書評・エッセイ

2019年11月号掲載

最強のマリアージュが生まれた

虎屋文庫『ようかん』

橋本麻里

対象書籍名:『ようかん』
対象著者:虎屋文庫
対象書籍ISBN:978-4-10-352951-4

 子供の頃から甘いものが好きで、という思い出を楽しそうに語る方々は、私から見れば「銀の匙をくわえて生まれてきたスイーツエリート」だ。甘いものが苦手で、おやつといえば果物と煎餅、という時代を経て、憧れ(?)の和菓子を美味しく食べられるようになったのは、20歳も過ぎてからのこと。私にとって甘味は、ただ夢中で味わうものではなく、「分析的に食し、素材や製法、文化的背景まで理解してはじめて美味しいと結論づけられる」対象らしい。
 そういう意味で、和菓子の象徴であるようかんは、ただ食べるだけでなく、その起源と変遷、製法、地域差にいたるまで、探求し語り尽くすに足る対象であり、最古にして最高峰の菓子商の膝下にあって、膨大な史料と専門の研究員を擁する虎屋文庫以上に、その任にふさわしい者はいない。そう、ようかん×虎屋文庫という最強のマリアージュによって生まれたのが、本書なのだ。
 道明寺羹(もち米を加工した道明寺粉と寒天を合わせたもの)や琥珀羹(煮溶かした寒天に砂糖を加えて固めたもの)を駆使し、水や光をイメージさせるようかんのバリエーションや、江戸時代に描かれた菓子見本帳の色鮮やかな絵図など、黒くて四角くて小豆の味で......というようかんへの先入観を払拭するビジュアルは、もちろん見どころのひとつ。だが私たちの「ようかん」観を本当に塗り替えてしまうのは、ようかんの歴史を、史料をもとに精密に検証しつつも空白部分を推理で埋め、ようかん成立の過程を追う「ようかん全史」の章なのだ。
 中国の料理である羊肉の羹(汁物)を、日本人留学僧が点心(食間に摂る軽食)のひとつとして故国へ伝えたものがルーツだから「羊羹」。それが日本の禅宗寺院で精進料理に変じ、やがて菓子へ、とはようかんの起源話として必ず引かれるエピソード。それにしても現代の我々が親しんでいるようかん(=煉りようかん。小豆の粉・砂糖を寒天で煉りかためたもの)と、羊肉の汁物とでは、あまりにかけ離れているのではないか。一方、上生菓子の生地として欠かせない「こなし」(あんに小麦粉と寒梅粉を加えて蒸し、砂糖を加えながら手でもみこんだもの)を、虎屋ではなぜか「羊羹製」と呼ぶ。こなしと煉りようかんでは製法がまったく異なるのに、なぜそう呼び習わしてきたのか。
 本書を読む以前から、私の中にもようかんをめぐる疑問がいくつもあった。それが中世の武家の饗宴や茶会記の、ていねいな検証の記述をたどるうちに、あるものは解かれ、あるものは新たな疑問を呼び起こし、これまでとは異なるようかんの、いや和菓子の歴史の鳥瞰図が、ぼんやりと姿を現し始めてくるのだ。
 ミステリーのネタばれのようなものなので、核心部分への言及は遠慮しておこう。だが、それぞれの時代に「ようかん」と呼ばれた食べものがあり、その変遷の過程で試みられた多彩な製法や形態が、和菓子の歴史を豊かにしていったことは間違いない。いや、もしかすると、和菓子の歴史の根幹にようかんがある、とさえ言えるのかも。ここまでずっと、羊羹ではなく「ようかん」と書いてきたのは(本書のタイトルからしてそうなのだが)、そんなふうに長い時間の中で、味や姿を自在に変えてきた食べ物を、狭い定義の中に押し込めたくないからだ。
 保守本流の和菓子。「あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって」、と谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』に書いた、これ以上変えるところのない、完璧な――完成され尽くしたように思える食べ物。だが、それすらいずれまた、必ず変化する。ようかんは未来に対して開かれている、と確信できる。
 過去を学ぶことは、豊饒な未来を描くことにつながる。優れた歴史書は必ずそんなふうに、読者を未来へ向き合わせてくれるものだが、本書もようかんの過去から現在を緻密にたどることで、ようかんの未来を予言しているように思えるのだ。

 (はしもと・まり ライター・編集者)

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