書評

2019年10月号掲載

北村薫『本と幸せ』刊行記念特集

師匠と呼ばせてください

貫井徳郎

対象書籍名:『本と幸せ』
対象著者:北村薫
対象書籍ISBN:978-4-10-406614-8

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 昔はともかく、現在の文筆業界隈で師弟関係を結ぶ小説家はいない。もしかしたらぼくが知らないだけでどこかに師弟がいるのかもしれないが、少なくともぼくの周りにはいない。しかし、ぼくが勝手に師匠と思っている人ならいる。もちろん、北村薫さんのことである。
 何しろ、小説家としてのぼくは北村さんがいなければ存在していなかったのだ。ぼくが鮎川哲也賞に応募したとき、下読みをやっていたのがなんと北村さんだった。本選考委員じゃなくて、下読みですよ。そして北村さんの家に届いた原稿の中に、ぼくの書いたものが入っていたのだ。北村さんはそれを最終選考に残し、落選しても出版するよう進言してくれた。予想どおり(?)落選したのだが、北村さんの推薦もあってぼくはデビューすることができた。
 それだけではない。デビュー後十年に亘って鳴かず飛ばずだったが、北村さんの推薦の言葉を載せた帯をデビュー作につけたところ、馬鹿売れ。お蔭で今もこうして小説家として生きているのである。自慢だが、これほど北村さんの世話になった小説家は他にいない。弟子と称しても、どこからも文句は出ないだろう。不肖の弟子だが。
 その北村さんが小説家生活三十周年を迎えられ、記念のエッセイ集が出版されることになった。それならば、どんな形でもいいので関わらせて欲しい。というわけで、書評を書かせてもらうことになった。書評といっても、北村さんとの個人的繋がりも書けとのオーダーである。そのため、自分がなぜこの書評を書いているのかを説明した。前振りが長くてすみません。
 実は単に世話になったというだけでなく、小説を書く上でも北村さんを師匠と思っている。これはご本人にも言っていないことだが、デビュー作を書くに当たって、人物描写の参考にしたのが北村さんと宮部みゆきさんの作品だった。作風はおふたりとぜんぜん違いますけれど、本当の話です。ミステリーにも人物描写が必要なのだと、おふたりの作品から学びました。
 北村さんから学んだことは他にもある。物事を楽しむには、面白がる才能が必要だということである。ともかく北村さんは、無類の面白がりだ。まさに、面白がる才能に溢れている。このエッセイ集を読めばわかるが、普通なら見逃してしまうことにも面白みを見いだしているのだ。そしてそれはかつて読んだ本の記憶と絡み、文章となってぼくたちの前に現れる。面白がる才能が北村さんほどない者は、「こんなふうに楽しめばいいのか」と学べるわけだ。
 面白がりということは、興味の幅が広いということでもある。この本にまとまった文章の範囲に限っても、焼きリンゴからサザエさん、歌舞伎や和歌、俳句、阪神タイガースに至るまで、北村さんが好奇心を覚えない事象は世の中にないのではないかとすら思える。ぼくも小説家になるくらいだから比較的好奇心は強い方だが、北村さんにはとても敵わない。おそらく、現役の小説家の中でもトップクラスのはずである。
 そんな北村さんが、あちこちに好奇心を向けながらもミステリーを、特に本格ミステリーを愛しているのは、やはりミステリーファンとしては嬉しいことだ。本書の中でも、たくさんの文章でミステリーの魅力を語っている。北村薫さんが他のジャンルの書き手ではなく、ミステリー作家になってくれたのは、すごく幸せなことだと多くの人が思うのではないだろうか。
 語りたいことが多くてとりとめのない文章になってしまったが、最後にひとつだけ、「「二廃人」のはなし」には大笑いしたとつけ加えておこう。文章で読んでも、北村さんの口調が脳内で再生されます。

 (ぬくい・とくろう 作家)

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