに気づいた胖庵の心情が明かされる場面は本書の白眉だ。
「失われた江戸の町を再びこの目で見たいだけなのだ。自分や老中たちをあれほど苦労させ、奢侈と放埒の限りを尽くした芝居町の役者たち。粋と張りを心の糧に、武士を相手にしてなお一歩も引かなかった江戸の人々」
 そう、胖庵は獄にいて、幕府瓦解時に居合わせていない。それゆえの渇望は悲しく哀れで、しかし尊く響く。
 そして、忘れてはならないのが能楽の存在である。豊太郎の登場で知る能の当時の状況にも驚かされた。かつては公儀の庇護下にあり、役者は武士身分に取り立てられていた。しかし御一新後は後ろ盾を失い困窮していたという。
 豊太郎は金春座の地謡方・中村平蔵を師として、細々と修業を続ける身。胖庵と同様、時代に取り残された口である。そんな彼が胖庵と平蔵師匠に鍛えられ、世の中を知り、芸道に改めて向かい合う成長物語でもある。
 いずれの短編も、物語の核に謡の詞章が重なる巧みな構成。表題作では「田村」の一節「誘ふ花とつれて、散るや心なるらん」に、胖庵は己の行いを顧みた。「この国を救わんとした己の至誠は、まさに誘う花の如く散った。......そしてどんな転変の中にあろうとも、人はその営みを止めるわけにはいかぬのだ」と。
 ストーリーが進むごとに、詞章は深みを帯びていく。最終話に配されるのは、「実盛」からの「鬢髭を墨に染め、若やぎ討ち死にすべきよし」だ。これをどう胖庵は受け止めるのか。必ずや深い余韻が味わえるはずだ。
 娯楽時代小説の形をとりながら、鳥居胖庵こと耀蔵の生きる姿にも迫った充実の作品といいたい。

 (ないとう・まりこ 文芸ジャーナリスト)

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